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年次大会
大会報告:第55回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第11部会)


第11部会:身体・生命  6/17 10:00〜12:30 〔1B棟・3階 1B303講義室〕

司会:赤川 学(東京大学)
1. 「産まない」身体の在処――少子化対策関連データからの一考察 川野 佐江子(立教大学)
2. 障害をもつ子どもを迎え入れる反優生思想の可能性
――先天性四肢障害児父母の会の1970/80
堀 智久(筑波大学)
3. 「遺伝子決定論」からみたエンハンスメントと生命倫理[PP使用] 土屋 敦(東京大学・日本学術振興会)
4. 「生命倫理の社会学」は可能か?――価値判断を対象化する方法論をめぐって 皆吉 淳平(芝浦工業大学)
5. 健康意識・健康行動と権威主義的態度の関係 藤岡 真之(弘前学院大学)

報告概要 赤川 学(東京大学)
第1報告

「産まない」身体の在処――少子化対策関連データからの一考察

川野 佐江子(立教大学)

 子供を持つという「当たり前」のことが、社会的に奨励されなければならないほど今や少子化は問題視されている。しかし、少子化の問題は、高齢化社会の問題と結びつき、社会は「これまでと変わりなく発展しなければならない」という大きな前提の元に生じている現象だとも言える。

 しかし、現実社会には子供が欲しくても持てない人、あるいは持たないと選択した人などが存在する。「産まない身体・産めない身体」がマイノリティであるという前提は、生殖を女性だけに依存した一昔前のジェンダー論の埒内であるばかりでなく、社会は発展しなければならない、人口は増えなければならない、という近代的生産至上主義の埒内であるとも言えるだろう。

 本研究では、あえて「持たない」を選択した人(女性に限定しない)に焦点を当て、「産む」ことを強制する制度と生物としての「産む」本能から距離を置く人たちが置かれている状況を、彼彼女の「主(自-他)-客(他-自)」問題を中心にして考察してゆく。特に、「産む」問題を「生殖」という問題に置き換えることで、身体という場で「生物としての身体(生の身体)」と「社会の中の身体(近代理性としての身体)」がいかに関係し合っているか(ただし、これら2項が自明であるか、あるいは対立存在なのかなどの諸問題は、ここではとりあえず括弧にいれておく)を考察する。

第2報告

障害をもつ子どもを迎え入れる反優生思想の可能性
――先天性四肢障害児父母の会の1970/80

堀 智久(筑波大学)

 本研究の目的は、先天性四肢障害児父母の会の運動の展開を追い、そのなかで親たちが、いかにして障害をもつ子どもを迎え入れる文化を紡ぎ出し、育んできたのかを明らかにすることである。

 先天性四肢障害児父母の会は、1975年に設立され、環境汚染が様々に問題にされた時代にあって、子どもの障害の原因究明を訴える運動として始められた。親たちは、国・厚生省に催奇形性物質の特定・除去を求め、他方ではシンポジウムや写真展の活動を通じて、こうした障害をもった子どもが二度と生まれないように社会啓発を展開していく。

 だが、この70年代における「父母の会」の原因究明の訴えは、80年代に入り、次第に行き詰まりを見せるようになる。親たちはその後、子どもが主役のシンポジウムや写真展の活動を通じて、積極的に「障害をもった子どものいる暮らしはけっして不幸ではない」ということを社会に訴えていく。

 とりわけ、本研究では、当時積極的に運動に携わっていた遺伝会員(遺伝性の障害の子どもをもつ親)および成人会員(先天性四肢障害をもつ障害者)に聞き取り調査を行っている。70年代および80年代以降の運動のもつ問題性や限界性、そしてそれを乗り越える可能性が検討される。

第3報告

「遺伝子決定論」からみたエンハンスメントと生命倫理[PP使用]

土屋 敦(東京大学・日本学術振興会)

 エンハンスメントは、松田(2006)の定義によれば、「健康の回復と維持という目的を超えて、能力や性質の「改善」を目指して人間の心身に医学的に介入するということ」であるとされる。近年、特に欧米圏においては向精神薬や遺伝子研究及び遺伝子検査技術などの発展を受けて、「治療を超えた」領域への医学や医療技術の介入(エンハンスメント)の是非が特に生命倫理学分野で盛んに議論され始めている。本報告は、上記のエンハンスメントの中でも遺伝子技術とその応用に関係する領域の問題群に焦点化しながら、遺伝子技術の応用に対する社会意識調査データ(N=3000)を分析の俎上にのせつつ論を展開することを目的とする。その際に、特に「遺伝子決定論」(人間の知能や行動、疾患の罹患率などは主に遺伝子によって決定されるとする考え方)の度合いを分析モデルに組み込みつつ、エンハンスメント領域への遺伝子技術の活用の意識及びそれに対するニーズの分布を明らかにする。

第4報告

「生命倫理の社会学」は可能か?――価値判断を対象化する方法論をめぐって

皆吉 淳平(芝浦工業大学)

 生命をめぐる科学技術の進展は、「生命倫理が問われる」ものとされ、社会には「生命倫理」に関する言葉が溢れている。現代社会は、生命倫理を語る社会であるとも言えよう。経験科学として社会学は、価値判断を行わないという自己規定を行ってきた。しかしながら生命倫理が問われる諸問題は、様々なレベルで価値の問題に直面する。社会学が「生命倫理」を対象とするには、この事実と価値との関係をどのように考えねばならないのだろうか。

 本報告ではフォックス(R.C. Fox)とデ・ブリース(R. DeVries)の議論を中心的に論じる。フォックスは「生命倫理の社会学」を切り拓いた研究者であり、デ・ブリースは90年代以降、積極的に「生命倫理の社会学」を定式化することを試みている。しかしながら両者の「生命倫理の社会学」という構想は、必ずしも一致するものではない。これまで明示的な形で検討されることは少なかったフォックスの「理論」的背景にはパーソンズの存在に加えて、マートンの科学社会学が存在していると指摘できる。それに対してデ・ブリースは、「意味」あるいは「文脈」に重きを置く。それは「価値」を経験科学としていかに扱うかという立場の違いであると言える。

 「生命倫理」を語る現代社会を分析しようとしたときに、我々は改めて社会学とは何か、という問いに直面することとある。こうした自己言及的な問いを抱えつつ現代社会を研究することは、「生命倫理の社会学」の困難であると同時に、社会学理論としての大きな可能性を秘めたものなのである。

第5報告

健康意識・健康行動と権威主義的態度の関係

藤岡 真之(弘前学院大学)

 健康に関する関心の高まりは、長期的な価値観の変化という観点からみると、脱物質的価値観の広まりと考えることができる。だが、吉川徹は、権威主義的態度が健康意識の高まりの動因となる側面を持つことを計量分析から明らかにしている(1998『階層・教育と社会意識の形成』)。吉川も述べているように、本来、脱物質的価値観は権威主義的態度とは相反すると考えられる価値観である。本報告では、健康に対する関心の背景にある価値観の問題を検討するために、2005年に東京で若年層を対象にして実施した量的調査のデータを使用して分析を行う。

 分析の結果、明らかになったことは以下の諸点である。@健康に対する関心はいくつかのタイプ分けをする必要があることA権威主義的態度が関係しているのはそのうちあるタイプの健康意識・行動であるということB権威主義的態度と関連を持っている健康意識・行動は、脱物質的価値観とは必ずしも関連をもっていないということ、等である。

 以上からいえることは、健康に対する関心の高まりの背景には、権威主義的態度が部分的に影響しているため、健康に対する関心の高まりは全面的に首肯できる現象ではない一方、かといって、あるタイプの健康に対する関心は脱物質的価値観と関連を持っていることから、必ずしも否定的にみるべき現象でもないということである。健康についての社会学的分析は、「健康」概念のもつ多様な側面を念頭に置くべきである。

報告概要

赤川 学(東京大学)

 各報告の概要は、以下の通り。  川野報告では、少子化関連政策が「産む」性を中心に「産む」ことを前提として成立していることが指摘された。さらに既存統計の再解釈を通して、「産む/産まない」という対概念の外側にあり、性、年齢、役割などを包括する可能性をもつ<産まない>身体という概念設定の必要性が論じられた。

 堀報告では、1970年代から80年代にかけての先天性四肢障害児父母の会の運動が、「被害」者としての「原因究明」から、親たちが「遺伝したっていいじゃないか」と障害をもつ子どもを迎え入れる反優生思想の実践へと、いかに展開していったかが、詳細な聞取り調査をもとに説得的に論じられた。

 土屋報告では、全国無作為標本抽出に基づいたweb調査に基づきつつ、美容整形やホルモン治療など遺伝子エンハウスメント(治療や健康維持ではなく自己の能力や性格改善を目的とした治療)への忌避感/ニーズが、正確な遺伝子の知識より、記号としての「遺伝子」の認識のされ方に規定されていることが示された。

 皆吉報告では、R.C. FoxとR. DeVriesの議論を中心に「生命倫理の社会学」がいかにして可能かが論じられた。経験的記述を維持しつつバイオエシックスを対象化するFoxのアプローチに対し、R. DeVriesでは「意味」や「文脈」が重視されており、両者の差異が経験科学が「価値」をいかにして扱うかという立場の違いに起因することが指摘された。

 藤岡報告では、2005年、東京の若年層対象の標本調査をもとに、権威主義的態度と健康意識、健康行動の関連が分析された。権威主義的態度と健康への関心には正の相関が存在するが、より詳細にみると脱物質主義的な健康法(有害物質忌避・自然志向)と権威主義的健康法(サプリメント・運動など)といった区別が導入可能であり、両者と権威主義的態度との関連は異なりうることが示された。

 政策や運動の言説分析あり、標本調査に基づく計量分析あり、学説史的検討ありと、身体・生命という研究領域が多様な問題関心とアプローチによって開拓されていることが伺えた。ただいずれの報告においても、経験的な事実や言説と、生命をめぐる価値や規範を、社会学がいかに関連づけるべきかという、基本的にして重大な問いが問われている。この点に関してさらなる相互対話を期待したい。

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