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年次大会
大会報告:第45回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会4)

 テーマ部会4 「行為と認識」−−−社会学基礎理論の現在――秩序・制度を問う――
 6/15 14:00〜17:15 [本館1301教室]

司会者:奥村 隆 (千葉大学)  西原 和久 (武蔵大学)
討論者:浅野 智彦 (東京学芸大学)  藤田 弘夫 (慶應義塾大学)

部会趣旨 西原 和久 (武蔵大学)
第1報告: 事実的秩序と情報的秩序の相互循環
――「社会情報学(Socio-informatics)」のアプローチ――
吉田 民人 (中央大学)
第2報告: 制度研究と相対主義 盛山 和夫 (東京大学)
第3報告: 会話秩序(制度)のエスノメソドロジー研究 椎野 信雄 (文教大学)

報告概要 奥村 隆 (千葉大学)
部会趣旨

西原 和久 (武蔵大学)

 すでに本学会ニュース83号で示したように、「行為と認識」を中心に社会学理論の意味を問う本テーマ部会は、2年目の課題として上記のテーマを掲げた。それは、昨年度の研究例会と大会のテーマ「社会学者はなぜ理論化するのか」を受ける形で、理論と現実の関わり、あるいは理論研究のアクチュアリティを、さまざまな理論的立場から論じ合う課題としてある。今春行われた研究例会では、昨年度十分に議論できなかった反省もふまえてエスノメソドロジーの立場から「秩序・制度」が問題にされたが、今回は対話・対論の輪をさらに広げ、異なったスタンスの3人の報告者から提題願うことになった。

 具体的な問題提起は下記の各報告者の報告要旨をご参照願いたいが、社会情報学的視点からなされる吉田報告、制度論研究を掲げて新たな試みを展開している盛山報告、そして会話を問題にするエスノメソドロジーにおける秩序・制度を問う椎野報告、と「秩序・制度」をめぐって異なったパラダイムからなされる議論の饗宴が期待される。こうした議論の展開が「行為と認識」に照準しながら「社会学基礎理論の現在」を描き出すひとつの契機となること、このことがコーディネーター側の願いである。会員の皆様の積極的な参加と関与を望んでいます。

第1報告

事実的秩序と情報的秩序の相互循環
――「社会情報学(Socio-informatics)」のアプローチ――

吉田 民人 (中央大学)

 1】社会システムや個人システムに見られる一定の共時的・通時的、一回起的・反復的な事象(行為や過程や構造など)のパタンを、当該システムの「事実的秩序」と名づける。

 2】社会システムや個人システムの事実的秩序を規定する、シンボル記号とりわけ言語記号によって担われる情報空間を、当該システムの「情報的秩序」と名づける。

 3】情報的秩序は、貯蔵水準と作業水準、コード領域とメッセージ領域という2組の軸で記述できるが、ここではその4象限を圧縮して、情報的秩序は、第1に貯蔵コード水準、第2に貯蔵メッセージ水準、第3に作業水準という3層構造を成すものと捉えたい。

 4】「貯蔵コード水準」の情報的秩序は、社会科学的視点からすれば、行動の個体的・集合的主体に関する概念・カテゴリー群、状況に関する概念・カテゴリー群、そして行動それ自体に関する概念・カテゴリー群の相互連関する「類型システム」にほかならない。

 5】「貯蔵メッセージ(stored message)水準」の情報的秩序は、貯蔵されて潜在態にある認知・評価・指令プログラム、および貯蔵されて潜在態にある認知・評価・指令メッセージから構成されている。「プログラム」は主体と状況と行動に関するメッセージ群の相互連関システムであるが、F(主体、状況、行動)=0という形式をもつ陰(implicit)プログラム(時間割表など)と、たとえば行動=F(主体、状況)などの、すなわち<if〜, then〜>という形式をもつ陽(explicit)プログラム(倫理など)とに分かれる。自生的な倫理や慣習や習慣、制定的な法や制度などは、すべてこの貯蔵メッセージ水準の情報的秩序に属している。情報的秩序の中核的部分にほかならない。

 6】「作業(working)水準」の情報的秩序とは、現実に認知的、評価的、指令的な制御機能を発揮する顕在態の陽プログラムと顕在態のメッセージ、ならびにそれらに使用されるコードをいう。作業メッセージは、一方、当該システムの第1・第2水準の情報的秩序(貯蔵されたコードやメッセージ)と各種の状況的要因とに規定されて形成されるが、他方、状況的要因と相呼応して当該システムの共時的・通時的、一回起的・反復的な事実的秩序を産出する。より具体的には、作業メッセージは、相互循環しながら展開し、あるいは限定される主題的(ゴフマンのフレームを含めて)適合性と問題解決的適合性、ならびにそれらを通底する記号論的適合性によって選択・確定され、他方、事実的秩序の産出は、一般に、作業プログラムの既定部分や未定部分を、状況的要因に依拠してアドホックに、ときには即興的に変更・確定しながら達成・実現される(1次の自己組織性)。

 7】事実的秩序の産出は、ひるがえって当該システムの第1・第2水準の情報的秩序を規定し返す、すなわちそれらを生成・維持・変容・消滅させる(2次の自己組織性)。

第2報告

制度研究と相対主義

盛山 和夫 (東京大学)

 社会の研究の枢要が結局のところ「制度」の研究であることは、社会学ではずっと以前から常識であったし、最近では経済学の方からもゲーム理論や合理的選択理論を用いた制度の研究が盛んになってきている。ただし、制度が一体どういうものなのかという点につては、社会科学者の間にこれまでずっと根本的な誤認があり、それは今日まで依然として続いている。それは、一口でいえば reductionism 志向である。制度はしばしば、何らかの自然環境へ(風土論)、国民性のような心理的特性へ、生産力と生産関係へ、技術水準や技術様式へ(情報社会論など)、システムの存続の必要性へ、神あるいは神のごとき歴史法則へ、あるいは他方では人々の合理性や効用へ、と還元されて説明されてきた。こうした還元主義はもはや支持することができない。

 では、制度とは何なのか。それは基本的には人々によって思念された意味の体系である。このことは、すでに拙著で論じたのでここでは繰り返さない。問題は、制度がそのようなものであるとき、それを研究するということにまつわる困難と陥穽が何であるかということである。

 最も陥りやすい傾向が(価値としてではなく)認識における相対主義であり、この問題は今日の多くの非還元主義的な制度研究者を困惑させている。それというのも、人々の思念された意味の体系の研究は自ら何らかの意味の体系に依拠することなしには遂行することができないばかりでなく、それ自体が新しい意味の創出や追加にかかわらざるをえないからである。この社会科学的な営為と対象としての制度現象とのハウリングは、古くて新しい問題であるけれども、還元主義のもとではそれほど深刻ではなかった。そこでは還元が行われる先の世界と社会科学の世界との分離がしばしば暗黙裡に前提されていたからである。(ただし、周知のように、包括的な還元論ではハウリングをひき起こした。)

 本報告は、今日の分析哲学における一般的な相対主義との関係において、このハウリング現象を分析し、制度研究という制度の存立可能性を論じる。

第3報告

会話秩序(制度)のエスノメソドロジー研究

椎野 信雄 (文教大学)

 「秩序・制度を問う」社会学の一環としてエスノメソドロジー研究もあるのだと思う。秩序や制度のエスノメソドロジー研究(以下EM)は、さまざまな社会学者(や研究者)から(理論的・経験的に)関心をもたれると同時に、またさまざまな解説が施されてきたようだ。(一般的には、ミクロ的アプローチの一つだと理解されている。)しかしながら、そもそもEMとは何であるのか? この問いには、いま現在にいたるまで、明快な解答が与えられないままのようである。その上にまた「会話分析」という新たなジャーゴンが付け加わり、EMは社会学やその周辺領域の研究者にとって、エニグマと化しているようにも思われる。あるエスノメソドロジストは『EMほど、解説者の手を通してひどい目に会ってきた学問分野を私はしらない』と書いている。彼の言葉どおり、私ももう一人の解説者になってしまう危惧を抱きながらも、本報告では、ある版形のEMの路線を追究してみようと思う。トピックとして取り上げるのは、会話秩序(会話制度)の会話分析である。

 いわゆる「会話分析」は、EMから発展してきた(最も一貫した)リサーチ・プログラムであり、周辺領域の研究者からは、社会学における「通常科学」プログラムの範例だと見なされることもある。一般の理解では、「会話分析」とEMは、同一のプログラムであり、両者は一卵性双生児のようなものだと思われている。本報告では、ある種の会話分析とある版形のEMは、まったく別のリサーチ・プログラムであり、他方で、別の会話分析は、ある版形のEMと再編できるものであるということを例示したいと思う。「秩序・制度を問う」本テーマ部会では、ある版形のEMすなわち「ポスト分析的」路線のEMの立場(脱理論化した社会学基礎理論の現在)から、会話秩序(会話制度)の会話分析そのものを題材にして、「秩序や制度のEMとは何であるのか?」という問いへの答え方を探究するつもりである。

報告概要

奥村 隆 (千葉大学)

 「行為と認識」部会は、今年度のテーマを「秩序・制度」に設定し、これをめぐる三つの異なる立場からの報告によって構成された。

 第一報告の吉田民人氏「事実的秩序と情報的秩序の相互循環−「社会情報学 (Socio-informatics)」のアプローチ」は、氏の社会情報学の包括的な枠組みに「秩序・制度」現象を位置づける試みであり、制度が「プログラムの貯蔵水準/作業水準/作動結果」という三水準をもつこと、エスノメソドロジーは後二者の水準に照準する研究と考えられること、などが主張された。第二報告の盛山和夫氏「制度研究と相対主義」は、従来の社会学的制度研究がさまざまな「制度の外部」を設定し、そこに還元する枠組みをとるのに対し、「外部」を設定せず「人々の思念においてのみ存在する」ものとして制度を研究する立場を主張し、こうした立場とポスト実証主義の認識論的相対主義がパラレルであることが論じられた。第三報告の椎野信雄氏「会話秩序(制度)のエスノメソドロジー研究」では、リサーチ・プログラムとしての会話分析が専門化・制度化・論理経験主義化を辿り、抽象的な方法規則で局所的な運用を説明する「伝統的社会科学の一つ」となっているが、そもそもエスノメソドロジーとは科学的分析というよりも、会話秩序を局所的な産出場面に再特定化することではなかったか、という問題提起がなされた。

 この三報告に対して、討論者の浅野智彦氏からは社会学理論の内部からの、藤田弘夫氏からは理論と実証の接合部からの、問いかけがなされた。浅野氏は、どの報告も行為が連接することとルールがあるように見えることの循環を論じているが、秩序や外部やメタルールを「先取り」してしまうことこそ問いの焦点ではないか、と論じ、藤田氏は、各報告が論じた抽象的な秩序が具体的な歴史・文化の脈絡でどう扱われるのか、端的にいってここには「社会問題」が登場しないが、これはどういうことなのか、という問いを提起した。

 時間の関係で十分に展開できたとはいえないが、「社会学理論」を「社会学」全体の(あるいは「社会」全体の)どこに位置づけるかというこの部会の二年間を通じてのテーマが、議論のなかでふたたび浮かび上がってきたように思われる。なお、フロアの参加者は約 130名であった。

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