HOME > 年次大会 > 第54回大会(報告要旨・報告概要) > テーマ部会A
年次大会
大会報告:第54回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会A)


テーマ部会A 「若者のコミュニケーションの現在」  6/18 14:10〜17:30 [西校舎・1階 517教室]

司会者:浅野 智彦 (東京学芸大学)、土井 隆義 (筑波大学)
討論者:佐藤 俊樹 (東京大学)

部会趣旨 浅野 智彦 (東京学芸大学)
1. コミュニケーション・メリトクラシー・社会階層 本田 由紀 (東京大学)
2. 閉じられるインターネットと若者の親密圏 鈴木 謙介
(国際大学グローバルコミュニケーションセンター)
3. つながりの不安と信頼 辻 大介 (関西大学)

報告概要 浅野 智彦 (東京学芸大学)
部会趣旨

部会担当: 浅野 智彦 (東京学芸大学)

 テーマ部会「若者のコミュニケーションの現在」は今年度新設されたものである。消費社会論を背景にした1980年代の若者論とはうってかわって1990年代以降の若者研究は若者を様々な意味での「問題」とみなす視線によって枠づけられてきた。例えば、「少年犯罪」、「ひきこもり」、「自傷」、「フリーター」、「ニート」等々。それらの研究が重要な知見を積み上げてきたことは疑う余地のないことであるが、本部会ではあえてこのような具体的問題現象に直接照準するのではなく、それらがどのようなコミュニケーション様式を背景としているのかという一歩下がった地点に問題を設定する。ここで問を立てる地点として「コミュニケーション」を選択したのは、当の若者たちにとって現在コミュニケーションがいくつかの点で死活的に重要な課題になってきているように思われるからだ。

 本部会は編成の方式においても新しい特徴を持っている。これまでの部会が研究領域・分野ごとに区切られて編成されていたのに対して、本部会では、ターゲットとなる具体的な現象(若者のコミュニケーション)をまず設定し、これに対して可能な複数の視点・理論から検討するという方式をとる。具体的には、現在の若者のあり方について独自の視角から魅力的な研究を展開されている三人の研究者をお招きし、それぞれの観点から若者のコミュニケーションについて自由に論じて頂く。一人目は、若者の雇用や移行過程の研究に新たな局面を切り開いた本田由紀氏。二人目は、インターネット上のコミュニケーションについてシャープな分析を行なっている鈴木謙介氏。そして三人目に、携帯電話に象徴される若者の友人関係のあり方について斬新な知見を積み重ねてこられた辻大介氏。さらに討論者として階層論・社会理論の双方において画期的な仕事をされてきた佐藤俊樹氏をお招きし、三つの報告に異なった角度から光をあてて頂こうと思う。フロアも含めての活発な議論を期待したい。

第1報告

コミュニケーション・メリトクラシー・社会階層

本田 由紀 (東京大学)

 若者のコミュニケーション様式に関する研究の進展が見られる(浅野編 2006、岩田編 2006、辻 2006、鈴木・辻 2005など)。最近の研究成果は、若者の友人関係の多チャンネル化や状況志向化、対人関係に関する敏感さの増大、携帯電話利用と孤独不安の関係などを明らかにしている。これらの知見は、若者のコミュニケーション能力が低下しているという通俗的な認識を覆し、若者の中にかつてよりもむしろ高度で鋭敏なコミュニケーションの様式と能力が発達していることを説得的に提示している点で、その意義は疑うべくもない。

 しかしながら、これらの研究は、若者のコミュニケーションに関連する諸変数間の関係やその類型を詳細に分析しようとするあまり、それを若者が生きているより広範な社会的文脈に関連付けて把握するという点では手薄であったのではないか。たとえば若者の出身階層や学歴、職業上の地位など、社会学における基本的な諸変数と、コミュニケーション様式との関係についての分析は、十分に行われてきたとは言えないのではないか。

 しかしコミュニケーションの様式や能力が高度化しているとすれば、それは若者の間での「社会的地位」を決定する新たな基準として立ち現れつつある可能性がある。それは、地位達成において従来重要とされてきた学力や学歴などのいわゆる業績主義的な諸基準と、どのような関係−相克か、相乗か−にあるのか。あるいは、出身階層という属性主義的な要因から、いかなる影響を受けているのか。これらは、若者のコミュニケーションの実態を理解する上で重要な切り口となる問いであると考える。

 本報告は、このような問題意識に基づき、若者のコミュニケーションの様式や能力を、メリトクラシーや社会階層という社会学の伝統的なテーマに着地させながら捉え直すことにより、現代の日本社会で生じている新たな「格差」に照準を合わせることを目的とする。

[参考文献]
浅野智彦編(2006)『検証・若者の変貌』勁草書房
岩田考・菊池裕生・羽渕一代・苫米地伸編(2006)『若者たちのコミュニケーション・サバイバル』恒星社厚生閣
鈴木謙介・辻大介(2005)「断片化する関係性」、『InterCommunication』55号 NTT出版
辻大介(2006)「つながりの不安と携帯メール」、『関西大学社会学部紀要』37巻2号

第2報告

閉じられるインターネットと若者の親密圏

鈴木 謙介
(国際大学グローバルコミュニケーションセンター)

 インターネット(とそれに関連した技術)が、若者のみならず、一般的なコミュニケーションのための道具になりつつある。近年の様々な調査は、ケータイ、ネットなどのコミュニケーションツールが、主として家族や友人との私的なコミュニケーションのために利用されていると示している。

 インターネットが、現代社会では成り立ちにくい「公共圏」の成立を可能にするという議論が提起されたのは、そう以前のことではない。にもかかわらず、いまやネットは、親密圏を成り立たせるツールとして用いられている。さらにそこには、「親密だからいつも繋がっている」のか、「いつも繋がっているから親密」なのかが不明になり、それゆえ絶えざるコミュニケーション圧力から脱することができなくなるという循環さえも観察されているのである。

 こうした傾向が、パーソナルコミュニケーションツールによってもたらされたことを明確に示す実証的なデータは今のところ得られていない。だが、ますます強まる「親密圏としてのネット」へ向かう傾向は、いわゆる「ネット公共圏論」にも影響を及ぼしつつある。無法地帯だと見なされることの多い匿名掲示板から、(内容の是非はともかく)政治的なアクションを起こす集団が立ち上がる一方で、私的なコミュニケーションの連鎖するブログのような顕名空間は、集団ヒステリーによる自由な言論の封殺や、ひいては民主制の危機をもたらすとまで言われるのである。

 今回の報告では、こうしたネットとパーソナルコミュニケーションツールを巡る全体的な状況を前提としながら、ケータイやネットを駆使した繋がりの間を生きる若年層にとっての「コミュニケーション(が成り立つこと)」や「繋がり(が成り立つこと)」の意味を探っていく。特に、彼らのコミュニケーションに関する作法=スキルが、どのような条件で可能になっているのかが、中心的な主題となる。

第3報告

つながりの不安と信頼

辻 大介 (関西大学)

 「深い仲」「厚い友情」。関係性を形容する際に、かつて常套句のように用いられていたこれら「深/浅」「厚/薄」のメタファは半ば死語となった。それに代えて現在の若者たちがきわめてセンシティブであるのは、関係の「重さ」であるように思える。恋愛であれ、相手に「重く」思われたくない。互いを「重く」縛らないこと。それは被縛性を帯びざるをえない親密圏から「退出(exit)する自由」(斎藤、2003)を確保するために編み出されたひとつの作法であるかもしれない。

 こうした「重さ」を忌避する関係性は、ややもすると「希薄」と形容されがちだが、このメタファは(半ば当たっているだけに)ミスリーディングだ。経年的におこなわれている社会調査によれば、対人関係全般に、つきあいの範囲を限定する「局面化」は進んでいるが、親密さからの撤退が進みつつある形跡はおよそ見当たらない。友人・家族とのコミュニケーションはむしろ(数値をみる限りでは)活発化しており、関係の満足度も上昇している。

 このことはおそらく、関係の親密さと被縛性を連動的(であるべき)とみなしてきた従来の見方に変更を迫るものだろう。高度経済成長を経た日本では、「ある関係からおりても別に飢えるわけではな」く、「個人を一つの関係に長期間閉じこめるという権力工学が…構造的な限界にきて」いる(佐藤、1992)。関係の被縛性を受け容れる動機づけが失われた今、親密かつ「退出の自由」のある関係性を求めることは、むしろ自然の成りゆきとも言えるのではないか。

 「退出の自由」のある関係性は、半ば必然的に「つながりが切れるかもしれない」不安を伴う。それゆえに、関係を支えるための“資本”――たとえば他者への一般的信頼――が、重要度を増す。本報告では、調査データをもとに、このような関係不安と関係資本の状況について分析することにしたい。

[参考文献]
斎藤純一(2003)「親密圏と安全性の政治」、斎藤純一編『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版
佐藤俊樹(1992)「解体する日本的コミュニケーション」、アクロス編集室編『ポップ・コミュニケーション全書』PARCO出版

報告概要

浅野 智彦 (東京学芸大学)

 本テーマ部会は、若者のコミュニケーションに対して複数の異なる角度からアプローチすることを目的とする。

 本田由紀氏(東京大学)による第一報告は、若者のコミュニケーション様式が社会階層や地位達成にどのように関連しているのかを明らかにする試みであった。内閣府の調査データを用いた本田氏の分析が示唆するのは、親密なコミュニケーションと公共的なそれとが、地位達成や出身家庭の階層的位置とそれぞれ正負の関係をもつこと、また公共的コミュニケーションが親子関係に強く規定されていることである。

 辻大介氏(関西大学)の第二報告は、公共性と親密性との関係について本田氏とはやや異なった側面に光をあてる。辻氏はしばしばいわれる若者の友人関係の希薄化が実際には関係の局面化であることを示し、その結果、親密性はもっぱら親密であること自体を担保にして維持されるようになると指摘する。このような親密性にとって重要になるのが一般的信頼であり、実際、辻氏の調査結果からは両者の間に正の関連が示唆される。

 公共性・親密性の変容がネット上でどのように展開されているのかを分析するのが鈴木謙介氏(国際大学グローバルコミュニケーション研究所)による第三報告だ。鈴木氏はネットにおけるコミュニケーションの自己準拠化(「ネタ的コミュニケーション」化)の加速が、一方に関係への過剰な期待を生みだし(ケータイコミュニケーション)、他方に過剰な「ゼロ期待」を生み出す(PCコミュニケーション)ことになると指摘する。

 以上の報告に対して討論者である佐藤俊樹氏(東京大学)は、そもそも公共性と親密性とが対称的な関係になっていないことを指摘し、親密性が自己準拠をともなって変容・膨張していく結果、独特の厚みを形成し、位置づけの難しいものになっていくと指摘した。若者論がコミュニケーション論へと引き寄せられていくことの背後にも、この位置づけの困難があるのではないかと佐藤氏は論じた。

 以上を通して、このテーマについて今後問うべき問題とその難しさの所在がクリアに洗い出されたものと考える。

▲このページのトップへ