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年次大会
大会報告:第55回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第8部会)


第8部会:移民・エスニシティ  6/17 10:00〜12:30 〔1B棟・2階 1B208講義室〕

司会:広田 康生(専修大学)
1. 在日タイ人女性内のネットワーク分断と社会資本の偏在 石井 香世子(名古屋商科大学)
2. 「旧植民地」出身女性のアイデンティティの日仏比較
――同化主義、シティズンシップ、ジェンダーの視点から
辻山 ゆき子(共立女子大学)
小林 淳子(お茶の水女子大学)
3. 移民の子ども研究再考――きょうだいという家族内の重層性に着目して 宮川 陽名(一橋大学)
4. 東アジアにおけるコリアンネットワークとアイデンティティ
――「ワンコリアフェスティバル」(市民団体)の歴史的形成過程の考察から
金 椿月(一橋大学)
5. 人種を包摂/異化する社会――滞日メキシコ人の出身社会をめぐる語り 岸下 卓史(立教大学)

報告概要 広田 康生(専修大学)
第1報告

在日タイ人女性内のネットワーク分断と社会資本の偏在

石井 香世子(名古屋商科大学)

 越境女性移住者のネットワークと社会資本分布に注目した既存研究の多くは、越境フィリピン女性を題材として扱うことが多かった。このため、越境移住女性研究は、多くの場合、越境フィリピン女性に関する研究から引き出されたモデルを所与のものとする傾向があった。しかし、フィリピン女性・日本女性・タイ女性・ブラジル女性・ロシア女性など、さまざまな社会的背景を背負った越境移住女性は、本当に一括りに分析できるものなのだろうか。

 本発表では、トランス・ナショナルな母子関係・サポート関係が数多く研究されてきたことから明らかなように、"つながり"が強調されてきた越境フィリピン女性のネットワークに対し、非常に狭い地域に住むタイ出身者どうしがネットワークを敢えて分断し、社会資本を狭いネットワーク範囲内で"守ろう"とする傾向を指摘する。フィリピン女性が、越境移住したからこそ、ネットワークを発達させるのに対し、タイ女性は、越境移住したからこそ、より希少な社会資本を守ろうとして、ネットワークを分断させる様子を見ていく。ここから、越境移住女性のネットワーク構築と活用に関して、フィリピン女性から引き出されたのとは異なる、分断型のネットワーク構築が見られる例を指摘する。

 具体的には、日本の東海地域(愛知・三重・岐阜・静岡の4県)に在住するタイ出身女性に関して、アンケート調査、インタビュー調査に参与観察を併用して調査した結果を報告する。

第2報告

「旧植民地」出身女性のアイデンティティの日仏比較
――同化主義、シティズンシップ、ジェンダーの視点から

辻山 ゆき子(共立女子大学)
小林 淳子(お茶の水女子大学)

 在日コリアンなど旧植民地出身者への日本の同化主義は、その民族性をみとめず、「国語」と日本文化、植民地時代はさらに天皇への忠誠を強制するものであった。現在も、多くの人が「創氏改名」に由来する「通名(日本名)」を使用して日常生活をおくり、帰化の際にはこの「通名(日本名)」を正式な名前とすることが多い。これは日本民族への同化である。いっぽうフランスの同化主義は、フランス革命以来の自由・平等・博愛という普遍的文明に根ざしているといわれる。しかし、フランスにおいても植民地出身者の伝統的慣習は、文明から遅れ、フランス人権宣言の精神に反したものとして、認められてこなかった。旧植民地出身フランス人にたいして現在のフランスで行われているのは、共和主義にもとづく市民社会への同化である。日本とはまたべつの同化の論理によって、かれらの言語、文化などは尊重されていない。

 本報告では、日本とフランスの旧植民地に出自をもつ第二世代の女性のアイデンティティの比較をとおして、両国の同化主義のありかたの相違点と共通点がアイデンティティにどのような影響を与えているのかを、ジェンダーの視点も交えて考察する。具体的には、小林の2006~2007年に行った在日コリアン2世の女性の聞き取り調査と資料、辻山の在仏マグレブ第2世代女性の文献によるアイデンティティ調査を、シティズンシップ、民族、ジェンダーを軸に、平等と相違の主張のバランスに注目しながら、比較する。

第3報告

移民の子ども研究再考
――きょうだいという家族内の重層性に着目して

宮川 陽名(一橋大学)

 本報告は、1990年代以降、重点的に取り上げられてきた移民第二世代研究の流れに着目し、「新・第二世代」と呼ばれる集団を対象としたアメリカにおける近年の移民の子ども研究を概観するものである。さらに、既存の先行研究を踏まえて今後さらに着目すべき点を提示することを試みる。具体的には、過去の移民研究において一般的であった世帯アプローチによる移民活動がジェンダーの視点から再考され、家族内に存在する利害の多様性が指摘されたように、子どもに焦点を当てることで、研究の起点を親だけでも親子の関係からでもなく、子ども同士―きょうだい関係―に移し、多層的な家族関係に見る相互作用を分析する。そして、家族内の相互作用を受ける個々の移民の子どもが、外部社会といかに接触し、それを解釈するようになるかを問いたい。これは大人の視点から語られてきた移民活動を子どもの視点に置き換えて検討するという試みであるばかりでなく、アメリカの基本的価値のひとつである個人主義言説を分析枠組みに反映させるためにも不可欠な視点である。また、移民家族内のきょうだいの差異に着目することは、時代的背景と個々の発達過程というマクロおよびミクロの両時間軸を交差させ移民家族を捉え直すことであり、出身社会から移民先社会に至るまでの既存の文脈理解を超え、より重層的な視点を提示すると共に移民の社会編入過程の初期分岐点を分析する試みでもある。

第4報告

東アジアにおけるコリアンネットワークとアイデンティティ
――「ワンコリアフェスティバル」(市民団体)の歴史的形成過程の考察から

金 椿月(一橋大学)

 同時多発テロ対策としてのブッシュ大統領による「悪の枢軸」発言を契機に朝鮮半島の緊張は高まり、「北朝鮮」報道は社会を賑わせている。合衆国を頂点とした新自由主義によるグローバル化が進む一方で、しかし、東アジアの秩序形成に向けた越境的市民運動の始動は、冷戦崩壊前後からローカルな現場で多元的な広がりを創り出してきた。

 「ワンコリアフェスティバル」(以下、OKF)は、1985年、大阪の在日コリアンによって「8・15フェスティバル」として結成された。当初、1972年の「7・4共同声明」に呼応し南北対話の具現化を試みるローカルな実践であったOKFは、冷戦崩壊以降アジア地域における国際統合を視野に入れた「市民」連帯へと変化していった。この過程では自民族のみを考える利己的なあり方を超える挑戦があった。その変化は、次の3点に要約できる。第一に、冷戦体制下の南北対立を克服するための模索、第二に、1990年から、緊張緩和と平和共存の潮流を汲んだ「アジア共同体」形成への提言、第三に、2004年からのNGO設立と韓国市民団体との連結である。それでは一国内の市民団体が国際的規模の活動にどのようにかかわっていくことができたのか。

 本報告では、東アジアでのコリアンたちによるネットワーク形成過程について考察するため、OKFの展開過程を明らかにしていく。とりわけ、そこでは、運動団体の歴史的経緯と運動主体のアイデンティティに着目する。また、そのための研究の素として、パンフレットやインターネットからの資料、インタビュー、参与観察記録を使用する。

第5報告

人種を包摂/異化する社会
――滞日メキシコ人の出身社会をめぐる語り

岸下 卓史(立教大学)

 メキシコでは植民地時代からメキシコ革命に至るまで差別的な人種関係が存続しており、革命以降の歴代政権は先住民に対する社会政策を実施し、先住民の経済レベルを向上させることで先住民に対する差別的な意識を解消しようとしてきた。

 そこで、筆者は日本に滞在する滞日メキシコ人(メスティーソ)から出身社会の、特に人種関係をめぐる聞き取り調査を行い、そのデータによって滞日メキシコ人が生きた当時のメキシコの人種関係を明らかにしようと試みる。

 まず、調査データからはメキシコでは混血が進み、異なる人種に対して寛容である、という語りが見てとれる。けれども、それに反して、先住民を肯定的・否定的に拘らず何らかの対立項によって表象するような語りも見られる。この矛盾はどのように解釈できるか。転じれば、それらの差別的な語りは、メキシコの社会的な格差という文脈でなされていることがわかる。つまり、社会的格差が人種意識を存続させている原因であり、その場合、社会的格差が縮小していくにしたがって、人種意識も薄れていくと推定できる。だが、注目すべきは滞日メキシコ人が二種類の先住民について語っていたという点である。メキシコ混血社会は、一方で文化変容をとげる先住民を包摂し続けるとともに、他方で伝統文化を維持する純粋な先住民を異化し続ける(包摂/異化のメカニズム)。本報告では最後に、このメキシコ人の相矛盾する人種意識がいったい何を意味するのか簡潔にまとめる。

報告概要

広田 康生(専修大学)

 本部会は石井香世子「在日タイ人女性内のネットワーク分断と社会資本の偏在」、辻山ゆき子・小林淳子「『旧植民地』出身女性のアイデンティティの日仏比較」、金椿月「東アジアにおけるコリアンネットワークとアイデンティティ」、岸下卓史「人種を包摂/異化する社会」の4本の報告がなされた(副題は紙幅の関係で割愛)。石井香世子の第1報告では、少なくともタイ人女性に関する限り、越境女性移住者のネットワーク形成と社会資本との関係には、個人の言語能力や都市部居住といった要因よりも、むしろ階層にもとづく「情報共有ネットワークを築く」要因の重要性が指摘された。辻山ゆき子・小林淳子の第2報告では、在日コリアン二世と在仏アルジェリア二世に注目し、仏の共和主義的同化主義に隠された人種主義と日本における民族同化主義との差異と共通性が指摘された。金椿月の第3報告では、大阪の在日コリアンが結成したワンコリアフェスティバルが東アジアにおいて「国境を越えた異種混交のネットワーク」を形成している実態が報告され、岸下卓史の第4報告は、メキシコにおいて「植民地的権力関係のなかで成立した」「先住民」概念の分析であったが、それが植民地的権力関係の消滅のなかでいかなるエスニック関係として残るか問おうとしていた。

 全体としては、それが「社会資本とネットワーク形成」のテーマであっても「統合」分析であっても、また「越境するネットワーク」分析にしても、大掛かりなそれよりか、「個人」のアイデンティティや「語り」あるいは「映画」シナリオに注目するといった細やかな分析がなされ、現実に即して問題提起をしようとする研究姿勢が感じられた。日本のエスニシティ研究の幅の広がりも感じさせる諸報告だったとは思う。都市社会学の立場からエスニシティ研究に関心を持ってきた筆者としては、個人的には、具体的な場所での出来事を起点に、エスニシティ研究を出発点にしながら社会の基層部分の分析に広がっていくような研究の道のりを考える必要があると自戒した。

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