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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第3部会)

第3部会:社会体制とナショナリズム  6/19 10:00〜12:30 [120年記念館(9号館)7階976教室]

司会:小井土 彰宏 (一橋大学)
1. 断片化するトルコのナショナリズムの行方 滝本 順子 (慶應義塾大学)
2. 国民性の重層的制度化とナショナリズム運動の〈可逆性〉の問題
---M. Hechterナショナリズム論の検討---
阿部 純一郎 (名古屋大学)
3. 「アメリカ民主主義」の脱神話化と討議民主主義
---1950、60年代の公民権法案審議との関係から---
本田 量久 (立教大学)
4. 培養されたハビトゥスと「行政技術」という職能
---スハルト新秩序体制下における「公務員」と地域社会---
小林 和夫(日本大学)

報告概要 小井土 彰宏 (一橋大学)
第1報告

断片化するトルコのナショナリズムの行方

滝本 順子 (慶應義塾大学)

 トルコでは、1980年代以降ナショナリズムの断片化が見られるようになっている。特に、90年代以降断片化の現象が社会運動、政党の支持、生活様式の変化などとして現れている。本報告では、ナショナリズムの断片化の動きが今後も継続するのか否かについて考察していきたい。
トルコでは1923年の共和国建国以来、政教分離政策の下、国民国家体制を維持しようとするケマリスト・ナショナリズムに基づいて、国家建設・統合が行われてきた。80年頃まではケマリスト・ナショナリズム以外の市民意識の表明は、厳しく制限されてきた。

 しかし、1970年代から続く都市化・工業化といった社会変動の影響により、3年の三度目の民政移管以降、ナショナリズムの断片化がみられ始めている。さらに、80年代の祖国党政権下で続けられた自由化政策、グローバル化の進展と東西冷戦の終結による国際環境の変化により、90年代には断片化が加速した。例えば、ケマリスト・ナショナリズムの世俗主義に批判的なイスラーム主義、欧米寄りの外交に批判的なパン・トルコ主義といった対抗的な動きが「主流国民」の間で高まった。また、クルド人の自治権要求運動やアレヴィ復興運動といったエスノ・ナショナリズムの動きも活性化した。ただし、最近の動きとして、2002年11月の総選挙で親イスラーム政党といわれる公正発展党が単独政権を握ったように、断片化からの収束とも思われる動きも現れている。

第2報告

国民性の重層的制度化とナショナリズム運動の〈可逆性〉の問題
---M. Hechterナショナリズム論の検討---

阿部 純一郎 (名古屋大学)

 西洋諸国は、ナショナリズムが初めて生起した場所であると同時に、いち早くその消滅を宣言した場所でもあった。だが二つの世界大戦後、アジア・アフリカ新興諸国の「国民建設(nation-building)」政策に感じられたナショナリズムの余波が、さらに数十年の間に、突如として社会主義諸国間の民族紛争ならびに西欧諸国内のエスニック・ナショナリズムにまで波及したとき、ナショナリズムの生起・消滅に対する主張もまた、その理論的な修正を余儀なくされた。こうして1970年代以降、ナショナリズム研究には一種の地殻変動が生じた。

 ただし、これら一連の諸研究は、ナショナリズムの歴史的発生を、主に政治的・経済的・文化的・社会的諸条件の長期的変容過程に求める点で一致しながらも、その死滅に関しては、なお論者の間に意見の相違が見られる。報告者の見解では、この差異の原因は、各自の政治的・学問的立場の差異もさることながら、短期的・流動的・断続的な形態で生起するナショナリズムに対する理論関心の相対的欠如にも起因している。

 上記の問題意識から、本報告では、M.Hechter(1943−)の一連の著作の検討を通じて、彼の一貫した理論関心がナショナリズムの「可逆性(reversibility)」の問題であることを確認した上で、特に、二つの異質な国民性の制度化とその重層性という論点を理論的に抽出する作業を行なう。またこの観点から、未だナショナリズム研究において強固に作用している、本質(実体)主義の問題点を明らかにする。

第3報告

「アメリカ民主主義」の脱神話化と討議民主主義
---1950、60年代の公民権法案審議との関係から---

本田 量久 (立教大学)

 本報告は、1950、60年代の米国を取り巻く国内外の状況に着目しつつ、一連の公民権法成立に至るまでの立法プロセスにおいて展開された討議の民主化機能を明らかにすることを目的とする。公民権運動や国内世論の高まりといった国内情勢と、第二次世界大戦の勝利、国連の創設、脱植民地化、反植民地主義・反人種主義の高まりといった国際情勢を背景に、1950年代から1960年代にかけて、連邦議会司法委員会で開催された公聴会では、公民権法案を巡って法案反対派と法案賛成派がそれぞれ相反する内容の主張を展開する。結果的には、南部地域の偏狭な特殊利害に拘泥した法案反対派の意見よりも、さまざまな特殊利害を越えた普遍的な民主主義の実現を訴えた法案賛成派の証言内容が積極的に採用され、1964年公民権法と1965年投票権法が成立することになる。ただし、一連の公民権法の成立は、理性的な討議、米国伝統の理想主義、連邦政府・連邦議会の道徳的配慮だけでは充分に説明できない。この時期に展開される一連の民主化は、(1)排除の構造に対する被剥奪集団の能動性(米国政府への圧力)、(2)安定的な社会秩序の維持を図ろうとする政府側の統治戦略や国際世論の支持を集めるための外交的配慮、(3)米国社会と米国政府の双方向的な関係、(4)討議の民主化機能(公聴会の機能など)といった要因が複雑に絡み合った結果ではないだろうか。以上の視点から、人種問題の乗り越えを目指した当時の米国政治を論じながら、討議民主主義理論の可能性を明らかにしてみたい。

第4報告

培養されたハビトゥスと「行政技術」という職能
---スハルト新秩序体制下における「公務員」と地域社会---

小林 和夫(日本大学)

 多くの論者がつとに指摘しているように、スハルト新秩序体制下では、すべての「公務員」は「インドネシア共和国公務員団」(Korpri)に加入が義務づけられ、政権与党ゴルカル(Golkar)の厚い支持基盤を形成した。また、1980年代に入ると、「公務員」は公定イデオロギーであるパンチャシラ(Pancasila)研修講座の受講が義務づけられ、昇進や昇給を含めた勤務評定にパンチャシラの理解度が重要視されるようになった。この結果、「公務員」はパンチャシラに対する内面的・外面的態度が査定され、面従腹背の態度が許されないようになっていった(土屋 1994)。

 本報告では、上述の背景をふまえ、新秩序体制下のインドネシアで政策的に培養された「公務員」(白石 1997)が、職場を離れた日常生活において、居住する地域社会にどのような文脈で関与してきたのか、また、どのような影響を与えてきたのかについて考察する。このため、とくに「公務員」という社会層のもつハビトゥスに着目し、それが諸規則を適用させる「行政技術」(Kasza 1995=1999)という職能と親和的であったことをあとづける。

 「公務員」のハビトゥスについては、「インドネシア共和国公務員団」の月刊誌が募集した懸賞論文の受賞作品や論評を分析対象として析出する。そして、報告者が実施したジャカルタでの定着調査の知見から、「公務員」のハビトゥスと親和的な「行政能力」という職能が、地域社会にとって構造的、かつ、不可避的に要請されてきたことを示す。

報告概要

小井土 彰宏 (一橋大学)

 第一報告は、90年代以降の公正発展党による新たな多数形成が、単純なイスラム主義の台頭などではなく、分散化をとげた政治社会情勢の中で、イスラム主義とトルコ民族主義の統合という思想的再編成の産物であり、多様な不満や社会的なネットワークを基盤とするものであることを明らかにした。第二報告は、M.ヘクターのナショナリズムの研究が、経済的還元主義的なものではなく、政治的な編成過程の中での新たな連帯様式であり、その形は経済的要素と文化的な要素の各次元の結びつき方によって可変的なものと考えていたことを指摘した。第三報告は、J.ハバーマスの討議民主議論を導入しながら、それに国家の統治戦略・国際的な文脈といった視点を加え、アメリカ合衆国の60年代公民権法の成立過程において、公聴会を通して討議民主主義が果たしたダイナミックな機能を指摘した。第四報告において、インドネシアのスハルト政権下で、体制を支える道徳が特に公務員層において極めて徹底した研修システムを通じてそれがハビトゥスとまでなり、さらに地域の基礎的単位にまで浸透するメカニズムが描き出された。以上、多様なテーマを横断し、ナショナルな意識をめぐる政治過程を、経済還元主義や文化的な本質主義といった視点を乗り超え、政治体制や社会制度・構造の多面的な変動の中でそのような意識、態度、連帯組織が生成をする過程を捉えようとする姿勢において、研究視角の接近が見出されたことにこの部会の意義があったといえるだろう。

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