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年次大会
大会報告:第44回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)

 第4部会  6/9 10:00〜12:30 [N棟N205教室]

司会:似田貝 香門 (東京大学)
1. 胚子への医学的介入とその社会的保護に関するドイツおよびイギリスの比較研究 丸山 マサ美 (常磐大学)
2. 病院施設における分業の仕組み
――医師・看護婦(士)関係を中心に――
武山 満和子 (東京大学)
3. 医師−患者関係をめぐる一考察
――社会史的事例を取り上げながら――
佐藤 典子 (お茶の水女子大学)
4. 共同体の現象から派生した知と宇宙の哲学的断章 江川 茂
(茨城県立コロニーあすなろ)

報告概要 似田貝 香門 (東京大学)
第1報告

胚子への医学的介入とその社会的保護に関するドイツおよびイギリスの比較研究

丸山 マサ美 (常磐大学)

 本研究は、ドイツ及びイギリス両国の生殖医療に関する法律制定に向けての諮問委員会の議論と、それに基づいて制定された法律について比較分析し、「胚子の保護」について考察するものである。胚子への医学的介入とは、すなわち胚子を研究対象とした医学的介入と、不妊症に悩む人々のニーズに基づく医学的介入のことである。

 ドイツでは、元連邦憲法裁判所長官ベンダを委員長とする諮問委員会の答申を受けて「胚子・胎児の保護に関する法律」(Embryonenschutz-gesetz-ESchG)が制定された。この法律の特徴は、ドイツ連邦共和国の憲法典である基本法の理念に基づき、胚子の保護をはかった点にある。一方、イギリスにおいては、いわゆるワ−ノック委員会報告書を受けて、「人間の受精と発生学に関する法律」(Human Fertilisation and Embryology Act)が制定された。この法律の特徴は、配偶子の提供者に関する情報の国家単位での確保、ひいては一定の許認可機関での治療システムの確立を強調した点にある。また、顕微鏡的存在である胚子の濫用者に対して、ドイツは「胚子」を対象とした実験・研究の全面禁止の姿勢を示し、イギリスは受精後14日目、すなわち原始線条の出現の前日を境界線として、これを禁止した。さらに、代理母についても、ドイツは全面禁止の姿勢を貫いたのに対し、イギリスは許認可機関の裁量範囲の中でこれを認めた。

 いずれにせよ、両国の議論の中心は、科学技術の特定化と余剰胚を研究の対象とすることの取り扱い、さらに、第三者を介して行われる生殖医療の是非であった。

第2報告

病院施設における分業の仕組み
――医師・看護婦(士)関係を中心に――

武山 満和子 (東京大学)

 今日、医療技術・医療機器が高度化するに伴って、また高齢化社会を迎えて医療・福祉の分野において幅広い対応が求められるようになるに伴って、医師・看護婦(士)・技師・介護士等が、治療と看護に際して適切に分業して協力し合うチーム医療という概念が提唱されてきている。チーム医療においては、諸主体が相互に自律した関係性を保つ「協働」が重要である。

 医療社会学の蓄積を概観すると、医師は、医療という業務を独占し、サーヴィス内容の評価を提供者自身が行うことのできる特殊な職業として捉えられ、プロフェッションprofessionとして特徴づけられている。翻って、看護婦(士)・技師・介護士等という職業の場合では、その知識は究極的に医学によって特定化され、また、その業務を遂行するに当たっては医師の指示が必要とされているために、プロフェッションとしての自律性は確保されにくい状況にある。

 しかし、こうした職業のプロフェッションとしての承認、すなわちプロフェッショナリゼーションは、チーム医療においてもはや必須のことである。本報告では医師・看護婦(士)関係を中心にして、今日の医療の状況に対応する病院施設における分業の仕組みを考えてみる。

第3報告

医師−患者関係をめぐる一考察
――社会史的事例を取り上げながら――

佐藤 典子 (お茶の水女子大学)

 肉体的にであれ、精神的にであれ、病んだ人間が問題にすることは、その苦痛をどのようにして取り除くかということであり、その相談相手としての治療師(ここでは医師)とどのような関係を築くかということである。次々と新しい治療法が生み出され、多くの命が助けられる現在の医療現場においても一方で、なおも医療や医師に対する不満は絶えない。その原因の一つとして、医師が病気や患者とは「このようなもの、こうあるべきもの」として固定観念をもって診察にあたり、これによって患者の医師に対する役割期待にズレが生じることが考えられる。見えるものであれ、見えないものであれ、患者は何らかの苦痛を感じるがゆえに医師のもとを訪れるのだが、医師の方では、西洋近代医学において病名を付けられていない個々の患者の苦痛は「疾患」ではなく、それゆえ患者も患者たり得ない。職業としての医師にとって近代医学のパラダイムで切り取ることのできない患者の苦痛というのは存在しないも同然なのである。

 病いを治す(癒す)「医」の知やその実践において、今日のように西洋医学に絶対の信頼を抱くようになったのは、近代以降のことである。本報告では、社会史的な遡上を行いながら、医師−患者関係の歪み及び役割期待のズレの問題を解決する糸口として、18世紀フランスにおける治療師と民衆の関係を取り上げながら、現代の「医」をめぐる問題の一側面を明らかにしていきたい。

第4報告

共同体の現象から派生した知と宇宙の哲学的断章

江川 茂 (茨城県立コロニーあすなろ)

 自己存在の自己反存在の自己非存在の中に自己矛盾的な三律背反的状況が内在化しているのではなかろうか。すなわちデカルトの我思う故に我存在するというのは知識を知ってからの状況なのである。知識を知らない簡単には文字を知らない赤ん坊、IQ測定不能の知的障害者や狼に育てられた人とかは知が存在しないのである。このような状況とは我思う故に我存在すると共に我思わない故に我存在しないかつ我思う故に我存在しない、我思わない故に我存在しないという四律背反的状況が存在するのである。知を疑う事から知とは何か。先天的なものでなく後天的なものなのである。すなわち教育によって人々は初めて我思う故に我ありを知るのである。このように宇宙の起源も宇宙は存在するが故に宇宙は存在しないという二律背反的状況で生誕したのであった。宇宙の非宇宙の反宇宙の三律背反的な弁証法が成立するのである。宇宙矛盾の三律背反的状況とはまさしく神、仏の存在を否定し肯定し反否定の肯定かつ否定の反肯定の四律背反的状況が存在するのである。それは有と無の中で反有と無と有と反無の中に形成されるのである。結局は知を借りるならば1次元、2次元、3次元、4次元の中に存在の反存在と非存在が証明されるのである。知の反知かつ非知の中に有と無が生じ永遠の反永遠の非永遠的な弁証法によって宇宙が存在し無として反存在するのである。自己矛盾の自己合一化が必要なのである。

 新しい思想を形成するには現在の知的限界状況を突破するには新しい言語を生誕させなくてはならないのである。

報告概要

似田貝 香門 (東京大学)

 この部会は、「共同体の現象から派生した知と宇宙の哲学的断層」(江川茂)以外は、現代社会における生命科学や医療社会の問題を扱ったものであった。

 「胚子への医学的介入とその社会的保護に関するドイツおよびイギリスの比較研究」(丸山マサ美)は、胚子の研究対象と、不妊症に悩む人々のニーズへの医学的介入という、生殖医療上の問題に対してのドイツとイギリスの法的扱いをめぐる比較研究である。報告者は主として、研究対象として、生殖技術の濫用に対する法的な規制、人間の配偶子の生殖系列細胞の取り扱禁止等の共通性と、受精卵の「一人の人間としての位置づけ」の違い、臨床的には、配偶者間人工授精の許可、体外授精の条件付き許可、代理母の禁止等、の共通性と、非配偶者間人工授精の取扱いの差異を論じた。討論では、日本を念頭において、法とともに専門家の自主管理の不可欠性が中心的に論じられた。

 「病院施設における分業の仕組み」(武山満和子)は、医療高度化等による治療と看護の領域における「適切な分業体制としてのティーム医療」の提唱を検討した。具体的には、T女子医大の専門看護婦制度の自己養成のあり方を紹介しながら、高度医療の臨床に対応していく仕組みの構築を論じた。討論は、医師と看護婦との間の「専門性」が、今の法的対応と教育制度や資格取得の経歴等から本当に「水平的な分業体制」へと切り替われるかどうかに集中した。臨床現場におけるコ・メディカル・スタッフという理念とティーム医療という施設戦略的な概念がどこで交差しえるのか、治療、看護、介護等の専門性のかかわりあいが十分に検討されるべきであろう。

 「医師−患者関係をめぐる一考察」(佐藤典子)は、病を治す(癒す)「医」の治の実践を、苦痛を取り除く行為として根源的に扱い、この行為がいかに近代医学においては病気は取り扱っても病人を取り扱わなくなったかを、18世紀フランスの治療師と民衆との関係から論じた。ここでの討論は、キュア(治療)の専門性とケア(看護)の専門性のつながりが問題とされた。こうしたアプローチには当然、系譜学的探求を不可欠とするが、ケア概念のフーコー的取扱いがもっと展開されて良かったのではないか。

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