HOME > 年次大会 > 第52回大会(報告要旨・報告概要) > テーマ部会C
年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会C)

 テーマ部会C 「文化社会学/文化研究にとってのポストコロニアルとは何か」
  6/20 14:15〜17:30 [8号館1階814教室]

司会者:吉見 俊哉 (東京大学)  川崎 賢一 (駒澤大学)
討論者:岩渕 功一 (早稲田大学)  田嶋 淳子 (法政大学)

部会趣旨 川崎 賢一 (駒沢大学)
第1報告: 移住民の島々にとっての「占領経験」
---小笠原諸島から「近現代」を考える---
石原 俊 (日本学術振興会)
第2報告: 移動民の音楽/芸能空間について 本山 謙二 (日本学術振興会)
第3報告: 都市コミュニティにおける移動と定着の地層
---グローバル都市・東京の「下町」から---
五十嵐 泰正 (日本学術振興会)

報告概要 川崎 賢一 (駒沢大学)
部会趣旨

部会担当: 川崎 賢一 (駒沢大学)

 文化の社会学テーマ部会は、昨年までの成果を受け継ぎ、文化研究の現在を様々な角度から検討しようとするものである。2004年3月に行われた研究例会では、都市社会学と音楽社会学から文化研究の可能性を探る若手の研究報告をしていただいた。そして、6月のテーマ部会では、カルチュラルスタディーズにおける重要なテーマ群のうち、ポストコロニアルを取り上げ、最近の研究成果を報告・議論する。なお、今回は若手主体の発表にすることにし、それを討論者が刺激するという形をとる。そして、司会に権限を与え、テーマ部会全体として、はっきりとした方向性を導き出そうと試みたい。

第1報告

移住民の島々にとっての「占領経験」
---小笠原諸島から「近現代」を考える---

石原 俊 (日本学術振興会)

 父島、母島などから成る小笠原諸島は、現在「日本国」の主権下にある島々の中で、「本州」を中心とした地政学的視線で見るならば、東京都心から約1000km南に位置する島々である。この島々は、19世紀初頭まで無人島であったが、1830年、ホノルルの英国領事館の支援を受けてオアフ島から帆船に乗って移住した約30人の男女が、はじめて長期間の入植に成功した。その後、欧米諸地域や太平洋諸島などから、入植者、寄港する船舶からの脱走者、漂流者、略奪者など、ルーツも職業も雑多な人びとが、上陸・移住してきていた。だがこの島々は、英国・米国・江戸幕府等による領有競争を経た後、日本国家が帝国として出立していく過程で、(あまり指摘されないことだが)「北海道開拓」や「琉球処分」等の名の下に行われた占領と並行して、1876年、「小笠原島回収」の名の下に占領される。

 日本国家による領有宣言後、「内国」の島々からの移住・入植が開始された。他方、占領の対象となった移住民たちは、1880年代までに、すべて「臣民」として帰化し/させられ、「帰化人」と呼ばれるようになる。そして、20世紀に入り、小笠原諸島が「大日本帝国」の「南進」の拠点として軍事要塞化されていく中で、「帰化人」は、治安維持活動の標的とされ監視を受ける一方、「臣民」として戦争に動員されていったのである。

 1944年、小笠原諸島の住民は、島で召集・徴用された軍人・軍属などを除き、「帰化人」を含む全員が「内地」へと強制移住させられた。しかし、「大日本帝国」の降伏後、小笠原諸島を直接統治下に置いた米占領軍は、「マイノリティ」=協力者とみなした「帰化人」とその家族のみに帰島を許可し、全員を占領軍施設に雇用した。「日本」の出身者とその子孫は、1968年に小笠原諸島の施政権が「日本国」に再移管されるまで、帰島をゆるされなかった。現在、前者の人びとには「在来島民」、後者の人びとには「旧島民」という、いっけん中立的な行政的呼称が用いられているが、戦後にまで及ぶ監視と差別と分断の輻湊は、現在の島の社会にも、さまざまな形で影を落としている。

 報告者はこの5年間ほど、「帰化人」と呼ばれた男女を祖先として島に生を受けたひとりの男性に、聴き取り調査を行ってきたが、今回の報告は、彼のライフヒストリーが考察の軸となる。現在79歳の彼は、「帰化人」と呼ばれた人びとの中から徴用・徴兵され敗戦まで島で従軍させられた数名のうち、現時点で唯一の存命者である。詳細は報告時に譲るが、本報告では、彼にとって小笠原諸島の「占領経験」が、その生を受ける前から続いており、現在もけっして終わっていないことを、浮き彫りにしたいと思う。
 最後に、以上の個別(「特殊」ではない)的な事例報告が、「ポストコロニアル」「文化社会学/文化研究」というこの部会のテーマにとって、どのような普遍性(「一般性」ではない)を有するのか、あるいは、こうしたテーマが、この個別的な事例に対してどのような普遍性をもち得るのか、についてもすこし考えてみたい。

第2報告

移動民の音楽/芸能空間について

本山 謙二 (日本学術振興会)

 「セキュリティの上昇」による無秩序な管理の拡大やグローバル化によって広がる不均衡は、様々な、場所の剥奪を生んでいる側面がある。そういう現状に対する異議申し立ての動きは、現代の音楽をめぐる状況から見るなら世界規模でブラスバンド(チンドン、ロム/ロマ音楽、広義のジャズ)の隆盛、「Reclaim the streets」(ストリートをとりもどせ)運動が喚起するものが参考になる。そこでは、現状の「かつて占めていた場所の剥奪」、そして「かつて占めていた故郷の剥奪」という現代の問題への連続性を喚起する。そういう文脈をふまえ、今回の報告は、明治期に奄美・与論島から三池炭坑(福岡県大牟田市、熊本県荒尾市)に移住した人々の三池での音楽/芸能空間を「19の春」という唄を具体例に、当時のメディア状況などをふまえて移動民の音楽/芸能空間について考察していきたい。移動を歴史的文脈に位置づけながらその音楽から見えてくること、そして現在の状況との節合を歌謡曲「石狩挽歌」などを使用して考察するという方向性ももっている。

 今回報告する唄/歌の舞台は、大規模な建築現場や炭鉱、紡績工場、ニシン漁場などであり、それは産業社会進展のまにまに流動する人々が集められた場所に由来する。こうした歌/唄を追うことで、その移動を歴史の中に投げ返し、そこから見えてくることを考察したいと考えている。つまり20世紀の世界の音楽史に大きく影響を与えた移動の経験と深く結びついた「ポピュラーミュージック」のひとつとして、今回報告する音楽を位置づけ、またそこで歌われるモチーフや音の背景にある近代化や植民地支配に関わる歴史などとの複数の文脈への節合を通じ、現在に通底することを問題提起したい。

第3報告

都市コミュニティにおける移動と定着の地層
---グローバル都市・東京の「下町」から---

五十嵐 泰正 (日本学術振興会)

 「日本的な情緒」を期待される「下町」の代表的な盛り場である上野は、戦後60年の歴史の中で、在日韓国・朝鮮人が強固なコミュニティを築き上げてきた場所でもある。また近年は、ニューカマー外国人が働き買い物をする店舗も多数定着し、「現象としてのグローバル化」が顕在化する地区でもある。

 現在では、商店街活動などを通じて町の重要な一翼を担っている上野の在日韓国・朝鮮人も、ここまでは決して平坦な道のりではなかった。コロニアルな関係性が反転した結果でもある、終戦後の闇市の混乱における深刻な対立の記憶は、上野地区の高齢者世代の中に燻り続けている。一方、在日の幼馴染たちとともに育ち、ともに町を作ってきたという実感のある中年以下の世代は、「町に根付いていこうという姿勢の見られない」ニューカマーを切り離して認識することで、在日の「成功者」の語りと接近していきつつも、微妙な揺らぎを見せる。さらに、これら各世代の上野地区の人々の人種的・エスニックな排除/包摂の意識は、グローバル化時代におけるシティ・セールスの文脈で再浮上する「下町」言説にまつわる、それ自体曖昧な語彙群と結びついて、具体的な形で語られることも多い。

 本報告では、都市エスニシティや都市空間におけるレイシズムの問題を、ホスト−ニューカマーの単純な図式として語るのではなく、グローバル化の結果として現在顕在化している問題群を地域の歴史的な地層の中に位置付け、地域アイデンティティの語彙に注意しながら再検討してゆくことで、グローバル都市東京の片隅における錯綜する「他者」へのまなざしを、描き出してゆきたい。

報告概要

部会担当: 川崎 賢一 (駒沢大学)

 「文化社会学/文化研究にとってのポストコロニアルとは何か」というテーマで、若手3人の意欲的な研究成果が発表された。第一発表(石原俊(日本学術振興会)、「移住民の島々にとっての<占領体験>――小笠原諸島から<近現代>を考える」)は、(1)小笠原の日本への植民地化、(2)第二次大戦からアメリカ占領時代の変化、(3)第二次大戦前から生き抜いてきた人々へのインタビューを紹介するという内容であった。日本の周辺にあるが故のポストコロニアル性がはっきりと際立つ極めて興味深い内容だった。第二報告(本山謙二(日本学術振興会)、「移動民の音楽/芸能空間について」)は、最初に、石狩挽歌の舞台になった小樽を取り上げ、移動を歴史の中に投げ返(カレン・カプラン)そうとし、さらに、芸能を移動と結びつけ、具体的には、河内音頭・チンドンを取り上げ、ローカリティと資本主義の関連を探求し、最後に、ディスプレースメントやディアスポラの問題として再定義し直そうとする刺激的な内容であった。第三報告(五十嵐泰正(日本学術振興会)、「都市コミュニティにおける移動と定着の地層――グローバル都市・東京の<下町>から」は、上野における在日コリアンを、新来外国人や日本人との関連においてとらえ直そうとする、上野のもう一つの斬新な「戦後史」でもある。いわゆる「アメ横」商店街における、在日コリアンの意義とその世代的継承と変質という、きわめてポストコロニアルで刺激的内容であった。次に、二人の討論者から的確なコメントが寄せられた。まず、岩渕功一(早稲田大学国際教養学部)氏は、第一報告に対して、小笠原における移動が抵抗や実践の契機として見る必要のあること、第二報告へは、産業化・帝国化の進展により都市において新しい産業化が生まれる傾向を指摘し、「ストリートを取り戻す」し、新しい公共的場ができる可能性に言及し、第三報告へは、地域へのメンバーシップの再定義の必要性、等を指摘した。また、田嶋淳子(法政大学社会学部)氏は、報告全体を通して、「二つ目の戦後」としての現在の特性を問い直す必要性を指摘し、特に、第三報告には、上野での研究方法が、新宿・渋谷・池袋等でも適用可能と指摘された。

 報告者の熱い報告により、討論やフロア中心の部会を目指していた司会者(吉見俊哉(東京大学大学院情報学環)・川崎賢一(駒澤大学文学部))の思惑通りにいかなかったが、参加者は50名を超え、熱気に満ちた雰囲気となった。この後沖縄で開かれたカルチュラルタイフーンの会議と連動して、文化の社会学に大きな刺激を与えるキッカケになったと確信してい。

▲このページのトップへ