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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第6部会)

第6部会:支援とネットワーク  6/19 14:00〜16:30 [120年記念館(9号館)7階977教室]

司会:高田 昭彦 (成蹊大学)
1. 〈支援〉の社会学
---ハンセン病問題のアクチュアリティをめぐって---
本多 康生 (東京大学)
2. 戦前・戦中・戦後日本社会におけるボランティア像の変遷 木下 征彦 (日本大学)
3. 市民たちはネットワークに何を夢みるのか
--- 世田谷まちづくりの30年の軌跡から---
平井 太郎 (東京大学)
4. 参加をシェアする 三上 直之 (東京大学)

報告概要 高田 昭彦 (成蹊大学)
第1報告

〈支援〉の社会学
---ハンセン病問題のアクチュアリティをめぐって---

本多 康生 (東京大学)

 ハンセン病国家賠償訴訟を契機として、ハンセン病に対する社会規範は根底から転回した。だが、ハンセン病に対する社会的合意と当事者のハンセン病概念の乖離は尖鋭化し、入所者の阻害された家族・社会関係を回復する契機は、依然としてほとんど喪われたままである。

 本報告が焦点化するのは、入所者や家族に寄り添って、入所者の阻害された家族・社会関係の回復を試みる支援者の活動である。援助職による施設化された対人援助――施設ケア――では掬い取ることのできない当事者の潜在的ニーズ(「聞こえない声voice within」)を聞き取るには、個別的で唯一的な入所者との関わりの中で、どのように自らの責任看取を果たすかという、非専門職としての支援者の当事者性がまず問われる。

 本報告では、支援者と被援助者を、〈支援〉という相互行為への参加行為者として捉え、それぞれの行為者が織りなす、諸制約に基づく営為が、個別の事案に対する〈支援〉という相互行為に、継起的・再帰的に編成されていくプロセスを記述する。

第2報告

戦前・戦中・戦後日本社会におけるボランティア像の変遷

木下 征彦 (日本大学)

 「奉仕・献身から自己実現・生きがいへ」と評されるように、わが国社会におけるボランティア像は大きく変わりつつある。

 かつては他者あるいは社会への高い意識をもった一部の献身的な人々によって担われ奉仕されるものとされていたわが国のボランティア像が、現在では誰もが気軽に参加でき、活動する本人にとっての自己実現や生きがい獲得の機会となりつつあることは衆目の一致するところである。しかし、これらの変化はこれまで多くのボランティアの研究者や実践者によって体験的に語られてきたものの、前者のようなボランティア像がどのようにして成立したのか、そしてどのように後者へと変遷あるいは転換をしていったのか、こうした歴史的な視点にたった実証研究はほとんど提出されていない。

 そこで本報告では、新聞紙面を中心とした資料を用いることにより戦前・戦中そして現在に至る戦後社会を対象として「奉仕・献身」としてのボランティアの成立と「自己実現・生きがい」としてのボランティアへの変遷に焦点を当てつつ検討する。

 「ボランティア」という外来語が移入される以前に多用されていた「奉仕」や「篤志」の語が指示する内容を詳細に検討しつつ、各時代におけるボランティア像の様相を抽出する。さらに活動の実態、担い手等の変遷も加味しつつ、冒頭に述べたボランティア像の変遷を通史的に整理し描き出す予定である。

第3報告

市民たちはネットワークに何を夢みるのか
--- 世田谷まちづくりの30年の軌跡から---

平井 太郎 (東京大学)

 市民社会あるいは公共性という概念が、社会を分析し構想するうえで、あらためて援用されている。ここでは市民社会なり公共性なりを目指す動きが、どのようにして生成してくるのかを問い直したい。これらの概念は時間の彫啄に耐えてきた。それだけに議論をつねに、普遍的な文脈に回収する危険性を孕む。なぜこれらの概念が人びとを動かす力ももつのかを、ひとつひとつの生の水準から明らかにしたい。

 具体的には、東京都世田谷区におけるまちづくり運動の軌跡を見る。1970年前後から、生活者と専門家が協力して、身近な生活問題の解決を図ってきた動きは、世田谷まちづくりとして広く知られている。そこで重視されてきたのは、ネットワークと呼ばれる関係性である。新しい公共などと読み換えられつつ、現在も希求されている。

 なぜネットワークに人びとが惹きつけられるのか。ここでは、ネットワークの側からでなく、個別な動機をもった人びとの側から、この問いに接近してみたい。そこで、世田谷まちづくりに関わった30人あまりに、オーラル・ヒストリー・スタイルでインタビューし、ネットワークに関与した動機を探った。その結果、(1)政治的なコミュニケーション、(2)帰属感の確認、という2つの動機の複合が、くりかえし取り出されてきた。

 2つの動機は、従来のネットワークの機能分析において、手段/目的として図式化されてきた。問題は、人びとの生において、この2つの動機がどう、そしてなぜ有機的に結びついているかである。ここでは、世田谷における人と場所の流動性を鍵に、考察する道筋を示しておきたい。

第4報告

参加をシェアする

三上 直之 (東京大学)

 ワークショップや行政・住民の協働プロジェクトなどといった「参加型」の手法は、まちづくりや環境政策、福祉、社会教育といった領域で、近年、ごく一般的に導入されるようになっている。だが、それらの手法がどこまで幅広い市民を巻き込みえているのかという点からみると、実際には、一部の活発な層に参加が固定化しているというケースが少なくない。多くの場合、不参加層は「興味・関心がないから」「熱意がないから」参加しないのだと見なされ、問題の核心は、あくまでも「志」のある活動者層にとっての参加にあって、不参加層の問題は周辺的な問題として片づけられてきたように思われる。

 本報告では、できるだけ幅広い層の参加を目指すべきだという前提に立ったとき、現状の「参加型」手法に多くの障壁があることを、埋め立て計画中止後の環境再生を市民参加で審議した千葉県の「三番瀬再生計画検討会議」を事例として明らかにしたい。ここで障壁というのは、具体的には、長時間・長期間の拘束を前提とする会議スケジュール、関連する専門知識を学ぶ機会の不足、市民参加での決定が政策に反映される見通しの不透明性、などである。三番瀬の事例では、こうした障壁が、はじめは期待を持って円卓会議を見つめていた参加者を急速に遠ざけていく現実があった。

 これら障壁の背景には、常時の、継続的な参加を中心にすえる「フルタイムの参加」論が存在する。報告では、三番瀬の市民活動を事例に、断続的でパートタイム的な参加のあり方を通して「参加をシェアする」という可能性を考えてみたいと思う。

報告概要

高田 昭彦 (成蹊大学)

 まず4人の報告者とそのタイトルを示そう。本多康生「〈支援〉の社会学――ハンセン病問題のアクチュアルティをめぐって」、木下征彦「戦前・戦中・戦後日本社会におけるボランティア像の変遷――朝日新聞記事を中心として」、平井太郎「市民たちはネットワークに何を夢みるのか?――世田谷まちづくりの30年の軌跡から」、三上直之「参加をシェアする――三番瀬円卓会議から考える」。これらの内容を大きくまとめるとすれば、社会変革の主体の形成と変革の仕組みの検討と言える。

 本多は、元教員のハンセン病国家賠償訴訟の支援者が、「支援者」でも「ボランティア」でもない「共通の活動への参加行為者」として自己を再構築し、運動を担う主体となっていく過程を報告した。木下は、「奉仕」と「ボランティア」の2つをキーワードに75年間の『朝日新聞』の記事を検索し、ボランティア像が「奉仕・献身」から「自己実現・生きがい」へと変わると同時に、より社会に目を向けた社会変革につながるものになっていることを指摘している。平井は、世田谷区における市民まちづくりをキーパーソンへのインタビューによって辿り、担い手と制度との関わりで「参加のまちづくり」と「合意のまちづくり」という2つの論理形式を出し、前者では制度を活かしたネットワークをつくり、後者では市民どうしの合意をもとにネットワークをつくるとし、まちづくりの主体として3つの世代を見出している。三上は、三番瀬円卓会議が「全面公開」「参加の機会の拡大」「行政からの自律性」を徹底したことから生じた問題群を整理し、市民の参加の仕方や討議民主主義の手法を検討している。このような支援者による運動、ボランティア、まちづくりの運動、円卓会議の先には、市民を軸に構築される新しい社会を垣間見ることができよう。

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