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年次大会
大会報告:第53回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会A )


テーマ部会A 「文化戦略の社会学」  6/19 14:10〜17:25 [5号館・1階 5121教室]

司会者:藤村 正之 (上智大学) 川崎 賢一 (駒澤大学)
討論者:田渕 六郎 (名古屋大学) 山田 昌弘 (東京学芸大学)

部会趣旨 藤村 正之(上智大学)
1. 近代日本の実業家文化
──戦略と言説──
永谷 健 (名古屋工業大学)
2. 大衆文化社会のディスタンクシオン 片岡 栄美 (関東学院大学)
3. 教育改革の社会学 大内 裕和 (松山大学)

報告概要 藤村 正之(上智大学)
部会趣旨

部会担当: 藤村 正之(上智大学)

 〈文化の社会学〉として設定されたテーマ部会も 、若手研究者を中心に多くの方々の関心をよせていただき、前期と今期を通じて、4年間の企画を組んできました。これまで、文化研究に新風を吹き込んだ「カルチュラル・スタディーズ」「ポスト・コロニアル」などを柱立てとし、社会学が文化現象に発見する対象や、文化を言説化する行為の意味、また社会学の営み自体がもつ文化的な機能・効果などについて議論を深めてきました。

 今期最後のまとめにあたり、文化研究の命題の一翼を担っているP.ブルデューらの「文化再生産」の議論を意識しつつも、それを超えて、無意図的な再生産としてではなく、意図的な再生産として文化が利用・実践されていくあり様を焦点化してみようということになりました。そのような関心を表現したキーワードが「文化戦略」です。研究例会の報告では、文化戦略への関心を下敷きとして、自治体の文化政策と上層階層の教育戦略を素材として取りあげてもらいました。

 大会のテーマ部会では、歴史社会学の領域から永谷健さん、社会階層論の領域から片岡栄美さん、教育社会学の領域から大内裕和さんをお迎えして、文化戦略を中核的な概念として、各領域をクロスオーバーさせたところで、どのような知見が得られるか、確かめてみたいと思います。日本における文化戦略の歴史的・現代的な様態を題材に、文化の正統性・分類作用・象徴支配・再生産との関連や文化戦略の効果・変容について検討することを通じて、文化社会学の視点の豊穣化を図りたいと思います。

 政治・経済・社会と文化が選り分けられるようでいて、他方それらを貫通するものとして文化が存在するような状況をどうとらえていくか。基礎的だが応用範囲の広い問題について、フロアの皆さんと共に考えていきたいと思います。

第1報告

近代日本の実業家文化――戦略と言説――

永谷 健 (名古屋工業大学)

 本報告では、近代日本において莫大な資産を築いた実業家・財閥当主の文化的な動向を取り上げる。ここで彼らの文化を問題にするのは、ウルトラリッチ≠フ暮らしぶりを知ろうという好事家流の関心からではない。戦前の日本社会では、富のヒエラルヒーのなかで傑出した者として、彼らは社会的に知られた存在であった。商売や貨殖への蔑視が根強い維新以降の時代のなかで、彼らは飛躍的な上昇移動を経験した。そして、「上流社会」の文化が脆弱である状況において、独特な文化を形成して社会的な威信を身に纏っていった。彼らのこうした動向には、文化を媒介にした言わば露骨な戦略性が見てとれる。彼らの文化的な動向はひとつの歴史事例であるが、階層秩序が再編されつつある状況のなかでの文化戦略のあり方について、理解を深めるための素材でもある。

 文化という切り口で彼らを取り上げるのには、別の理由もある。莫大な富を保有する彼らは、私欲追求の典型的人物として、さらに、豪奢な生活を送る「富豪」として、しばしば批判の標的になった。しかし、金銭的な成功を目指す者にとっては、成功者のモデルであり、また、模倣の対象であった。そして、実際に彼らは、メディアを通じて正統≠ネ金銭の扱い方や正統≠ネ実業のあり方について喧伝した。彼らは、それらの規準≠設定するような社会的ポジションを、徐々に占めていった。そこからは、彼らの個人的な意思や目論見を超える文化的なプロセスを観察することができる。本報告では、メディアを巻き込んだこのような文化的なプロセスとそこに見える戦略性についても言及する。

第2報告

大衆文化社会のディスタンクシン

片岡 栄美 (関東学院大学)

 大衆文化の強い日本社会において、ブルデューのいう文化によるディスタンクシオン(卓越化、差異化)は、人々の社会的境界をめぐるどのような言説として生み出され、実践されているのだろうか。日本社会は「文化による差異化」は弱いと論じられる場合もあるが、これまでの筆者の分析結果からは、人々の生活様式空間は階層状況(経済資本と文化資本の交差配列)によって異なり、経営者層の伝統文化嗜好、高学歴インテリ層の西洋文化趣味などが明らかになっている。

 本報告では、現代に生きる人々が差異の空間のなかで(すなわち自己の社会的位置や資本構造との関連で)、他者集団や自己をいかに位置づけ、その社会的境界をどのように判断しているかを語りから明らかにする。具体的には、社会的成功についてのインタビュー結果を中心に分析する。ラモンは人々が社会的境界を主観的に設定する行為をバウンダリー・ワークと呼び、基準を経済的基準、文化的基準、道徳的基準で分類し、アメリカとフランスを比較しているが、日本ではいかなる状況にあるか。社会的行為者が社会空間について抱いているさまざまな表象をとらえるという視点から人々の語りを分析し、ハビトゥスとなった差異の認識枠組みを明らかにするとともに、客観的構造と主観的構築の間の関係、正当化作用などについて論じたい。

第3報告

教育改革の社会学

大内 裕和 (松山大学)

 文化戦略の一つとして教育を取り上げる。近年の教育改革によって教育システムは大きな転換を行いつつある。戦後の画一的で均質的な教育システムが、1980年代に多くの批判にさらされ、「ゆとり」や「個性化」をスローガンとする教育改革が、約20年前にスタートした。この教育改革によって、教育の「個性化」=市場化が進みつつある。この教育改革がいかなる背景によって行われたのか。そこには政府・財界による意図=戦略があり、1970年代以降の社会変容が影響しているといえる。また、学校教育を通して上昇移動しようとする保護者・家庭の教育戦略も、この教育改革に影響を与えているといえるだろう。様々な社会的アクターのどのような力が複合的に作用することによって、この教育改革が進められたのかを明らかにしたい。

 またこの教育改革は、再生産の場である学校教育のあり方を大きく変容させた。「個性」というイデオロギーが、象徴資本としての価値をもつようになった。教育の市場化は、出身階層による教育達成の格差を拡大し、「不平等社会」あるいは社会の「二極化」をもたらしたということが、多くの社会学研究者によって近年指摘されている。こうした近年の議論にも言及しながら、教育改革が、学校教育という再生産の場をどのように変え、社会の階層化をいかに進行させているのかという点についても分析を行いたい。

報告概要

藤村 正之(上智大学)

 〈文化の社会学〉部会では、文化再生産論を意識しつつ、それを超えて、無意図的でなく意図的に文化が利用・実践されていくあり様を「文化戦略」として焦点をあてることにした。各領域のクロス・オーバーをねらって、報告者には歴史社会学から永谷健さん、社会階層論から片岡栄美さん、教育社会学から大内裕和さんをお迎えした。永谷報告「近代日本の実業家文化−戦略と言説」では、明治期以降登場した新興実業家層が商人蔑視的様相と経済的成功の齟齬の中でとった威信向上戦略(婚姻戦略や茶道などハイ・カルチュアの習得)、道徳的な言説戦略(成功哲学・経営哲学の著述・口述)の詳細と、芸能の再編や出版業界の戦略との連動性がふれられた。片岡報告「大衆文化社会のディスタンクシオン」では、日本社会の特徴として、ホワイトカラー層の多くがハイ・カルチュアと大衆文化の双方を実践・享受する「文化的オムニボア社会」であること、文化定義のジェンダー化が女性による高級文化志向をもたらしていることにふれたうえで、自己と他者の間を境界化する実践たる「バウンダリー・ワーク」の実証的知見が紹介された。大内報告「教育改革の社会学」では、1984年の臨時教育審議会以降の教育改革の社会的背景や主導的スローガンが検証され、現在のゆとり教育vs学力低下批判という議論の中でも、さらに進行しつつある個性化教育が階層間政治を隠蔽する象徴資本として機能することが指摘された。個々の報告者への論点と同時に、討論者の田渕六郎さんからは戦略概念をインフレ化させないために当事者合理性の確認が、山田昌弘さんからは格差社会での男女カップリング機能の意味や個々の潜在能力の有無と関連させた議論の必要性が指摘された。政治・経済・社会と文化が選り分けられるようでいて、他方それらを貫通するものとして文化が存在する状況、歴史や領域をこえて存在する文化戦略パターンなどが本部会から浮かび上がってきたといえるだろうか。2年間の部会運営にあたり、関係者や会員の皆様からご協力・お力添えをいただいたことにお礼を申し上げて、了としたい。

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