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年次大会
大会報告:第46回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会1)

 テーマ部会1 「情報とネットワーク」−−−電子的ネットワークインターネットを社会学はどう受けとめるか
 6/13 14:00〜17:15 [4号館431教室]

司会者:川崎 賢一 (駒沢大学)
討論者:安川 一 (一橋大学)  宮田 加久子 (明治学院大学)

部会趣旨 川崎 賢一 (駒沢大学)
第1報告: 高度情報社会の理論と現実
――主として日本社会の文脈で――
大石 裕 (慶應義塾大学)
第2報告: インターネットの利用の実態と通信ツールとしてのEメイルの可能性 橋元 良明
(東京大学社会情報研究所)
第3報告: ダイナミック・プロセスとしての電子ネットワーク
〜社会構造への影響と社会的言説
遠藤 薫 (東京工業大学)

報告概要 川崎 賢一 (駒沢大学)
部会趣旨

川崎 賢一 (駒沢大学)

 本部会は、最近に見られる電子的ネットワークの現状とその問題点を、インターネットを中心にして、情報社会論と結びつけて、論ずることにある。まず、司会のほうから、インターネットの現状について、簡単にその統計的なデータをもとに説明し、インターネットの持つ可能性と限界の大筋を明らかにする。そして、3人の報告者から、次のような報告が予定されている。第一報告は、大石裕(慶應義塾大学)氏が、高度情報社会論を、日本社会を例にとって、その現状とそれに対する批判点を整理する。特に、1980年代から見られる「地域情報化」構想・政策を事例として論じる。第二のスピーカーは、橋元良明(東京大学)氏で、インターネットの利用の実態と通信ツールとしての可能性を議論する。氏はインターネットの利用者や利用形態が、商業ベース・マスコミベースでいわれているほど、ばら色ではないことを明らかにし、実体に基づいた諸制約について論じる。最後に、遠藤薫(東京工業大学)氏が、大石・橋元両氏の報告を受けて、電子的ネットワークの全体社会への影響について論じる。氏は、電子的ネットワークが「ばら色のネットワーク論」の段階を超え、「電子的ネットワークを埋め込んだ現実社会」の段階に入ったことを指摘し、その動向を考察する。3氏の報告の後、安川一氏(一橋大学)と宮田加久子氏(明治学院大学)にコメントを求め、会場の参加者を交えて、議論をしたい。実質的な議論が展開され、この分野の最前線の問題が明らかにされる。多くの社会学者が参加されることを期待している。

第1報告

高度情報社会の理論と現実
――主として日本社会の文脈で――

大石 裕 (慶應義塾大学)

 本発表の目的は、以下の2点に要約される。第一は、高度情報社会論が、産業社会・近代社会論において提示された理念・理論とどのような関係にあるかについて考察することである。第二は、高度情報社会論が構成する「現実」と、様々な資料に基づいて構成されるもう一つの「現実」との差異について検討を行うことである。

 そこでまず、日本における(高度)情報社会論(=情報社会モデル)の展開と、その特質について概観する。情報社会モデルは、未来社会論→ニューメディア論→マルチメディア論というように展開されてきた。ただし、そこではニューメディア・マルチメディアの普及によるコミュニケーション過程の変化と、それと連動した社会構造の変化(=社会変動)による情報社会の創出という図式が共有されている。

 こうした理論的動向を踏まえ、次に、社会の中のメディアという視点から、日本における高度情報社会の現状を踏まえつつ、情報社会モデルに関して、いくつかの批判を加えることにする。さらに、地域情報化構想・政策を事例として情報社会モデルについて、より具体的な批判を行うことにする。

 以上の作業を通じて、(1)日本においては、産業社会・近代社会論、さらにはそれを反映した政治構造の枠内で情報化は進展し、(2)高度情報社会といわれる今日においても産業社会の病理は様々な側面で深化し、(3)高度情報社会論は、そうした現実を覆い隠すために活用されてきた、といった点を確認する。そして、「近代化と情報化」に属する先行研究参照しつつ、その延長線上で情報化に伴う諸現象の理解に努めることの必要性について論じることにしたい。

第2報告

インターネットの利用の実態と通信ツールとしてのEメイルの可能性

橋元 良明 (東京大学社会情報研究所)

 橋元らは、1997年度において、大手プロバイダーの一つASAHIネットに協力を仰ぎ、ランダムサンプリングによる郵送法調査、およびオンライン調査を実施した。調査は (1)1996年からの利用実態変化(96年にも調査を実施している)、(2)女性のインターネット利用、(3)同一母集団に対する郵送法調査とオンライン調査の同一質問結果比較の3点を明らかにすることを目的とした。

 その結果、(1)インターネットのユーザー数自体は確実に増加しているものの、利用者層のデモクラフィック特性や利用のされ方においてまだまだかなりの偏り・跛行性があり、一部で喧伝されるほど一般的通信メディアにはいたっていないこと(別調査では日本人に利用率は12%弱でうち6割が職場・学校だけで利用)、(2)1996年から1997年にかけては、利用者の範囲が拡大したことに伴って、インターネット、特にWWWの利用時間が減少しており、WWWを見たり、ホームページを作成することに対する積極性はやや低下する傾向にある、(2)女性のインターネット利用者の特徴としては、男性と比べてヘビーユーザーが少なく、電子メールはコンスタントに利用しており、オンラインショッピングの利用意向などは高い、(3)郵送調査と比較して、オンライン調査では明らかにヘビーユーザーが回答する傾向にあり、WWW・電子メールの利用頻度、電子メールの送受信数がすべて郵送調査による回答と比較して高くなっている、等の利用実態が明らかになった。

 本報告では、実態調査に基づくデータをベースとして、日常メディアとしてのインターネットの可能性を探るとともに、特にEメイルに関し、そのメディア特性からくるコミュニケーション・ツールとしての諸制約を考察する。

第3報告

ダイナミック・プロセスとしての電子ネットワーク
〜社会構造への影響と社会的言説

遠藤 薫 (東京工業大学)

 インターネットに代表される電子ネットワークは、現実世界の中から産出されたものである以上、全体社会の下位システムとしてふるまい、同時に、あらゆる下位システムと同様の意味で全体社会に影響を及ぼす。しかも、電子ネットワーク上に構成される社会空間も、他のあらゆる社会空間と同様、常に変化し続ける。したがって、電子ネットワークが社会に組み込まれるという事態のみによって、必然的に、バラ色の未来社会が生まれたり、恐怖の超管理社会が生まれたりすると考えるのは、全くのナンセンスである。むしろ、電子ネットワークは「空っぽの空間」であり、現在、そこにいかなる力が作用しており、その結果としてどのような社会空間が構成されつつあるかを冷静に分析するのが、社会学者の役割といえよう。

 電子ネットワークの創生期には、大きく分類すれば次の四つの勢力が、互いに異なる意図のもとに、その形成を推進したと考えられる。すなわち、(1)国家戦略としてのネットワーク、(2)サイエンスとしてのネットワーク、(3)企業戦略としてのネットワーク、(4)市民運動としてのネットワーク、である。これらの「勢力」は互いに背反する部分と相互補完する部分を併せもち、しかもそれぞれが内部対立をはらみつつ、自らの影響力拡大に電子ネットワークが有効であると考えてきた。「バラ色のネットワーク論」は、こうした諸勢力が期せずして一致したところから生じた言説であるといえる。

 しかしながら、すでに普及段階に入った電子ネットワークは、上記のようなマクロな状況を意識せず、単に便利さに惹かれたり必要に迫られたりして電子ネットワークを利用する、大量の一般ユーザ層を内部に含みつつある。このとき、電子ネットワークは「もう一つの現実」ではなく、まさしく「現実そのもの」となり、同時に「現実」は「電子ネットワークを埋め込んだ現実」へと移行する。

 本報告では、1995年SSM調査や、1997年に遠藤らが実施した「メディアに関する調査」の結果などを交えながら、電子ネットワークをめぐる社会的言説と「電子ネットワークを埋め込んだ現実社会」の相互作用およびその現状と動向を考察する。

報告概要

川崎 賢一 (駒沢大学)

 本部会では、電子的ネットワークの利用実態とその問題点を、インターネットや情報社会論等と結びつけて、論じられた。まず第一報告(大石裕(慶応義塾大学))では、高度情報社会の理論と現実が論じられた。日本社会を例にして、過去にどう展開され、何が問題なのかを整理した。特に、1980年代から継続している「地域情報化」構想・政策を事例として、その実施の経緯と問題点、さらに、これからの分析の方向性が示唆された。

 第二報告(橋元良明(東京大学))では、インターネットの利用の実態と通信ツールとしての可能性が報告された。幾つかの調査結果をもとに、説得力を伴いながら、インタ―ネット利用・利用形態が、過去に述べられたような<ばら色>ないことを指摘し、将来的にも、どれだけ普及が図れるのか疑問を呈された。
 最後の報告(遠藤薫(東京工業大学))では、大石・橋元両氏の報告を受けて、CMC(Computer-Mediated Communication)ネットワークが埋め込まれた社会が、電子的ネットワークであり、その性質を指摘し、そもそも「近代社会」に内在するパラドックスがそこで露呈してきていることを、「トロイの木馬の往還」に喩えて説明した。

 3氏の報告の後、安川一氏(一橋大学)からは、自立的個人がどう実現されてきたのかという問が発せられ、もう一人のと宮田加久子氏(明治学院大学)は、社会経済的地位という変数を考慮する必要があるというコメントが出された。(また、会場からも活発な質問が出たことも付記しておきたい。)

 全体としては、かつてのばら色の情報社会論・電子ネットワーク論が影を潜め、どちらかというとペシミスティックな雰囲気が会場を支配していた。このことは、インターネットがいくら普及しつつあるからといって、その普及の仕方には、ある一定の歪みがあり、<健全な電子ネットワーク社会>が成立する可能性がそれほど高くないという直截な現実認識が必要だということを意味しているのであろう。

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