HOME > 年次大会 > 第40回大会(報告要旨・報告概要) > 自由報告 第1部会
年次大会
大会報告:第40回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

 第1部会  6/7 10:00〜12:30 [法文2号館1大教室]

司会:森 元孝 (早稲田大学)
1. ミードのコミュニケーション論と科学的普遍性 藤本 一男 (東京都立大学)
2. 自然言語におけるトピック転換と笑い 水川 喜文 (日本学術振興会)
3. 知識社会学の基礎理論としての状況定義論 南 宏幸 (法政大学)
4. 耳の証人、エドワード・S・モース
―明治、日本の<音風景>と<生活世界>をめぐって―
山岸 美穂 (慶応義塾大学)

報告概要 森 元孝 (早稲田大学)
第1報告

ミードのコミュニケーション論と科学的普遍性

藤本 一男 (東京都立大学)

 G.H.ミードのコミュニケーション論の独自性は、方法的個人主義のコミュニケーションモデルと比較した時に鮮明となる。こうした意味では、彼のコミュニケーション論は、相互作用論として発展されてきたといえる。しかし、いわゆる相互作用論の視点からコミュニケーションをあつかう場合には、この個人主義的なモデルへの批判をどれだけ自覚しているかによって、ミードの後継を自認しながら似て非なるものになりかねない。

 本発表では、以上の点をふまえながら、ミードの理論的な中心をなしている「相互行為」をめぐる視点をコミュニケーション論としてまとめ、そこから、「普遍性成立の場としてのコミュニティ」が彼の理論の重要な側面である事を明らかにする。さらに、彼の理論化が、20年代のシカゴ社会において、キリスト教文明の相対化として位置づくことにふれながら、近代の科学的世界像を相対化しうる社会理論としての可能性を検討したい。

第2報告

自然言語におけるトピック転換と笑い

水川 喜文 (日本学術振興会)

 「笑い」に関する研究は数多くあるが、現象としての笑いそのものを具体的な録画・録音データを分析しつつ考察したものはほとんどない。今回は、トピック転換が起こる場面に限定して、笑いという社会的な行為がいかになされているかを会話分析とエスノメソドロジーの知見を用いつつ考察する。

 こういった立場と取る以上、笑いを個人の性格に還元して考えたり、「自然に」発生するとしたり、冗談という原因の結果としたり、状況を異化するための戦略と考えたりはしない。そういう視角を持ってしまうと、個人の「内面(深層?)」や冗談の研究になってしまい、笑いという現象が見えなくなるからである。むしろ、笑いをその場の成員によって協働で達成される一つの社会的行為として捉える立場が取られる。また、トピックに関しては、話されている事柄から簡単に推察するよりも、成員の志向フレームとの関連から考えていきたい。

 (日本語の)会話のトランスクリプトを少し観察するだけで、トピック転換の際に、笑いが頻繁に発生していることがわかる。このようなときの笑いは、特殊な(トピック)移行関連場を作り出し、志向フレームを解体し、新たな志向フレームを作り出すきっかけを与える発話内の力を持っていると考えられる。この力こそ笑いの異化効果をもたらすものとも考えられる。

第3報告

知識社会学の基礎理論としての状況定義論

南 宏幸 (法政大学)

 社会学の伝統の中で、「状況定義」の観念はしばしば、ヒラリー・パットナムの言う「独我論的仮定」に依拠する形で、その実質を与えられてきた。すなわち状況定義は、往々にして、或る「主体」の内部で自足的に生み出される「主観的」現象として、捉えられたのである。このように状況定義論が・独我論的研究プログラム”に包摂された結果、状況定義が社会的な共有財として伝達され、いわゆる「社会的現実」を維持するように適用されるという基本的洞察は、理論上軽視される傾向が永く現れている。

 このような理論的情況(状況定義論の独我論的制限)を越えて、状況定義論を「社会的現実」の記述や説明に活かすためには、状況定義概念を非独我論的に再定式化し、学習理論を含んだ研究プログラムを再構成していく必要があるだろう。私はその作業の一環として、認知科学で利用されているような概念用具や表現形式を導入し、「状況定義」を、具体的状況の経験から実地に構成・修正される命題的・手続き的知識の体系として、概念的ネットワーク・モデルで表現することを提案する。このようなモデルで、ある集団が活用している状況定義のレパートリーを表現する作業が進めば、そこからもたらされる知見は、その集団の「社会的現実」の多面的な姿を示すはずである。このような命題的・手続き的知識の多面的エスノグラフィーは、「知識社会学」の新たな展開のための財産ともなりうるのではないだろうか。

第4報告

耳の証人、エドワード・S・モース
―明治、日本の<音風景>と<生活世界>をめぐって―

山岸 美穂 (慶応義塾大学)

 私たちが日々、耳にしている音。音とはいったい何なのだろう。私は人々が体験した音風景から、時代の<様相>や人々の日常生活を理解したいと思い、これまで、さまざまな人々の音体験をクローズアップさせながら、日本の近代化の過程、及びモダンの時代、ポスト・モダンの時代について考察してきた。

 今回の報告では特に、日本の近代化を理解する際にまず注目に値する明治期に、3回にわたり日本を訪れたエドワード・S・モースをクローズアップさせることにより、<明治、日本の音風景>を照らしだし、そうすることによって、<明治期>の時代様相と人々の日常生活の様相の一端にアプローチしてみたい。モースは大森貝塚の発見者として広く知られているが、実はより広範囲な活動を行なっていた。路上の音、家のなかの音、さまざまな<音楽>など耳にした音をめぐり、実に興味深い叙述を残したモースの音体験を通して、当時の人々が耳にしていたのではないかと思われる音を照らしだし、明治期の人々の日常生活や<生活世界>を浮かび上がらせてみたいのである。 人間にとって音とはどのようなものであるのか。異なる文化や社会を体験するとはどのようなことであるのか。耳の証人、モースの体験を手がかりに、私たちの身辺を見つめ直してみたいのである。

報告概要

森 元孝 (早稲田大学)

第一報告は、藤本一男氏(東京都立大学)の「ミードのコミュニケーション論と科学的普遍性」というものであり、かなりの文献を渉猟した上、良く整理されたレジュメにのっとって、ミードの理論における「普遍性成立の場としてのコミュニティ」についての学説史的な研究が報告された。

第二報告は、水川喜文氏(慶應義塾大学)の「自然言語におけるトピック転換と笑い」と題するものであり、笑いの研究へのエスノメソドロジーによる展開およびその寄与の可能性について報告がなされた。

第三報告は、南宏幸氏(法政大学)の「知識社会学の基礎理論としての状況低議論」というものであり、主に認知科学の概念用具を援用して、状況定義論に新たな展開をはかろうとするものであった。前第二報告における概念と重なる概念もあり、質疑が行なわれた。

第四報告は、山岸美穂氏(慶應義塾大学)の「耳の証人、エドワード・S・モース――明治の日本の〈音風景〉と〈生活世界〉をめぐって」と題するものであり、モースの対日日記に焦点を合わせて、日本の近代化研究を、「生活世界」という見出し語でまとめながら切り口を開こうとする斬新な研究が紹介された。

以上四つの報告は、それぞれの報告者の関心領域の散逸という理由から、全報告者に居巧く共通するような討議へとは展開しなかったが、第二、第三報告車間の問題は、とりわけ第三報告のエスノメソドロジー批判という意図も窺えたことから、フロアからも活発な意見が向けられ、さらに関心を深めるための討論が生まれた。

▲このページのトップへ