第6部会:宗教・社会運動  6/18 14:00〜17:30 [5号館・2階 5224教室]

司会:大谷 栄一 (南山宗教文化研究所)
1. 韓国プロテスタント教会と韓国社会 李 貞植 (常磐大学)
2. 過剰な「私」の成立と変容
──オウム真理教の「魅力」と「暴力」をめぐって──
橋迫 瑞穂 (立教大学)
3. プロ=ライフ運動の起源と優生学
──1960年代〜80年代「生長の家」の宗教運動再考──
土屋 敦 (東京大学)
4. 景観保全を推し進めたもの
──1960〜70年代京都の事例から──
栗本 京子 (お茶の水女子大学)
5. 文化論の観点から見た近年沖縄の平和運動 [OHP使用] 岩佐 将志 (ロンドン大学)

報告概要 大谷 栄一 (南山宗教文化研究所)
第1報告

韓国プロテスタント教会と韓国社会

李 貞植 (常磐大学)

 韓国の近代工業化とともに成長の道を辿っていた韓国プロテスタントは、1990年代に入ってから、「教会成員の統計的成長に陰りが見えはじめた」というようなことを口に出し始めた。そしてこの韓国教会危機論安易な態度をとっていた韓国プロテスタント教会はメディアの集中的な非難を受け、いまや国民的信頼を失いかけている。

 韓国プロテスタントおよび、諸宗教団体はどうして成長停滞にあってしまったのか。その要因を、近代的教育による個人の宗教に対する認識の変化、ライフ・スタイルの変化など、経済成長にともなう社会環境変化に求めることができよう。しかしその究極的な原因は宗教団体内部の問題に求めなければならないものとも考えられる。

 つまり、1970〜80年代の高度経済成長とともに財政的に裕福になった教会は、社会奉仕にも幅を利かせながら、次第に社会の代弁者として社会問題に影響力を及ぼすようになっていった。しかし、社会における発言力が大きくなっていくにつれて、教会としての本来の召命意識を忘れかけていたことが、教会の停滞の大きな原因となっていったと考えられる。

 そこで、本論では、韓国放送公社が2004年10月2日付けで放送した「宣教120年、韓国プロテスタント教会は危機にある」をとりあげて紹介しながら、それに対する教会の反応や、それを手がかりとして、韓国のプロテスタント教会の成長を停滞させている諸問題について、社会的要因と教会の内的要因に分けて考察したい。

第2報告

過剰な「私」の成立と変容
──オウム真理教の「魅力」と「暴力」をめぐって──

橋迫 瑞穂 (立教大学)

 1995年に地下鉄サリン事件が起こって以降、オウム真理教(以下、オウム)についてこれまで様々な議論が行われてきた。しかしそれらの議論からは、オウムがなぜあれほどの信者数を獲得し、尚且つ組織を維持することができたのかということが十分に解き明かされていない。なぜなら、これまでのオウムを巡る議論は、オウムの教義や集団的特性に注目するか、もしくはオウムとその社会的背景を同等、同質なものとして議論を展開しているものに大別されるからである。そしてそのために、地下鉄サリン事件などのオウムの「暴力」についての議論も不十分なままである。

 そこで今回の発表では、これまで出版されてきたオウムの信者や元信者たちの手記やインタビューをもとに、オウムがなぜあのように信者を獲得でき、組織を維持できたのか、すなわちオウムの「魅力」について改めて迫ってみたい。オウムが彼らにとって「魅力」的であったのは、オウムでは社会や他者によって「私」が左右されない、つまりゆるぎのない過剰な「私」を獲得することができるからだ、ということがいえるのではないか。このことについて、ピーター・L・バーガーが述べている、宗教の「悪しき信念」についての議論や、オウムにおける身体性の変容に注目し、議論を展開していきたい。そして、このようなオウムの「魅力」が、オウムの中で「暴力」を誘発していく契機となるのではないかというこことについても、示していきたいと考えている。

第3報告

プロ=ライフ運動の起源と優生学
──1960年代〜80年代「生長の家」の宗教運動再考──

土屋 敦 (東京大学)

 本報告では、日本社会における〈胎児〉の生命や人権擁護を主張しながら中絶禁止を唱えるプロ=ライフ運動の展開を、その運動の代表格であった「生長の家」の1960年代から80年代にかけての宗教活動を綿密に検証する中から再考することを目的とする。またそこには、「生長の家」の宗教イデオロギーと、胎児の生命擁護の主張の中に見出される「胎児の質の管理(優生学)」との接続点を検証する作業が含まれる。

 生殖や妊娠・出産をめぐる論点において、〈胎児〉の存在への言及が欠くべからざるものとして措定されたという事実は、生命体への価値付けや生殖をめぐる争点において、そこに決定的な地殻変動が生じたことを意味する。プロ=ライフ運動以前の中絶論争もしくは生殖論争において論争の争点とされ保護の対象として措定されてきたのは、胎児ではなく「母体の健康」(Duden 1991=1993)であり、また妊産婦死亡率の高さや出生に伴う母親側のリスクを如何に軽減するかという問題であった。一方、プロ=ライフ運動を契機として、論争の争点は「妊娠に直面した母親」から〈胎児〉へと移動するという「妊娠についての社会的知覚の逆転」(Duden 1991=1993: 11)が起こる。本報告では、〈胎児〉の生命体としての価値付けを補強する形で動員される科学技術や社会政策等との関係性において、プロ・ライフ運動の主張が説得性を持って立ち表れる社会的契機を議論の遡上にのせる。

第4報告

景観保全を推し進めたもの
──1960〜70年代京都の事例から──

栗本 京子 (お茶の水女子大学)

 まちづくりへの関心の高まりや「景観法」施行に見られるように、景観への配慮(優れた景観の「形成」であれ「保全」であれ)の必要性に対する認識は社会的に浸透したと言える。配慮が必要とされる理由として、景観に対する意識の高まりや地域活性化への活用などが挙げられるが、本報告が注目するのは、こうした理由と実際の景観に対する取り組みとの関係が必ずしも明確ではないと考えられることである。つまり、なぜ景観に対する配慮が必要なのか。本報告ではこうした配慮のうち、1960年代から取り組まれてきた「歴史的景観」の「保全」に注目し、景観保全という行為を成立させる要因を明らかにすることを目的とする。

 参照する事例は1960−70年代の京都である。高度経済成長期にあたるこの時期の京都に起こったのは、東海道新幹線開通や京都タワー建設に代表される大規模開発と、その影響による既存の――日本の象徴たる古都としての――景観の改変という事態である。その中で京都市は1966年施行の「古都保存法」の適用対象となり、1972年には「市街地景観整備条例」を制定した。「歴史的景観」が高度経済成長期の最中に法律や条例により「保全」対象として規定されるに至る過程とその要因を、地元紙「京都新聞」を中心とした当時の新聞報道をもとに、「ノスタルジア」(Davis, F.)、および観光と市民生活を中心とした「経済」という2つの視点から検証する。

第5報告

文化論の観点から見た近年沖縄の平和運動

岩佐 将志 (ロンドン大学)

 近年の文化研究の文脈でなされる沖縄論議では、本土メディアの形成する「癒しの沖縄」イメージが米軍基地等の沖縄の「厳しい現実」を隠蔽していることが問題化されてきたが、その一方で、実際に沖縄の基地問題に取り組む人々の多様な経験を記述し、それを文化論として呈示する試みは、従来行われてこなかった。また、議論が専ら国内的な思考枠組みに依拠した「差別/被差別」の図式で捉えられ、沖縄の運動参加者が海外の市民と交流する際に生ずる思考や感情は、十分に考慮されてこなかった。

 本発表では、沖縄での聴き取り調査に基づき、沖縄の運動に参加する沖縄出身者及び本土出身者が、差異や緊張関係を抱えつつも、様々な争点に対して様々な戦術を用いて運動を展開していることを報告する。また、1990年代半ば以降にとりわけ活発になった、彼らと海外の市民との交流についても取り上げ、そこで彼らが何を経験し、何を感じたかを考察する。

 以上の議論を通して、現代の沖縄の運動を「ヤマト」「沖縄」といった集合意識の観点から捉えることには限界があることを指摘する。寧ろこの運動から導き出されるのは、「沖縄、ヤマト、海外の市民が、各々の異なる知識、経験、創造性を活かして運動を展開する空間」として「沖縄」が機能し始めていることなのではないかという問題提起を行う。

報告概要

大谷 栄一 (南山宗教文化研究所)

 本部会では、李貞植「韓国プロテスタント教会と韓国社会」、橋迫瑞穂「過剰な『私』の成立と変容――オウム真理教の『魅力』と『暴力』をめぐって」、土屋敦「プロ=ライフ運動の起源と優生学――1960年代〜80年代『生長の家』の宗教運動再考」、栗本京子「景観保全を推し進めたもの――1960〜70年代京都の事例から」、岩佐将志「文化論の観点から見た近年沖縄の平和運動」の5本の報告があった。

 李報告は、韓国プロテスタント教会が1990年代以降に停滞した原因を検討し、韓国の社会変動をめぐる社会的要因と(それに伴う)教会や牧師、信徒の変化という教会内の要因があったことを指摘した。

 橋迫報告は、オウム真理教の一般信者が自らに課す「暴力」(修行)によってもたらされた新たな身体感覚を「過剰な『私』」と規定し、この他者性を欠いた「私」のあり方に教団の「魅力」があったことを示した。

 土屋報告は、胎児の人格尊重を掲げた生長の家のプロ=ライフ運動が国政で影響力を拡大していった過程を跡づけ、日本社会では1950年代末から60年代に「妊娠についての社会的知覚の逆転」が起きたことを明らかにした。

 栗本報告は、1964年の京都タワー建設をめぐる論争を分析し、景観保全を推進した要因が「ノスタルジア」と「経済活性化」であり、景観の「保全」と「創造」という対立する姿勢が同じく景観への「配慮」であることが景観問題の解決を困難にしていると指摘した。

 岩佐報告は、近年の沖縄の平和運動をトランスナショナルな観点から捉え直す試みであり、沖縄、日本本土、海外の市民間のコミュニケーションを考察し、各地域の市民がそれぞれの知識や経験、創造性を発揮して運動を展開するための出会いの場として、「沖縄」が機能しているという見解を提示した。

 参加者は20名弱を数え、各報告に対する質問や意見も数多く出され、活発なやりとりがなされた。全報告に共通するテーマを導くことはできなかったが、いずれの報告も意欲的な内容だった。