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年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)

 第4部会  6/12 11:00〜13:00 [114教室]

司会:中筋 直哉 (山梨大学)
1. 縄文文化=基層論の政治性:
知識社会学としての歴史社会学
ましこ ひでのり (埼玉大学)
2. 歴史社会学における方法論の問題
−比較歴史方法論を中心に−
細川 甚孝 (上智大学)
3. 戦時動員論再考
−歴史記述の問題として−
野上 元 (日本学術振興会)

報告概要 中筋 直哉 (山梨大学)
第1報告

縄文文化=基層論の政治性:
知識社会学としての歴史社会学

ましこ ひでのり (埼玉大学)

 1970年代まで絶対的優位をほこっていた単一民族国家論がいろあせたことは、いうまでもない。では「日本列島は混合民族空間であった」とか、「過去も現在の多様性にみちてきた」といった論調が一般化することで、問題はなくなるのであろうか? たとえば、「稲作中心の弥生文化がヤマト政権の基盤となり、律令制度や幕藩体制は、周辺にのこった縄文文化起源の生活空間を抑圧することに成功してきた。今後は弥生文化中心の史観をすてて、列島の多様性を再認識すべきだ」といった議論をみみにするが、論者の意図やその政治的意義に問題はないだろうか?

 すでに『イデオロギーとしての「日本」』で、昨今の単一民族国家観の相対化は、大衆的実感から乖離しており、論者自体が流行にのっているだけではないか(自身の生活実感からの遊離)と疑義をうちだしておいた[ましこ1997]。この延長線上でかんがえるならば、最近の縄文文化=基層論や、非稲作文化みなおし論の浮上の政治性や、論者の準拠枠に問題性がかぎとれる。結局のところ、日本列島/琉球列島の文化的連続性を時間的空間的に証明しようという論理、いいかえれば、弥生系住民(=正)の範囲に明白におさまらない辺境の異族(=反)を整合的に説明し(=合)、近代以降現在までさほどの破綻をみせずに連続性を維持できてきた国民国家日本の版図を時間的空間的に合理化=再構成するために無意識に構築され、洗練された論理とうたがわれる。

第2報告

歴史社会学における方法論の問題
−比較歴史方法論を中心に−

細川 甚孝 (上智大学)

 本発表において、歴史社会学の方法論に関する諸議論を、比較歴史方法論を中心にして検討する。

 日本において、近年、歴史社会学は、社会学の領域の一つとして、定着してきている。しかし、この定着の流れの中で、興味深いのは、方法論の議論がほとんどなされていないことである。この方法論の議論の欠如は、歴史社会学自体のアイデンティティを曖昧にし、また、歴史社会学における実証的調査に裏打ちされた理論的前進を鈍くしているのでは、なかろうか。

 本発表では、マックマイケル(McMichael, P)の提唱する「統合型比較」 (incorporated comparison)モデルを中心にして、比較歴史方法論の議論をとりあげる。この比較歴史方法論のモデルは、理論と実証の関係の問題、そして、分析単位・観察単位の問題など興味深い議論を含んでいる。そこで、この比較方法論のモデルの構造の検討、そして、他の比較方法論でのモデルとの比較を行う。 結論として、この「統合型比較」モデルがもたらす効果を検討する。そして、日本の歴史社会学への適応の可能性を探る。

第3報告

戦時動員論再考
−歴史記述の問題として−

野上 元 (日本学術振興会)

 かつて大西巨人は、野間宏の真空地帯をとりあげ、これを 「戦争文学の傑作」などではなく、「俗情との結託」の産物であるとして批判した。すなわち、野間は軍隊を「真空地帯」という異常な空間として捉えることで切り捨て、軍隊以外の社会の正常性、日常の安全を確保しようとする人々の「俗情」と「結託」しようとしている、というわけだ。大西に拠れば、我々は、戦争や軍隊を我々の生活と切り離すことなく考えてゆかなければならないというのである。

 近年の戦時動員論の文脈でいえば、こうした発想は,戦時動員のなかにー定の合理性や革新性を見る議論や、戦時期と戦前・戦後の連続性を見ようとする議論に連接しているようにみえる。また、それらとは少々方向が異なるが、冨山一郎は「戦場を思考すること」を通じて、日常/ 非日常という区分を揺るがそうと試みている。

 そうなると重要なのは、どういった種類の権利によって、連続/断絶、合理性/非合理性、日常/非日常などを評価するのか、ということになる。 これらの区分を成り立たせている平面、あるいは複数の平面の関連づけが問題なのだ。困難な課題ではあるが、そのためにも、問いを少しずらしてみる必要がある。そこには歴史記述(historiography)という問題の圏域がみえているように思われるのである。

報告概要

中筋 直哉 (山梨大学)

 第4部会は歴史社会学に関わる3報告によって構成されたが、いずれも単なる歴史的事実の社会学的再構成に留まらず、歴史という思考法に対して社会学の立場から再検討を迫る報告であり、歴史社会学の深まりを実感させる部会であった。またフロアもほぼ満席の盛況であったことも、歴史社会学への関心の広がりを実感させた。以下私見を交えつつ、報告内容を紹介してみたい。

 第1報告「縄文文化=基層論の政治性:知識社会学としての歴史社会学」(ましこひでのり)は、日本史学などにおける近年の縄文文化論の流行を批判的に読み解いて、それが、ナショナリズムの自明性が揺らぎつつある現代におけるナショナル・アイデンティティの再編に関わるイデオロギーに他ならないことを批判する。またそうした歴史イデオロギーの生産過程を具体的かつ批判的に読み解くことが知識社会学としての歴史社会学の課題であるという。私見では、歴史社会学が歴史イデオロギーの生産に荷担する危険性と歴史イデオロギーの生産者としての知識人の役割を鋭く指摘する点で刺激的な報告であった。

 第2報告「歴史社会学における方法論の問題―比較歴史方法論を中心に―」(細川甚孝)もまた、歴史社会学の自明化に対して批判的な視線を投げかける。P.マックマイケルの「統合型比較」モデルを中心に論じながら、歴史社会学に比較の視点を導入するためには分析・観察の単位の定義が必要なこと、その定義は現実の社会に対する研究者の問題関心から導かれるべきであることを主張する。私見では、「比較史」は近年経済学(プロト工業化論や比較制度分析)などにおいても流行の思考法であるが、それを社会学に採用する際の基本的な論点を提示する点で興味深い報告であった。その一方で、そうした立場からの社会学の伝統的な歴史研究法の再評価もまた可能ではないか、とも思われた。

 第3報告「戦時動員論再考―歴史記述の問題として―」(野上元)は、第1報告で示された、歴史イデオロギーの生産の論点を別の視点から探究する。ナショナリズムを論じる際重要な戦略的拠点となるのは国家間戦争に動員された国民の戦争体験であるが、それは記憶・回顧という回路を通して語り直され、さらに戦時動員論のような学問的言説に定型化されていく。そうした言説の水路づけの過程を批判的に読み解いて、その効果を測定するとともに、それに回収しないもう1つの歴史記述のあり方を模索する。興味深かったのは、質問に答えて報告者が、この研究の背景には戦争体験についてのヒアリング調査の際に感じた違和感があると述べたことである。私見では、もしそうであるなら、この報告はイデオロギー批判や言説の効果の分析に留まらず、いわゆる「口述の生活史」が提起したような社会学的実践に対して理論的な深みを与える可能性を持つように思われた。

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