第2部会:理論(2)  6/18 14:00〜17:30 [5号館・1階 5125教室]

司会:矢田部 圭介 (武蔵大学)
1. 主体の欲望の社会的生成とそのズレ
──イデオロギーの主体的内面化過程の再考──
片上 平二郎 (立教大学)
2. 「参加の同等」と「連帯」
──フレイザーとホネットの社会理論について──
佐藤 直樹 (名古屋大学)
3. C・H・クーリーの「自己感情」と自我の社会性 小川 祐喜子 (東洋大学)
4. バーガー弁証法における「客体化」と「内在化」の再考 松元 一明 (成蹊大学)
5. 社会学における「習慣」概念の位置
──行為論を中心として──
村井 重樹 (慶應義塾大学)

報告概要 矢田部 圭介 (武蔵大学)
第1報告

主体の欲望の社会的生成とそのズレ 
──イデオロギーの主体的内面化過程の再考──

片上 平二郎(立教大学)

 構築主義に代表される現在の社会理論の中で、主体という概念は批判の対象となる傾向が強い。物象化され固定化されたかたちでの主体という概念に人間を当てはめることは、その動態性に限界を設けてしまうため、言語の流動的な運動の中で構築の過程のただなかにある媒介的なイメージの主体像への置き換えが構想されている。個人と社会を切り離されたものとして見るのではなく、社会と個人の相互媒介的な生成の構造を見ることを通じて、社会批判の可能性が探られている。しかし、このような議論の中で、主体概念それ自体が、無効化されてしまうのだとしたらそのことに対しては違和感がある。主体の社会的な生成は、たしかにある言説やイデオロギーの中で、それらへの同一化を通じて行われるのだろうが、しかし、これらの同一化の過程を通じて、主体が社会的要請に対してなだらかに影響を受けているとは限らない。コプチェクなどのラカン派の論者たちは、バトラー的な構築主義の主体批判の論理に対して、社会に流通する欲望と、それに影響されつつも結果的に個人が持つ欲望の間にギャップがあることを指摘し、そのギャップから主体概念の持つ意味と可能性を再確認しようとしている。本報告ではこのような関心に基づき、イデオロギー論や虚偽意識論の流れに立ち返り、イデオロギーと主体の内面化の関係についての議論を、現在の社会理論的な関心から見ることの意味を探ってみたい。

第2報告

「参加の同等」と「連帯」
──フレイザーとホネットの社会理論について──

佐藤 直樹(名古屋大学)

 本報告は、『再配分か承認か』(Fraser, N. & Honneth, A. Umverteilung oder Anerkennug?, Eine politisch-philosophische Kontroverse, 2003, Suhrkamp,→translated by Golb, J. , Ingram, J. and Wilke, C Redistribution or Recognition? A Political-Philosophical Exchange, 2003, Verso)を中心テクストとしつつ、報告者なりに、両者の議論を再構成することで、フレイザーとホネットの社会理論を示し、今日求められるべき規範的な社会理論の中心課題について検討するものである。フレイザーは「参加の同等」という概念を中心として、その概念が指向する抗争ラインを3点示す。資本主義社会においては市場の誕生に伴って「階級と地位」の問題が浮上し、さらに、グローバル化した現在にあって、政治的メンバーシップの資源と境界が揺らぎ、その再編に伴って「政治的なるもの」が「階級と地位」の問題を越えて課題となっているとする。他方で、ホネットは「相互承認関係」という概念を中心として、その概念が近代という時代を貫いてきた歴史性と実践領域を示す。歴史的に近代社会には3つの承認形式(愛・法・連帯)があり、それら3つの承認形式は、間主観的な前言語的ジェスチャーによる「尊重(Achtung)」の相互行為実践によって基礎づけられているとする。両者の議論を整理したうえで、それぞれの中心概念のもつ中心課題領域を比較・検討し、今日の社会状況の中で、「他者と同等であること」、「他者とつながること」の理論的可能性について考察してみたい。

第3報告

C・H・クーリーの「自己感情」と自我の社会性

小川 祐喜子(東洋大学)

 自我(self)の社会性とは、他者との関わりにより形成される自我を意味する。アメリカの社会学者であるC・H・クーリーは、「鏡に映った自我」(looking-glass self)概念で、自我が他者との関係性のなかで、その生成、形成、変化、変容があることを確かなものにした。けれども、彼が自我の起源とするところは、「自己感情」(self-feeling)であった。そのために、彼の主張する自我の社会説はさまざまな批判を浴び、その検討は行われず、見逃されてきたといえる。

 クーリーと同じく、他者との関係性を前提に、自我の社会性を主張したG・H・ミードは、「自己感情」から自我を見出す見解では限界があるとクーリーの考えを批判する。ミードによると、自我の核心は認知的現象により見出すことが可能である。それは、同じ社会に属するなかで共通の様式とされる「意味のあるシンボル」を介した相互作用により形成される自我である。

 本報告は、クーリーが他者との関係性なしに自我の形成はありえないとしながらも「自己感情」にその起源を求めたことを「鏡に映った自我」概念を再検討していくことで明らかにしようと試みるものである。なぜならば、「鏡に映った自我」概念には、他者と自己のコミュニケーションのみならず自己と自己のコミュニケーションが組み込まれていると考えられる。それゆえに、クーリーの意味する「自己感情」とは他者との産物の感情と考えられるからである。

第4報告

バーガー弁証法における「客体化」と「内在化」の再考

松元 一明(成蹊大学)

 P.L.バーガーは初期の著作の中で、主観的現実と客観的現実を照応させる社会学理論の構築をこころみた。理論の核は『現実の社会的構成』で提起した「内在化(internalization)」「外在化(externalization)」「客体化(objectivation)」といった諸概念と、弁証法という方法論である。バーガー理論の概念設定の基礎となった「物象化と意識の社会学的批判」における「客体化」と「対象化(objectification)」の概念には、主体のより能動的な側面が含まれていたが、のちの著書に続く理論展開は認識論的傾向が強く、また客観的現実にたいする主体は受動的なものとして描かれている。つまり主体にとって所与のものである客観的現実が動かし難い事実として強調され、その弁証法は静態的であるとの批判を受けている。これらの要因として、著作間の概念の変化などにより内在化の社会化側面の強調されたことと、客体化の行為論的側面、つまり認識と存在の架橋となる行為をおこなう主体の姿が損なわれている点があげられる。

 本報告では「物象化と意識の社会学的批判」における主体のより能動的な側面(主体的選択、行為の意図・状況の定義、他者との協働)に着目し、客観的現実の継承はもとより、その変革者としての主体を強調した動態的弁証法を明らかにしたい。

第5報告

社会学における「習慣」概念の位置
──行為論を中心として──

村井 重樹(慶應義塾大学))

 社会学はその誕生以来、自らの学問的、制度的自律性を確立しようと格闘してきたといえる。そうした試みは、社会学の方法論的基礎を体系化しようとしたM・ウェーバーやT・パーソンズらにとっての主題でもあった。その中で、社会学において「習慣」概念はどのように扱われてきたか。

 本報告では、行為論を中心として、社会学における「習慣」概念の意義を検討したいと思う。まず、社会学的行為論の確立に大きな役割を果たしたウェーバー、パーソンズを取り上げ、彼らが社会的行為を体系化する図式や方法に、「習慣」概念がどのように関係していたかを考察する。そして、彼らが行為における「習慣」をどう位置付けていたかを確認する。そこでは心理学的な「習慣」概念との関わりが重要になる。

 さらに、「習慣」概念に重要な役割を与えているP・ブルデューを取り上げる。ブルデューの「ハビトゥス(habitus)」概念は、従来の社会学理論における「習慣」概念と異なり、単なる機械的な反復に陥らない形での習慣による行為を捉える足がかりとしての有効性を持つ。それゆえ、ウェーバーやパーソンズの行為論を踏まえた上で、ブルデューの「ハビトゥス」概念を考察し、行為論における「習慣(ハビトゥス)」概念の意義を検討したいと思う。

報告概要

矢田部 圭介 (武蔵大学)

 本部会での諸報告は、いずれも、主体の生成と他者とのかかわりとでもいうべき問題関心に緩やかに係留されていたといえそうだ。片上氏の報告は、言語の外側の対象を求める不可能な欲望に主体化の契機をみてとるコプチェクの議論をふまえて権力と主体の関係の再考をせまるものであった。佐藤氏は、フレイザーの参加の同等およびホネットの相互承認関係というアイデアの検討から、国民国家の境界線に収斂されない他者とのつながり方の可能性を示唆してくれた。また、 小川氏の報告は、クーリーの自己感情というアイデアに内在する社会性の理路を再発見する試みをとおして、あたらしいクーリー像を提示してくれた。松元氏の報告では、受動的な主体のイメージを喚起するバーガーの内在化・社会化論を、初期の著作の再検討をとおして、より能動的な主体観を内包するものへと読みかえる試みがなされた。そして、ウェーバーとパーソンズの行為論に内在する習慣概念の検討をふまえて、ブルデューのハビトゥスというアイデアに含まれる習慣のダイナミズムについて論じたのが村井氏の報告であった。これらの個別の報告をふまえた総括討論は、おもに佐藤報告で紹介されたホネットの承認の形式というアイデアを参照点としながら、コプチェクやクーリーにとっての他者の意味の確認をとおして、主体化の諸問題が検討され、くわえて、これにバーガーの内在化・社会化と主体の形成、そしてブルデューのハビトゥスの媒体としての行為者などという視点からの示唆が示される展開となった。若干、こぢんまりした部会となったが、参加者のみなさんのおかげで無事進行できたことに御礼申しあげたい。