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年次大会
大会報告:第57回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第2部会)


第1報告

システム論における観察問題 ――信頼の概念を手掛かりに

丸目 正広(学習院大学)

 二クラス・ルーマンが自己言及的なシステムが存在すると、社会学に問題提起を行って以来、そのシステムの存在性格をめぐって様々な議論がなされてきた。しかし、ルーマンのシステム理論のモデルとなったオートポイエーシス・システムは、本来、観察不可能な概念であり、それを社会的実体として対象化することには理論的な困難がある。 産出されたものがあれば、それを産出した働きが必ずある。この産出の動きを理論化したものがオートポイエーシスである。そして、それが動きの理論化である限り、システムを実体的対象として扱うことはできない。 社会において産出されるものとは、コミュニケーションであり、コミュニケーションが産出されているという観察的事実から、そこにシステムの存在を想定し、それを理論的に構成することできる。しかし、その場合、システムそれ自体が対象として観察されているわけではない。したがって、行為者相互の間でシステムの理解が異なっている可能性を排除しきれない。だが、両者が記述するシステムが完全に一致する根拠がないとしても、それにもかわらず、それはお互いに収斂していき、近似的な像を描いていくと考えられる。なぜならコミュニケーションについての両者の理解の相似性を前提としない限り、一般的に言ってコミュニケーションの継続は困難と考えられるからである。システムの観察の問題は行為者相互の間にある信頼の問題として考察することができると考えられる。

第2報告

H・アレント『人間の条件』における公共性の議論の再解釈 ――「はじまり」へ向けた「社会的なもの」の理解のために

河合 恭平(東京工業大学)

 H・アレントの『人間の条件』(以下『条件』)における、「現われ」と「世界」という古代ギリシアのポリスから得られた二つの意味を持つ公共性の議論は、彼女の理念的な公共性論として、その文脈を問わず受容されている。しかし、『条件』に提示されている目的と意図が「緊急の問題に解答を与えること」にはなく、「社会的なものを理解すること」にあることを考えると、このような受容は一面的であることを免れず、彼女の主張を見誤る危険性があるように思われる。 以上を受けて、本報告では、『条件』に関するアレントの思想的背景や彼女の与えた目的・意図に則って、本書で提示されたギリシア的公共性の意図と「社会的なもの」における公共性についての彼女の理解を把捉することを目的とする。 論点は次のとおりである。1.『条件』で公共性(公私区分)が取り上げられた理由は、a.ギリシアの公私区分を分析枠組みとして、行為領域を歴史的に跡付けることで「社会的なもの」を理解するためであり、また、b.その「政治的意味」を理解するためである。そして、2.彼女の「社会的なもの」の理解においては、ギリシア的な公共性は崩壊し、むしろ「社会的なもの」こそが近代的な意味での公共性になっているのである。更に、3.公共性を構成する「活動」概念が暴力的な側面を持っていたことをアレント自身が論じている。アレントは、こうした公共性の現状を理解することで、古代の政治理論への単なる回帰に留まることなく、それを参照しながら新しい「はじまり」を持つ公共性を築こうとしていたのである。

第3報告

アドルノの「概念」論――批判の対象としての「概念」、批判の媒体としての「概念」

片上 平二郎(立教大学)

 「ポスト・モダニズム」思想の広がり、もしくは社会学の中では「構築主義」の展開の過程で、ある「概念」がなんらかの「本質」を持った「実体」的なものであるという見方に対する疑念は大きなものになってきた。そして、「概念」に対してその虚偽性の指摘を行うこと、もしくは脱構築や侵犯行為を行うことなどを通じて「批判」や「相対化」を行い、同時にそこからその「概念」を生み出した「社会」それ自体も「批判」しようとする戦略も強い力を持ち始めるようになった。アドルノの「否定弁証法」という思想もまた、このような「概念」批判の系列の中に位置づけられ理解されることが多いものとしてあるだろう。たしかにアドルノは、「概念」の自己運動として描かれたヘーゲル的な「弁証法」が持つ"概念の優位"という性質を批判しながら自らの「否定弁証法」という方法を展開しており、「概念」の物象化という事態について批判的に論究している。しかし同時に、アドルノは「概念」的思考が批判理論の中で持つ役割に大きな意味を見出している。「概念」を経由しない思索は"神話的退行"というもう1つの物象化に行き着いてしまうことになる。 本報告では、"批判の対象"と"批判の媒体"というアドルノの「概念」に対する議論の二重性に着目しながら、彼の「概念」論が持つ批判理論における意味についての考察を行っていく。アドルノの思想には「概念」に対する「相対化」とは違ったかたちでの「概念」批判の可能性が存在しているものと考えられる。

第4報告

EM的エスノグラフィーとシステム開発の関係性

秋谷 直矩(日本学術振興会)

 ACMとMCCの共催でCSCW(Computer-Supported Cooperative Work)が86年に開催されてから、当該領域において、コンピュータサイエンスと社会科学の領域横断的取り組みが展開されている。近年、エスノメソドロジー的エスノグラフィーとシステム開発の取り組みを扱った教科書も上梓されている(たとえばCrabtree, 2003; Randall et al, 2007)ことが示すように、システム開発の資源/評価として、エスノメソドロジーに志向したエスノグラフィーを用いるケースが非常に増えている。そうしたなかで、エスノグラフィーとシステム開発の関係に関して、いくつかの論争が展開されてきた。それぞれの論争に通底するものは、システム開発により密着したかかちでエスノグラフィーを行うべきなのか、あるいは、両者をそれぞれ独立して行うべきなのか、という問いである。本報告では、論争内で展開されてきた方法論的議論を踏まえつつ、実践例の検討を通して、この問いについて考察していきたい。
参考文献
Crabtree, A., 2003, Designing Collaborative Systems: A Practical Guide to Ethnography, Springer, London.
Randall, D., Harper, R. & Rouncefield, M., 2007, Fieldwork for Design: Theory and Practice, Springer, London.

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