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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)

第4部会:労働・職場  6/19 10:00〜12:30 [120年記念館(9号館)7階975教室]

司会:上林 千恵子 (法政大学)
1. 「自己責任」の時代 種村 剛 (中央大学・関東学院大学)
2. 平等化戦略の矛盾と限界
---就業継続における妊娠期の問題をめぐって---
杉浦 浩美 (立教大学)
3. 「週五日勤務制」導入と「余暇」問題の韓国的経験 李 百鎬 (東京大学)
4. 民間における「監視」の効果
--- 企業内における「メール解析」を事例として---
鈴木 謙介 (東京都立大学)

報告概要 上林 千恵子 (法政大学)
第1報告

「自己責任」の時代

種村 剛 (中央大学・関東学院大学)

 近年用いられている「自己責任」という言葉について、考察をおこなう。そして、次に示すことを述べる。新聞のデータベースから得られた資料を手がかりにして、次のことを述べる。第一に、日本では、80年代に「自己責任」という言葉が登場し、使用されていること。第二に、当時の「自己責任」は、「規制緩和」を背景とした「経済領域」および「教育改革」の文脈で用いられていたこと。第三に、当時は、「個人」の「自己決定」に対して「自己責任」が求められていたわけではないこと。第四に、「自己決定」と「自己責任」が新聞上で言われるのは90年代に入ってからであること。

 次に、上記の第二の論点を展開させ、次に示すことを述べる。

 第一に、経済領域で「自己責任」が必要とされる理路として、@公正な市場競争をおこなうためには「自己責任」原則が必要であること、A従来の「日本的経営システム」は「自己責任」原則が徹底していないと言われていたこと、以上の二点を指摘できること。第二に、「市場競争」において「自己責任」の必要がいわれるが、「市場の原理」は「自己責任」を必ずしも担保しないこと。言い換えれば「自己責任」は「市場の原理」の外部の資源であること。このことは「自己責任」原則が「市場の原理」を徹底する以外の社会のしくみを導出する可能性を持ちうること。

第2報告

平等化戦略の矛盾と限界
---就業継続における妊娠期の問題をめぐって---

杉浦 浩美 (立教大学)

 女性労働者における「仕事と家庭の両立」というテーマは、これまではもっぱら「育児との両立」という視点から論じられてきた。しかし、多様化する女性労働の現場において妊娠期における「仕事との両立」はどのように果たされているのだろうか。そこに様々なトラブルや葛藤は生じていないのだろうか。報告者は以上の疑問に基づき、女性労働者の妊娠期の問題について、これまでアンケート調査や聞き取り調査を行ってきた。その結果、(1)ハードワークとの両立において生ずる身体的トラブルとそれが女性側の自己責任として回収されてしまうシステム、(2)大きなお腹といった女性の身体性の表出による周囲との関係性の変化とそれに対する女性側の葛藤、(3)現状の職場において母性保護措置は「要求しづらい権利」であり十分機能していないという制度的側面、などさまざまな問題を論証してきた。

 本報告は、それらの調査結果と分析に基づきながら、就業継続における妊娠期の問題を「平等化戦略の矛盾と限界」として提示する。「男女の差異を主張しない」という平等化戦略によって労働の場に参入した女性たちは、たとえ妊娠したとしても、やはり「差異としての妊娠」を主張できずにいるのではないだろうか。そのジレンマ的状況を女性たちの語りにそって考察する。

第3報告

「週五日勤務制」導入と「余暇」問題の韓国的経験

李 百鎬 (東京大学)

 「時短=余暇増」の問題が世界的基準になったのは、1919年のILO第1号条約によるが、労働時間に対する契約当事者間の決定という慣行を破り、国家的な規制が加わるようになったのは、19世紀前半からのことである。そもそもは過大な長時間労働から労働力を保全するための「効率性」によるものではあったが、19世紀の後半になると人間としての権利の保証という生活の質を問う「規範性」の問題として展開するようになった。

 そしてアメリカでは1950年代に入ってから、日本においても1960年代初頭から、「時短=余暇増」の問題は、「余暇社会論」という一種のユートピアへの〈希望〉として盛んに語られるようになった。この「余暇社会論」は、産業社会の発展→労働時間の減少→余暇時間の増大という「産業化論理」によって支えられ、諸個人の楽しみを通じての自己実現という価値を付与することによって妥当性を確保しつつ、諸個人の〈楽しみの追求〉にアリバイを提供した。実際に多くの先進諸国はGDPの1万ドルを超える時点で「時短=余暇増」の政策的側面である「週五日勤務制The five-dayworkweek(日本では週休二日制)」が議論され定着するようになった。韓国においては2003年8月29日に「週五日勤務制」を盛り込んだ「勤労基準法」の改定案が成立し、1998年から議論されてきた法廷勤労時間(週40時間)が2004年7月から段階的に施行されるようになる。当然、社会的諸領域に新たなパラダイムの変化が見込まれるが、本報告は、本法案の成立に辿り着くまでの経緯と争点を追ってみることによって、「余暇」問題の韓国的経験を明らかにしつつ、その知見を昨今においては下火になっている「余暇社会論」に振り戻すことによって、「余暇社会論」の今後の可能性について考えたものである。

第4報告

民間における「監視」の効果
--- 企業内における「メール解析」を事例として---

鈴木 謙介 (東京都立大学)

 世界的にはテロリズムの頻発によって、そして我が国では少年犯罪などで注目されたことによって、「監視」による治安維持が重要なテーマとして浮上している。その多くは監視カメラ、それもとりわけ警察などの公的権力によって設置されるカメラを主たる問題として取り扱うが、本報告ではそれよりも重要な素材として取り扱うべき、民間によって設置される監視テクノロジーを主題とする。民間によって設置された監視のデータが警察や公安などの手に渡り、官民一体の監視を形成しているというのも理由にはなるが、それよりも注目すべきは、さまざまな監視のためのテクノロジーが民間の領域において、純粋に民間利用のために用いられつつあるという現状であろう。例えばアメリカにおいては、健康診断のデータによって経営者が労働者を解雇するか否かを決定するといった事例が既に報告されている。今回はそのような監視の例として、企業内における社員の電子メールの管理・解析を取り扱う。電子メールをクライアントとの主要なコミュニケーション手段として採用する企業は年々増加しているが、そのメールの内容をすべて把握し、記録するためのソフトウェアが多数登場してきている。

 本報告ではそうしたソフトウェアがいかに利用されているかを見ることで、現在注目されている「監視」の本質について考察する。

報告概要

上林 千恵子 (法政大学)

 第4部会は「労働・職場」をテーマとする部会であるが、報告者は狭義の労働研究を志向しているというよりも、言説分析、ジェンダーの平等化戦略、余暇社会論、管理社会論の流れから研究を進めていた。しかし、以下に見るように共通して論じられたのは集団に対する個人の自由という社会学の根源的問題であり、基本的には集団が単位である職場や企業において、どのように個人の自立が可能かという問題がさまざまな角度から分析された。報告者と個別テーマは以下のとおりである。

 1.「自己責任」の時代  種村剛(中央大学)
 2. 平等化戦略の矛盾と限界〜就業継続における妊娠期の問題をめぐって  杉浦浩美(立教大学)
 3.「週五日勤務制」導入と「余暇」問題の韓国的経験  李百鎬(東京大学)
 4. 民間における「監視」の効果〜企業内における「メール解析」を事例として  鈴木健介(東京都立大学)

 最初の種村報告は、新聞、雑誌記事に使用された「自己責任」という用語の使用頻度を手がかりとしながら、1980年代以降、規制緩和を旗頭とする市場競争原理を強調する経済の在り方が、教育の側面においても、「自己責任をとる個人」の涵養を促したと指摘した。第2の杉浦報告は、妊娠期女性の就業継続の問題を取り上げた。「性差よりむしろ個人差」という女性自身の平等化戦略が、他方では女性固有の妊娠という事実を女性の自己管理能力、個人の能力の責任にのみ帰する危うさを、会員制ワーキングマザーのホームページ登録者アンケートから抽出した。第3の李報告は、2003年に成立した韓国の「勤労基準法」の中の週休2日制問題(韓国の表現では週5日勤務制)を取り上げ、韓国の新世代(若年者)が余暇の中に価値観を見出すように変化しているが、その価値観は他の諸国のようなミドルクラス固有のものでなく、可変的な流動性文化であると指摘した。第4の鈴木報告は、フーコーの監視論を下敷きにしながら、情報テクノロジーの発展が企業の内外における労働監視を強めていること、顧客サービスのためのデーターアーカイブの蓄積が、労働者管理の効率化へとつながっていることを指摘した。

 以上、本部会では「職場、経済活動における個人の責任」という問題が極めて今日的なテーマと絡ませて提示されていたと思う。

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