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年次大会
大会報告:第55回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第6部会)


第6部会:歴史・自然  6/16 14:00〜16:30 〔1B棟・3階 1B303講義室〕

司会:草柳 千早(大妻女子大学)
1. 隠される身体・発見される身体――軍医側の資料からみた兵役忌避 三上 真理子(常磐大学・国士舘大学)
2. 自動記録された被爆の過去――原爆の人影とポスト人間主義をめぐって 林 三博(東京大学)
3. イエズス会系上智大学の正義推進に関する事例研究
――教育学科の高祖敏明の取り組み
金子 聡(東京都立大学)
4. 自然の内在的価値をめぐる議論の構図 池田 和弘(日本学術振興会)

報告概要 草柳 千早(大妻女子大学)
第1報告

隠される身体・発見される身体――軍医側の資料からみた兵役忌避

三上 真理子(常磐大学・国士舘大学)

 本報告では、近代日本における兵役忌避、とくに詐病による兵役忌避を扱う。詐病による兵役忌避とは、手足の指を切断する、眼球を突き刺す、視力を減退させる、精神病を装う、さらには、見えない・聞こえないと言い張る、などの手段により兵役を忌避することをいう。こうした行為は徴兵令施行直後から始まり、太平洋戦争末期まで続いた。近年の研究の進展により兵役忌避者の存在は次第に明らかにされつつあるが、依然として不明な部分も多く残されている。

 本報告では、詐病による兵役忌避の実態を、それを看破・告発することを責務とする軍医側の資料(陸軍軍医学会『陸軍軍医学会雑誌』明治19年〜41年、陸軍軍医団『陸軍軍医団雑誌』明治41年〜昭和18年)から読み解いていきたい。国家にとって"望ましい身体"を選別する場である徴兵検査において、自らの身体を傷つけあるいは病気の振りをして、本来の身体を隠し兵役を逃れようとした兵役忌避者たち。これに対して、彼らの企みを看破し"望ましい身体"を発見しようと奮闘した軍医たち。そうした攻防の"最前線"に立たざるをえなかった軍医たちの資料から、両者の攻防を出来るだけ具体的に描き出すとともに、攻防の果てに見えてくるものについても考察を加えていきたい。

第2報告

自動記録された被爆の過去
――原爆の人影とポスト人間主義をめぐって

林 三博(東京大学)

 整合的な〈歴史の語り〉が過去を構成するうえで様々なメディア表象をいかに動員してきたのかと問う研究が近年著しい成果をみせるなか、同種の問題設定は被爆の過去についてもなされてきた。そのなかには、被爆都市の都市空間やメディア・イベント、被爆当時の惨事を撮影した写真、あるいは、被爆を題材とした文学や映画など、多種多様な対象をベースにした研究がある。

 本発表が照準する原爆の人影(=原爆の光により地面に刻印された人間の影)についても、これらの研究にならうことでそれが〈歴史の語り〉へ組み込まれていった過程を緻密に追尾することも可能である。とはいえ、もし〈歴史の語り〉が人影を、(1)特定の意味連関へ回収しただけでなく、(2)そもそもなにかを表意するもの=〈メディア的なるもの〉として捉えることそれ自体にも関わったのだとすれば、(1)の問題化に腐心する既述の問題設定は(2)を見逃すことになり、結果的に〈歴史の語り〉の相対化を試みたはずの研究自体が,まさにそれと共犯し、〈メディア的なるもの〉としての人影の再生産にくみしてしまうだろう。

 本発表では、人影にむけられた〈歴史の語り〉がそれのいかなる固有な(2)の位相を飼い馴らしてきたのかを明白にし、さらにそこからから、他の歴史的事象とのアナロジーでは捉えきれない、被爆の過去の特異な問題性をみいだすことを最終的な課題としたい。

第3報告

イエズス会系上智大学の正義推進に関する事例研究
――教育学科の高祖敏明の取り組み

金子 聡(東京都立大学)

 1962〜65年、カトリック教会は「アジョルナメント」(近現代化)を掲げ第二バチカン公会議を開催し、平和の実現を教会の使命とし、愛に基づく正義の実現を目指した。

 1975年、最大級の活動系修道会であるイエズス会では、アルペ総長の指導性の下で第32総会を開催し、信仰と正義推進の一致を決定した(第四教令)。1981年、第33総会で貧しい人を優先する選択を決定し、1986年、新たな教育の基準を示すために『イエズス会の教育の特徴』を公表した。

 日本のイエズス会系上智大学では、1981年に社会正義研究所を設立した。1988年には『イエズス会の教育の特徴』公表を記念する国際シンポジウムを開催し、同文書もイエズス会士で文学部教育学科の高祖敏明が翻訳した。1996年には、人間学など同大学の教養教育を担当する人間学研究室も、『イエズス会の教育の特徴』を具体化させる研究会を始めていく。

 1999年、高祖は上智学院理事長に就任し、2001年に福音的正義に基づく大学改革の理事会最終成案を公表した。しかし、正義推進への取り組みは決して平坦ではなく、イエズス会士内部でも意見の対立や葛藤があり、学校を辞める者もいたと言われる。では1975年以降、同大学は正義推進に具体的にどのように取り組んだのか。本報告では、その事例研究として高祖を取り上げ、彼が正義をどのように捉え、何を日本の課題としたのか、また、正義を推進する教育学をどのように構想したのかを検証する。

第4報告

自然の内在的価値をめぐる議論の構図

池田 和弘(日本学術振興会)

 さまざまな人間の活動によって自然が破壊されているのは周知の事実である。では、「破壊された」と言うときに何が失われているのか。自然から得る人間の利益であり、人間の自然との関わりである。その主張はしばしば正しい。しかし、それ以外に失われるものはないのか。自然は人間のためにあるのではなく、動物やその他の自然物、もしくは自然それ自体にある価値が失われているのではないか。その点を議論しようとしているのが自然の内在的価値をめぐる議論である。自然の内在的価値は主に三つの意味、すなわち、道具的ではない価値、事物がそれ自体としてもっている内在的な性質による価値、評価者の価値付けとは独立にある客観的な価値の意味で用いられ、論者によっては三つの意味が融和しているときもある。第一の非道具的価値については大方合意がとれているが、第二、第三の意味の組み合わせには大きく分けて、非内在的性質−主観主義と、内在的性質−客観主義の二つの考え方があり、この二つの考え方にそって自然の内在的価値と人間との関係が大きく異なってくる。本報告では主に英語圏の環境倫理学において展開されている自然の内在的価値をめぐる議論をこのように大きく二つに分けて、それぞれの論理立てを整理したうえで、その問題点を指摘する。また、それ以外の論理を展開するものについても時間が許す範囲で展開し、議論の構図を示したい。

報告概要

草柳 千早(大妻女子大学)

 本部会では、三上真理子さん「隠される身体・発見される身体------軍医側 の資料からみた兵役忌避」、林三博さん「自動記録された被爆の過去------原 爆の人影とポスト人間主義をめぐって」、池田和弘さん「自然の内在的価値を めぐる議論の構図」の3つの報告があった。予定されていた金子聡さん「イエズス会系上智大学の正義推進に関する事例研究」はご本人の都合により報告されなかった。

 三上報告は、近代日本における権力と身体(国家と国民)の問題を考える、 という目的の下、兵役拒否、特に詐病による兵役拒否に焦点を当て、それに対する軍医側の取り組みを当時の軍医雑誌資料から詳細に明らかにした。林報告は、原爆の光により地面に刻印された、原爆の人影にむけられる〈歴史の語り〉を問い直し、人影がどのようにして記録されたのか、兵器による自動記録という人間との徹底的な断絶を論じ、テクノロジーと身体との歴史における被爆の特異な問題性を浮かび上がらせた。池田報告は、環境問題への関心と意識の高まりをうけて始まった環境倫理学において、自然それ自体がもっている価値(自然の内在的価値)に関する議論がいかに展開されているか、その議論の構図を、価値の非内在的性質―主観主義と内在的性質ー客観主義として手際よく整理し提示した。その上で両論を批判的に検討し問題点を指摘した。

 一見三者三様の報告であったが、質疑応答では、三報告の接点や通底する主題を意識した論点や質問が、参加者及び報告者相互から出された。人間と自然、人間の身体とテクノロジー、生と死などへと議論は広がった。性格の異なる複数の研究が一つの部会で報告されるという学会大会ならではの場で、まさにその妙がつくりあげられ体験される部会となったのではないか。参加者・報告者の積極的な参加に感謝したい。

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