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年次大会
大会報告:第44回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会1)

 テーマ部会1 「身体と社会」 身体・関係性・社会
 6/8 14:00〜17:15 [新3号館西338教室]

司会者:池岡 義孝 (早稲田大学)
討論者:江原 由美子 (東京都立大学)  勝又 正直 (名古屋市立大学)

部会趣旨 池岡 義孝 (早稲田大学)
第1報告: ドメスティック・バイオレンス(「夫からの暴力」) 波田 あい子 (家族機能研究所)
第2報告: 摂食障害の新たな医療化と身体の自己管理 浅野 千恵 (東京都立大学)
第3報告: リスクと身体 才津 芳昭 (茨城県立医療大学)

報告概要 池岡 義孝 (早稲田大学)
部会趣旨

池岡 義孝 (早稲田大学)

 われわれが世界に参加しているのは、身体を通してであるにほかならない。このことは、身体が単に社会による構成物であるだけでなく、社会的事実そのものを不断に構成し再生産していく、身体と社会の相互性を意味している。本テーマ部会では、現代社会におけるそうした身体のありようを個性的に語るいくつかの具体的事例に焦点をあわせつつ、それを手がかりにして、現代社会における「身体と社会」の問題を考えていくことにしたい。

 議論の手がかりとする具体的事例としては、波田あい子氏にはドメスティック・バイオレンス(夫からの暴力)を、浅野千恵氏には摂食障害を、才津芳昭氏には障害者のリハビリテーション過程を、それぞれ取り上げて報告していただく。それらをもとにした議論の焦点は、社会による身体の管理化という方向性の軸、ジェンダーとセクシュアリティーという軸、さらにそれらと通底する他者との関係性という軸、これらをめぐるものとなろう。

 先行する3月の研究例会では、親密性の変容や共依存といった現代社会における関係性のあり方に関わる議論がおもに展開された。大会のテーマ部会は、これらに加えて、個々の具体的テーマと身体との関わりがより積極的に語られ、「身体と社会」の今日的状況が批判的に検討される場として設定したい。

第1報告

ドメスティック・バイオレンス(「夫からの暴力」)

波田 あい子 (家族機能研究所)

 70年代、おもに青春期の男の子による母親への暴力が“家庭内暴力”の名で世間の注目を集めたという一つの歴史は、この種の問題に対する日本社会の認識を見事に反映するものであった。なによりもまず、今となっては括弧を要するこの“家庭内暴力”への強い社会的関心というのが、家庭の中のより重大な暴力問題―夫からの暴力、子どもの虐待、近親姦などへのイマジネーションとまったく連動することがなかった点で、振り返ってみれば驚きに値する。

 私もメムバーの一人として参加した「夫(恋人)からの暴力」調査研究会(略称D.V.調査研究会)によるアンケートの結果(1992年実施)は、語られず知られずじまいの日本におけるこの問題の深刻な実態を明らかにするものだった。それらの内の1つの発見に、夫から身体的暴力を受けている妻は同時に性的暴力をも受けている場合が、7割に達するという事実がある。

 「女性に対する暴力」という概念は、レイプ、セクシュアル・ハラスメント、ポルノグラフィ、夫からの暴力の4つの問題を、性的な事柄を通しての権力の濫用(Catharine MacKinnon)である点で同一の問題と見る視点である。前3者は明らかに性的な事柄と了解されようが、夫からの暴力については殴る、蹴るをはじめとする身体への直接攻撃のイメージが先行する。それは、婚姻関係のなかのセックスは公認だから、レイプもセクハラもなくポルノグラフィックでもないとの前提のためであろう。事実はそうではなく、夫と妻という関係ゆえの巧妙な性的暴力が身体への直接攻撃と対になることが、むしろ夫からの暴力の一般的な形態だといえるのである。

 当日は、身体と社会のテーマにそくして、フィクションの手法もなく抽象化もしない報告を心がけたい。

第2報告

摂食障害の新たな医療化と身体の自己管理

浅野 千恵 (東京都立大学)

 近年、日本においても、摂食障害(拒食症・過食症)に対する社会的関心が高まっている。私も数年前からこの現象に関心をよせ、経験者への聞き取り調査のほか、摂食障害に関する文献資料調査を行ってきた。そして、それらの作業をつうじて、摂食障害という現象が果たしている社会的な役割にむしろ関心を抱くようになった。

 摂食障害に関する報告が日本の医学専門誌に掲載されるようになったのは、50年代のことである。「ジェンダー」という言葉こそ使われていなかったものの、今日言われているような意味での「ジェンダーの病い」という見方、すなわち病いを生み出す要因として性別や性差の問題が深く関わっているという見方は、すでにその当時にも存在した。確かに、摂食障害という現象が性別の問題と深く関わりを持っていることには、私も同意する。しかしながら、「ジェンダーの病い」という解釈が、しばしば実体的・固定的な性差・性別観を基盤にして展開されてきた点には問題を感じる。つまり、これまで摂食障害という病いの解釈には、その社会・時代に優勢な性差・性別観が少なからず反映されてきたわけであるが、このことは摂食障害へと女性たちを追い込む社会のありようとまさに通底している問題であると私は捉えているのである。

 このように摂食障害という現象が性差・性別に関する知(ジェンダー)を組み込みながら構成されている一方で、今日においてむしろ注目すべきは、摂食障害という現象が人々の身体と社会とをかたちづくる積極的な役割を担わされるようになってきたことである。具体的には、摂食障害の「社会問題化」と「新たな医療化」という、80年代以降強まりつつある二つの流れが緊密に結びつくことによって、身体の自己管理化が深く進行するとともに、医療専門家に対置される「従順な人々」が生みだされているのではないだろうか。本報告では、このような摂食障害をめぐる今日の状況を批判的に捉える議論を提示したい。

第3報告

リスクと身体

才津 芳昭 (茨城県立医療大学)

 近年、「リスク」に対する関心がにわかに高まってきている。いまだとどまらぬ環境破壊、最も安全と言われた巨大技術の度重なる事故等がその大きな契機になっていようが、それだけでなく、我々の生命・身体から日常生活の実に様々で微細な行為に至るまで「リスク」という言語で語る社会的・文化的状況が形成されつつあるように見える。

 しかしながら、そこに明確で統一的な定義が伴っているわけではない。「リスク」に関する主だった文献を調べてみても、定義は多種多様で、実際我々もかなり曖昧に使用している。最も一般的な了解としては、何らかの意志決定の余地があり、回避しようと思えばできるという性質を持った状況ないしは行動として、「危険」とは区別される近代的な新しい概念を指すようだが、「回避すべき状況や行動」の内容や意義をほとんど問わない今日の使用状況を見ると、その無制限な汎用性ゆえに、「不確実性」そのものを「危険」あるいは「問題」とするまなざしが基底にあるように思えてならない。

 このようなリスク概念の拡大傾向とその管理の動向は、現代の医療・保健行動においてより顕著に観察される。医師の診断・治療行為におけるリスク管理や病院管理としてのリスク管理といった病院空間内の動向もさることながら、患者や障害者に対するリスク管理の動向が注目される。この動向は、私が見る限り、二つの方向性を帯びている。第1に、健康観や障害概念の変化に伴って、リスク管理の対象が、患者や障害者の単なる生体機能上の問題から、日常生活あるいは社会生活全般に対する問題へと、内容的にも空間的にも拡大している点、第2に、先端技術を駆使した機器によるリスク管理が進行している点である。だが、いずれもその妥当性について十分な議論がなされているとは言い難い。

 本報告では、このような現状とその問題点を、具体的事例をもとに提示するとともに、我々の身体と社会の行く末を考察する予定である。

報告概要

池岡 義孝 (早稲田大学)

 本テーマ部会は、現代社会における身体のありようをきわめて個性的に語る具体的事例を手がかりにした報告とそれをめぐる議論によって構成された。これらの報告と議論によって、個別的な身体のありようが、身体に向けられる他者や社会のまなざしによってつよく規定されるものであること、つまり他者や社会との相互性の中で生成される身体の現代的なありようを検討することが本部会の目的である。

 まずドメスティック・バイオレンスを具体的事例とした第1報告の波田あい子氏は、閉ざされた家庭内・空間内での夫(恋人)からの暴力、子どもへの虐待、近親姦など多様な暴力を総称する現象が、1970年代の日本では「家庭内暴力」という名称のもとで、おもに思春期の男子による母親への暴力に限定されて注目を集めたという歴史性を批判し、社会的に隠蔽されてきた「夫(恋人)からの暴力」という現象の実態を、性的暴力と身体への直接的暴力が対をなすものとして報告した。つぎに摂食障害を具体的事例とした第2報告の浅野千恵氏は、摂食障害という現象の解釈をめぐって、従来からある「ジェンダーの病」という解釈を検討した上で、この問題をめぐって新たに生起してきた現象とそれに対する解釈として、医療専門家と自助グループによる「新たな医療化」およびそれらに規定された身体の自己管理化の進行がみられることを指摘し、それらを批判的に検討した。さらにリハビリテーション医学にみられる身体の位置づけを具体的事例とした第3報告の才津芳昭氏は、医療現場にみられるリスク概念の拡大とそれによる身体の管理化が、現代の科学技術が推進する医療化・治療主義的理性を支えるどのような新たな知を構成しようとしているのかを批判的に検討した。

 討論者の江原由美子氏と勝又正直氏からは、3報告に通底するテーマとして、身体をめぐる社会によるコントロールと自己によるセルフ・コントロールという、自立とコントロールをめぐる複雑な関係性、あるいは社会的圧力によって規定される外的自然としての身体の側面といわば生きた自然としての内的自然の身体の側面の関係性を問題にする視点があげられた。さらに会場を含めた議論の中ではそうした枠組みのもとで、それぞれの事例のデータと解釈の妥当性、「新たな医療化」という解釈などが焦点となった。なお、部会終了後もしばらく会場では報告者と討論者および質問者の間で議論が交わされた。こうした議論がさらに成果を生むことを期待したい。

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