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年次大会
大会報告:第57回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)


第1部会:歴史社会学

司会:米村 千代(千葉大学)
1. 戦間期における「学生」運動の歴史社会学的考察 ――東京帝大新人会における結社と政治的主体性 後藤 美緒(筑波大学)
2. 日本橋三越の誕生――広告都市化のなかの老舗化 楠田 恵美(筑波大学)
3. 東京とソウルにおけるラブホテルの比較社会学史 閔 淑(早稲田大学)
4. 戦時下の神社とナショナリズム 中村 香代子(早稲田大学)
5. 歌舞伎の高尚イメージ形成と「ハイカルチャーの大衆化」 香月 孝史(東京大学)
第1報告

戦間期における「学生」運動の歴史社会学的考察 ――東京帝大新人会における結社と政治的主体性

後藤 美緒(筑波大学)

 日本における戦間期は、労働者の権利保障の拡大を求める友愛会をはじめとして、学術研究を通じて国民生活の安定を図る黎明会など、目的を同じくする人々が、組織的な活動を通して状況を変革することを目的とした結社を数多く結成した時代でもある。東京帝大新人会〔以下新人会、1918-1928〕も、そうした状況の中で結成された団体である。彼らが運動において提示した政治性は、とりわけ戦後の学生運動との連続性に繋がるものとして今日理解されている。 だが、従来の研究の知見は示唆に富むものの、新人会の活動における政治性を理解するためには、何よりも彼らが学生であったという状況に重要だと思われる。なぜなら、大学の大衆化が進むただなかで、多くの学生たちは、学生という自らの社会的地位が不確かなものになる状況に直面していたが、新人会をはじめとして彼らは結社として活動することを通じて、自己の固有性を模索していったと考えられるからである。

第2報告

日本橋三越の誕生――広告都市化のなかの老舗化

楠田 恵美(筑波大学)

 本報告の目的は、以下に示す各三つの時代それぞれにおける日本橋三越本店の空間的・時間的射程の特質を明らかにすることにある。 三越呉服店の時代:一般的に日本の百貨店は、三越呉服店が1904年に行った「デパートメント・ストアー宣言」を以って創始とされている。しかし、この年に百貨店が誕生したのでは必ずしもなく、この年を前後する時期をかけて、三越呉服店は他の呉服店とともに、百貨店像への到達を目指し経営方式の変革を試みていた。 三越百貨店の時代:関東大震災前後から、百貨店像はある程度明確化する。各呉服店の百貨店への名称変更、そして各百貨店の店舗の拡張、支店の拡充がこの事を示している。最も顕著な出来事として、鉄道百貨店の誕生が挙げられる。 日本橋三越の時代:1970年代以降の最盛期を越えた時代である。日本橋三越は積極的にその所在地である日本橋地域との連帯を強め、そして老舗であることをアピールする。 以上の日本橋三越の変遷から、都市における空間・場所・経験の問題、表象・想像・物質性の問題、歴史・記憶の問題を交差させながら検討したい。

第3報告

東京とソウルにおけるラブホテルの比較社会学史

閔 淑(早稲田大学)

 近代以前の日本は森の中や皇居前広場などの屋外でセックスをすることが日常・常識的なことであったが、近代化と都市化は屋外でのセックスをいけないこととし、屋内で行なうセックスが常識であると認識を変えた。そんな中、1960年の東京オリンピック後、ラブホテルは「商品化された性的空間」として具現化され、ラブホテルは全国的に広がり始める。日本でラブホテルという言葉が始めて雑誌に登場したのは1973年、一般化されたのは1979年ごろである(井上、1999)。近代以前の韓国も日本と同様、階層が低い人たちの間では屋外でのセックスが一般的であった(ヒョン、2004)。韓国のラブホテルの誕生も、1988年のソウルオリンピックと深い関係がある。当時、外国人観光客用ホテルとして生まれた高級ホテルであるパークテルが建設されたが、オリンピック後宿泊ではなく「休憩」を中心に営業することになった。そのことがラブホテルの大衆化の始まりである。ちょうどその時期に韓国でも「ラブホテル(러브호텔)」という言葉が日本から輸入されて広がる。つまり、韓国のラブホテルの誕生は日本より10年遅い1980年代後半である。 本稿では、日本と韓国におけるラブホテルの誕生とその広がりを東京とソウルという都市の歴史と共に考察することで、日本と韓国における近代とセクシュアリティの歴史を考察する。 研究方法は、東京・ソウルの都市の歴史の中でラブホテルがどのように位置づけられるかを示す歴史的な資料を分析しながら、それぞれの国でラブホテル業界で働いている人たちに対する聞き取り調査の結果を用いて考察する。 引用・参考文献 井上章一(1999)『愛の空間』角川選書、金益見(2008)『ラブホテル進化論』文春新書、 현택수(2004)『현대인의 사랑과 성』동문선현대신서(ヒョン・テクス(2004)『現代韓国人の愛と性』東文選 現代新書)

第4報告

戦時下の神社とナショナリズム

中村 香代子(早稲田大学)

 国家儀礼や式典を行うための広場や自国民の戦死者を慰霊、顕彰、記念する建造物などのような国家を象徴する空間は、世界に広く見られるものである。しかし、そのような国民国家の文化的装置は一様でなく、文化的差異や宗教的な違いを反映して、様々な様式をとっている。本報告では、靖国神社に代表されるような戦死者を神として祀る神社を、他の近代国民国家の戦争記念空間と同質な文化的装置であると位置づけたうえで、戦時下の神社とナショナリズムの関係性について考察する。 神社という場所が国家や戦争を想起させる空間へと急速に再構成されたのは、戦時期である。1930年代以降、国定国語教科書に神社の記述が増え、1939年には戦死者を神として祀る各地の招魂社が護国神社として全国的に組織化される。1940年には紀元二千六百年記念行事として新たに国家的色合いの濃い神社が建立され、様々な式典が神社で催された。これらの事例に対して、神道研究者や教育者が神社という場所をどのように考えていたのかを、国体論と神道の結びつきを考えた河野省三や当時の神道論説を多く掲載した『皇国時報』などの記事などを手がかりに照らし合わせて検討する。社会史的事例と言説の両面から、神社とナショナリズムの問題を捉えなおすことが本報告の目標である。

第5報告

歌舞伎の高尚イメージ形成と「ハイカルチャーの大衆化」

香月 孝史(東京大学)

本報告では、今日ハイカルチャーとして社会に認知される歌舞伎について、そのイメージが形成されてきた変遷を追い、高級文化としての社会的位置を支えるのはどのような要因であるのかを考察する。この中で、「ハイカルチャーの大衆化」が生じているとされる現代日本の文化受容に関し、「大衆化」するとは具体的にいかなる様態であるのか、歌舞伎を対象に一例を引き出したい。  西欧演劇の流入する明治以後、歌舞伎は芸術的に低級であると批判を受け続ける存在であった。批判的視線は第二次世界大戦後にも引き継がれ、芸術的にみた低俗性、あるいは封建的体質に対する糾弾が繰り返される。その流れから隔絶し、今日の社会的位置に繋がるような歌舞伎イメージを提起するのは、そうした近代の歌舞伎批判の論点に自覚的でない、1970〜80年代の若年層及び若年層向けメディアである。それら新興層の眼差しにとって、歌舞伎はその歴史性("伝統")を背景に、予め高尚な芸術として認識される。ハイカルチャーとしての根拠を具体的に検討することなしに歌舞伎の高尚性を所与として捉えるこの新興層が、高級文化としての歌舞伎のイメージ拡大をリードし、またこのイメージの維持にも寄与している。 今日の歌舞伎にとって「ハイカルチャーの大衆化」とは、広範な層に「大衆的」な生活習慣として根付くことではない。「大衆」(=非専門家層)の眼差しが権威付け・イメージ形成を担っていることこそが重要なのである。

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