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年次大会
大会報告:第51回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第10部会)

第10部会:カテゴリーの史的文脈  6/15 10:00〜12:30 [3号館3階331教室]

司会:鳥越 皓之 (筑波大学)
1. 日本人の鏡としての「日本」または「(日本)民族」について 今井 隆太 (早稲田大学)
2. 「農業観」「農村観」についての史的考察 高田 知和 (早稲田大学)
3. 「『青年』層」の創出と消滅
−昭和40年代における少年法改正論議を対象にして
桜井 秀夫 (東京少年鑑別所)

報告概要 鳥越 皓之 (筑波大学)
第1報告

日本人の鏡としての「日本」または「(日本)民族」について

今井 隆太 (早稲田大学)

 昭和初期から占領期までの「(日本)民族」に関する言説の分析をとおして、日本人のアイデンティティーのパターンを特徴づけたい。論壇および学界における「(日本)民族」の語は、1945年の敗戦以前には過剰に存在したことによって、逆に敗戦以降はすっかり影を潜めたことによって、その存在感に余韻を残している。過剰も、逆に欠乏も、ともに「民族」アイデンティティーの頼りなさを表わしていると仮定しよう。「民族」としての自己アイデンティティーは、近隣の他の諸民族との関係において、認識されるものである。ところが島国日本では、維新以来、地理的にというよりも感性的に隣国を選択し、対する自己像を練り上げてきた。そのなかで、1945年までの日本は、欧米列強に対してはアジアの小国として、アジアの諸民族に対しては植民地主義の大国として振舞うことを選択していた。そうした二重性が、「民族」概念のあいまいさにつながったのではないだろうか。あるいはむしろ、あいまいなものを尊ぶという、日本的な祭祀の構造にマッチしたのだろうか。対アングロ・サクソンの文脈における「民族」と、対漢民族の文脈におけるそれとの違い、および共通点。また、奇妙にも執拗に底流するまたユダヤ民族へのまなざしを対象としつつ、「民族」の概念に込められた日本人の病理の基層を探りたい。         以上

第2報告

「農業観」「農村観」についての史的考察

高田 知和 (早稲田大学)

 今日「農業」「農村」についてのイメージは、環境保全としての農業や安らぎの場としての農村といった働きが認知されるなど、従来に比べて多様になってきているといってよい。

 しかし本報告では、農業・農村についてのこうした多様な観方は、実は戦前段階の農村にあっても既に見られたこと、とりわけ実際の農民は多様な農業観・農村観を抱きながら毎日の農事に従事していたことを明らかにしたい。例えば農村の青年たちは、農業は過酷で苦しいと思いながらも、時によっては都会のマス・メディアによって流布された「農村(田園)は素晴らしい」という観方を受け容れていた。そして都会のそうした観方に対する反発を彼らが抱くとき、それはいったん自分で受け容れた観方を反転させたものであった。また昭和期に入ってからの流通過程の合理化の結果として、農民たちは商業的志向性も強く持っており、いわゆる農本的思考が最末端の農村で見られていたわけではなかった。このように農業観・農村観は戦前期から決して一様のものではなかったが、ただ強固な地主小作関係や狭隘な労働市場と農産物市場、それに何よりも他ならぬ農民層の表現能力の欠如のために実現・表現されなかったのである。本報告ではこうした多様性を茨城県内の一農村における小自作農家の青年の日記記述から指摘し、さらにそれらがどのようにして形成されていたのかというところまで明らかにしていきたい。

第3報告

「『青年』層」の創出と消滅
−昭和40年代における少年法改正論議を対象にして

桜井 秀夫 (東京少年鑑別所)

 本報告では、昭和41年に法務省が発表した「少年法改正に関する構想」を起点にして、当時の少年法改正論議を対象に言説内分析を試みる。構想には「青少年法」と「別案」という二種類のたたき台が用意されていたが、そのいずれもが現行法の採用する「少年・成人」の2区分制から、「少年・青年・成人」の3区分制への移行を改正の柱とするものであった。この中間期ないしは過渡期としての「『青年』層」という新たな年齢層の設定は、専門家のみならず、様々な賛否を当時の世論にも巻き起こしたが、その後の変遷を経て、改正論議の一応の終着点である昭和52年の「中間答申」では、「『青年』層」というカテゴリーすら用いられることはなかった。

 少年法におけるこの新たなカテゴリーの創出にめぐる言説内部の経過分析を通して、その中間期的性格によって本質主義的論争の決着が困難になる論理、また改正論議の実質が既に失われていると分かっていながらも「語らされてしまう」ような言説の権力作用、そして存在論または手続論として「『青年』層」を語る位相のズレがまさにそこに働いていることなどが明らかになった。また、消滅ないしは変換された社会問題を観察者がいかに辿り、語りうるかという課題についても検討していきたい。

報告概要

鳥越 皓之 (筑波大学)

 3つの報告は、この部会の名前にふさわしく、史的文脈のなかで社会的なキーワードとなるカテゴリーを再検討するという性格をもつものであった。ただこれら3つの報告は、相互の関連性が弱いものであったので、以下に個別に論じることにする。

 第1報告の今井隆太氏の「日本人の鏡としての『日本』または『(日本)民族』について」は、事前に配布される『報告要旨集』の内容とは少しばかり異なり、「聖徳太子のイメージ」を軸にしながら論を展開するものであった。聖徳太子についての代表的な研究史を分析することを通じて、氏は政治的意図をもって形成されてきた聖徳太子像を明らかにするとともに、それが戦時の翼賛政治体制にどのような形で利用されたかという実態について検討された。そして日本人の自己アイデンティティと聖徳太子像についての関連性というおもしろい切り口を示された。

 第2報告の高田知和氏の「『農業観』についての史的考察」(『プログラム』とタイトルが異なる)は、1930年代を中心として、茨城県のある小自作農の日記を丹念に分析して、農業についての考え方を探ろうとするものであった。とりわけ、現在の農民がもつ農業観との連続性を強調された。いくつかの指摘のうち、季節によって農業観が変わるという指摘に、私はたいへん興味をもった。

 第3報告の桜井秀夫氏の「『青年』層の創出と消滅――昭和40年代の少年法改正論議を対象にして」は改正論議を手掛かりにして、「青年層」という年齢区分概念がどのように生まれ、それがどのような経緯で、法的に誕生できなかったかを論じた興味深い報告であった。その改正論議というものが、本質論的な検討よりも、手続き論になり、それが固有の青年層を生み出すことを妨げたという指摘であった。

 それぞれの報告は、自分の関心をうまく生かしながら論を立てられていたが、結論がやや茫漠としていて、今後の継続的な研究に期待する性格のものであった。

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