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年次大会
大会報告:第50回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)

第4部会:事件・問題の記憶・意識  6/1 10:30〜13:00 [社会学部A棟404教室]

司会:浜 日出夫 (慶應義塾大学)
1. 教育現場における「沖縄問題」の諸相
−「復帰」前後を中心に−
高橋 順子 (日本女子大学)
2. 『記憶論』の意味するもの
−戦争非体験世代間のコミュニケーションを考えるために
藤森 啓 (東京大学)
3. 2001年9月11日以後の日本人の意識変化
−安全と国際貢献についての意識を中心として
種村 剛 (小山高等専門学校)

報告概要 浜 日出夫 (慶應義塾大学)
第1報告

教育現場における「沖縄問題」の諸相
−「復帰」前後を中心に−

高橋 順子 (日本女子大学)

 教育現場における「沖縄問題」の諸相を、「復帰」前後を中心に、日本教職員組合・日本高等学校教職員組合教育研究全国集会、及び沖縄県高等学校教職員組合教育研究集会の様子を手がかりに検討する。そこでは、「復帰」前に「沖縄問題」であったことが、「復帰」を経て、急速に「沖縄の問題」へと回収される様子がみてとれる。このことは、沖縄が「復帰」を通し、「日本」のシステムに巻き込まれていく様の端的なあらわれであると言えよう。

 教育現場における「復帰」前後の「沖縄問題」の諸相を、当時の背景と重ね合わせ、丁寧に読み解くことで、敗戦前の日本支配から「脱植民地化」する契機が奪われ、戦後の米軍統治により、アメリカの軍事要塞として「再植民地化」された沖縄が、日本に「復帰」する過程に注目し、1970年代の「日本」における植民地主義をめぐる状況を具体的に考えることを目指したい。それは即ち、現在も搾取され続ける沖縄が抱える問題を直視し、「日本」の欺瞞をあばき、旧植民地及び旧宗主国で、今なおつねに反復され、再生産され続けている「コロニアリズムの暴力」を照らし出すための一助となる。つまり「日本人」ひとりひとりの「戦後」責任の自覚を問うことにつながる。

第2報告

『記憶論』の意味するもの
−戦争非体験世代間のコミュニケーションを考えるために

藤森 啓 (東京大学)

 近年、米英仏日を中心に、「記憶論」――歴史的事実の認識・解釈自体を説明する議論、言い換えると歴史的事実の社会的・集合的レベルでの「想起」や「忘却」のプロセスや内容を観察しあるいは論じその規定条件等を考察する議論――と呼べる議論あるいは言明が、明示的または非明示的に、また話の焦点として、または他の議論内に潜在するものとして、頻繁になされるようになってきている(単に「記憶」という言葉を用いている諸論議のことを指しているわけではない)。本報告ではこのことを前提あるいは背景として、第二次大戦における「加害的/被害的」事実(歴史的事実)に関する、広義の「責任論」(想起と忘却)についての説明(「記憶論」)が、加害者側と被害者側のそれぞれにとって何を意味しうるかを考察する。より具体的には、A:日本における「責任論」――「従軍慰安婦」問題浮上と論争、「自由主義史観」台頭(これらは日本人の「想起」)――に対する (1)日本人による、(2)韓国人による説明(「加害者側」、「被害者側」を差し当たって国籍で分ける)、また同様にB:日本における「南京大虐殺」問題化と論争などに対する (1)日本人による、(2)中国人による説明を比較しつつ検討する。そして可能な限り逆のケース、つまり韓国や中国における「責任論」(韓国、中国人の「想起」)に対する加害側と被害側の説明、C:アメリカにおける「責任論」――原爆投下に関する論争――についての (1)アメリカ人による、(2)日本人による説明と、やはり逆のケースを扱う。こうした中から、戦争非体験世代にとっての相互のコミュニケーションのあり方を考えるためのいくつかの問題点を提示する。

第3報告

2001年9月11日以後の日本人の意識変化
−安全と国際貢献についての意識を中心として

種村 剛 (小山高等専門学校)

 「2001年9月11日」にアメリカ本土において同時多発テロ事件が発生したことは、私たちの記憶に新しい。そして、事件後しばしば「2001年9月11日以後、世界は変わった」と語られることがある。それに対して逆に、「変わっていない」といわれるときもある。このとき、「変わった(あるいは変わっていない)」といわれている「世界」の意味するものとして、「国際関係」、「社会制度」そして「人々の意識」を挙げることができるだろう。

 本報告では、上記3点のうち、特に「人々の意識の変化」――特に日本における人々の安全と国際貢献に関する意識の変化について――分析をおこなう。はたして、9月11日以後、私たちの安全や国際貢献に関する意識は変化したといえるのであろうか。この問いに対して、本報告では「日本人の安全や国際貢献に関する意識は、2001年9月11日の同時多発テロ事件をきっかけに、大きな変化が生じたのではないか」という「転換点仮説」をたて、既存の世論調査データの時系列的分析をおこなうことによって、当該仮説の検証を試みる。

 分析の結果、日本人の「安全と国際貢献に関する意識」は、事件を「転換点」として大きな変化があったというよりも、むしろ、当該の事件以前から緩やかに変化していることが明らかになった。

報告概要

浜 日出夫 (慶應義塾大学)

 第4部会では、以下の3報告が行なわれた。

  高橋順子「教育研究全国集会における『沖縄問題』の系譜」
  藤森啓「『記憶論』としての『戦争責任論』説明における潜在的困難」
  種村剛「2001年9月11日以後の日本人の意識変化」

 高橋報告は、日本教職員組合・日本高等学校教職員組合の教育研究全国集会の報告集を資料として、戦後における「沖縄問題」の問われ方の変化を考察したものであった。高橋氏は資料の丹念な分析から、69年の施政権返還決定を境として、「民族的課題」としての「沖縄問題」という語られ方が、日本の一地方としての「沖縄(だけ)の問題」という語られ方に急速に変化したことを示し、その背景に沖縄と日本の地政学的関係の変化があることを指摘して、「沖縄問題」を通して日本の戦後を問い直す視点を呈示した。これに対して、フロアからは変化とともに、連続性にも注目する必要があるのではないかという指摘がなされた。

 藤森報告は、加害者側と被害者側の双方における日本の戦争責任論についての説明を、記憶論の観点から比較研究し、両者のあいだの円滑なコミュニケーションの可能性を探ろうとしたものであった。藤森氏は、日本における戦争責任論を規定している要因をどこに求めているかに注目して、日本人と韓国人双方の説明を分類して分析した結果、日本人論者の説明が、被害者寄りの論者も含めて、コントロールの不可能な外部要因を強調する傾向があり、結果として、責任を回避する論理構造をもっているのに対して、韓国人論者は、内部要因を強調して、日本人に責任を帰属させながらも、内部要因のなかでもコントロールの不可能な心性に原因を求める傾向があることを明らかにし、このことが両者のコミュニケーションを困難にしていることを示唆した。

 種村報告は、しばしば言われるように、2001年9月11日に発生した同時多発テロ以後「世界が変わった」と言えるのかどうかを、人々の意識の変化に注目して検証しようとしたものであった。種村氏は、90年代以降行なわれた既存の世論調査データを時系列にしたがって分析することによって、日本人の安全や国際貢献についての意識は、9月11日の事件以後突然変化したというよりも、湾岸戦争以降すでに緩やかに変化していたことを示した。

 3報告はいずれも過去の出来事をそれ自体として考察するというよりも、その出来事についての現在の意識・記憶と関連させて考察するという共通の問題意識を持っていたように思われる。会場にも多くの参加者があり、活発な議論がかわされた。

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