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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第8部会)

第8部会:マイノリティとアイデンティティ  6/19 14:00〜16:30 [120年記念館(9号館)7階975教室]

司会:石川 准 (静岡県立大学)
1. 多文化教育の実践
---北アイルランドにおける統合学校の事例から---
新城 文絵 (立教大学)
2. 「ペルー会」からみる過去の共有体験
---「日系ペルー人」というアイデンティティについて---
仲田 周子 (日本女子大学)
3. ハンセン病者のなかの在日コリアン
---アイデンティティの政治学---
青山 陽子 (東京大学)
4. ある被差別部落出身女性にみる「身元隠し」から出身の表明に至る自己認識の変容 服部 あさこ (専修大学)

報告概要 石川 准 (静岡県立大学)
第1報告

多文化教育の実践
---北アイルランドにおける統合学校の事例から---

新城 文絵 (立教大学)

 本報告では、北アイルランドにおける統合学校を事例とし、その設立の原動力となった市民運動に着目して検証する。

 従来、カソリック系とプロテスタント系とで隔離教育が行われてきた北アイルランドにおいて、両者の子供たちがともに学べる場として設立されたのが統合学校である(Lagan College, Belfast, 1981)。これは、「すべての子供たちを一緒に(All Children Together)」という、宗派の対立を乗り越え、平和な未来社会を望む親たちのグループが中心となって実現したものであるが、当初は政府からの公的資金援助等はいっさいなく、また、教会からの反発も強かった。連合王国(U.K.)は、「多文化教育」には寛容な国だという認識があるが、この北アイルランドの統合学校の事例は、政府や地方自治体主導の「上からの」多文化主義政策ではなく、「下からの」多文化主義運動と見ることが可能である。

 今回の報告の主要な目的は、この統合学校設立の試みを、草の根の多文化主義運動と捉え、それを分析することにある。この統合学校が、プロテスタント、カソリックという二大宗派のみならず、他のマイノリティにも開かれたものであることも視野に入れ、報告を行いたい。

第2報告

「ペルー会」からみる過去の共有体験
---「日系ペルー人」というアイデンティティについて---

仲田 周子 (日本女子大学)

 第二次世界大戦中、約12万人の日系アメリカ人への強制収容とは別に、中南米諸国からも約2000人の日系人がアメリカ国内の収容所に抑留された。戦前から日系人に対して厳しい政策をとっていたペルーでは、積極的に日系人追放が行われ、中南米諸国全体の8割にもあたる約1800人が追放された。戦後、ペルー政府は追放した日系人の受け入れを拒否し、約900人が日本へ「帰国」し、300人あまりの人がアメリカへの「残留」を決めた。最終的にペルーへ戻れた人は100人に満たない。

 本報告では、このような「日系ペルー人」のうち日本「帰国者」とアメリカ「残留者」の二世世代の人々に焦点をあてる。従来のエスニシティ研究においては、現在所属している社会との関係が中心となるため、二つの国に別れて生活している「日系ペルー人」は同じ枠組みでは捉えられてこなかったが、日本「帰国者」とアメリカ「残留者」は戦後のそれぞれの社会の中での経験を通して、「日系ペルー人」という存在と向かいあってきたことが明らかになっている。本報告では、彼らの中でも特に重要な位置を占めている「ペルー会」(Peru-Kai Reunion)を取り上げる。「ペルー会」はテキサス州クリスタル・シティに抑留されていた「日系ペルー人」の過去の共有体験を基に再構成された「再集団化集団」であり、彼らの過去と現在を結びつけているものの一つである。「ペルー会」に参加することで、過去の自分を想起し、「日系ペルー人」というアイデンティティを確認しているということを述べ、「日系ペルー人」と過去の共有体験の持つ意味について検討する。

第3報告

ハンセン病者のなかの在日コリアン
---アイデンティティの政治学---

青山 陽子 (東京大学)

 日本にはハンセン病療養所が国立で13箇所、私立で2箇所存在する。それらの療養所には約5000人のハンセン病元患者が生活しているが、そのうち約200人が在日コリアンである。

 1955年のデータによると、日本人総人口に占める日本人収容者の比率は0.011%(1万人にひとり)だが、同時期の在日コリアン人口に占める在日コリアン収容者の比率は0.11%(千人にひとり)、10倍になる。在日コリアンの収容率の高さは、生活の貧困さと関連していると推測されている。

 また、1959年4月に国民年金法が成立し、療養所に収容されている人々にも年金制度が適用されるが、この法律が「国籍条項」をもっていたため外国人である在日コリアンは排除される。その翌年1960年には、国籍差別撤廃を求める在日コリアンによって「在日朝鮮・韓国人ハンセン氏病患者同盟」が結成される。

 本稿では、このような社会・歴史的背景に配慮しつつ、ハンセン病という病いにかかってハンセン病療養所で生活している在日コリアンのインタビューをもとに分析する。療養所というハンセン病者のコミュニティで在日コリアンである彼ら/彼女らがどのように自分たちのアイデンティティを操作してきたのかを明らかにし、二重のマイノリティ性を生きるということはどういうことなのか、そのリアリティを示したいと考える。

第4報告

ある被差別部落出身女性にみる「身元隠し」から出身の表明に至る自己認識の変容

服部 あさこ (専修大学)

 本報告は、被差別部落出身者において、いわゆる「身元隠し」の状態から出身の表明に至る過程で、内面化された「被差別部落出身」というカテゴリーに対する、語り手の認識の変容を、主に被差別部落出身者のライフストーリーを資料として、明らかにすることを目的としている。

 自らを被差別部落出身者として認識する人々には、いわゆる「身元隠し」行為をとる人が多くいる。多くのエスニック・マイノリティのアイデンティティがそうであるように、「被差別部落出身」という自己の属性は、差別的行為を受けることによって獲得させられる。すなわち、マジョリティが管理する、いわば支配的なカテゴリーを押し付けられ、それを内面化させられるのである。身元隠しをする人は、マジョリティ側のカテゴリーを内面化するからこそ、知られることによって不利益を被る可能性のある特徴としての出身を、隠すという行為に出るのである。

 しかし、身元隠しが有効な状況で、実際に多くの人に対しては隠していても、選択的に少数の人に対して出身を表明する人がいる。また、被差別者として、反差別の立場性を明らかにして、反差別運動に参加する人もいる。彼らのそのような行為は、押し付けられた「被差別部落出身」というカテゴリーを、自己と切り離せない、「本当の自分」の一部として意識し、それを肯定できるものとして意味付けしなおす営みであるといえる。

報告概要

石川 准 (静岡県立大学)

 第1報告「多文化教育の実践―北アイルランドにおける統合学校の事例から─」(報告者:新城文絵)は、北アイルランドにおける統合学校を取り上げ、政府や地方自治体主導の「上からの」多文化主義政策ではなく、「下からの」多文化主義運動として統合学校設立運動を捉える視点を提示した。

 第2報告「『ペルー会』からみる過去の共有体験─『日系ペルー人』というアイデンティティについて─」(報告者:仲田周子)は、第二次世界大戦中にペルーを追放され、アメリカ国内の収容所に抑留された体験を持つ日系ペルー人たちの集まりである「ペルー会」でのヒヤリングを通して、過去の共有体験のもつ意味を「迷いの共有」とする解釈を提示した。

 第3報告「ハンセン病者のなかの在日コリアン─アイデンティティの政治学─」(報告者:青山陽子)は、ハンセン病療養所で生活している在日コリアンのインタビューをもとに、二重のマイノリティ性を生きるということはどういうことなのかを考察した。

 第4報告「ある被差別部落出身女性にみる『身元隠し』から出身の表明に至る自己認識の変容」(報告者:服部あさこ)は、ある被差別部落出身者のライフヒストリーをとりあげ、「部落民」としてのアイデンティティを形成し、身元隠しをしてきた語り手が、出身を明かし、反差別運動に参加する過程を、語り手における「部落民」というカテゴリーに対する意味づけの変化を中心に描いた。

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