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年次大会
大会報告:第58回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第10部会)


第1報告

雑誌『スタイル』の変容と「お洒落」の創出

古舘 里尚(文化女子大学)

1936年6月に宇野千代編集による雑誌『スタイル』は創刊された。当初『スタイル』は「お洒落」雑誌として自身を提示したが、戦況が長引き、泥沼化するにつれて、総力戦体制に適合する女性生活を提示する編集方針へと徐々に変化していく。その結果、1941年9月号を境に『女性生活』と改称することになる。

『スタイル』は創刊当初「お洒落画報」(第2号 1936-7)を称し、海外の映画俳優のグラビアなどを積極的に提示した。誌面では、TPOに応じた着こなしを掲載する一方、洋裁記事などは掲載せず、現在のファッション雑誌の先駆として考えることができるような編集が行われていた。そこで『スタイル』は、新奇な「洋装」を解釈するための枠組みを提示した。それが「お洒落」という価値観である。誌面を時系列的に追うと、「お洒落」という用語は、広告考案者やエッセイストなどによって、様々な意味が付与されていることが判明する。この関係の中で、『スタイル』は「お洒落」を肯定的な価値観として主張したのである。

本報告は、雑誌『スタイル』が提案しようとしながらも、戦時生活と適合できずに消失した「お洒落」という価値観が、昭和戦前期に、どのようなものであったのかという問題を明らかにする。その上で、雑誌『スタイル』の特性と変容を跡付けつつ、人間にとって本質的なものとしての着装行為において、「お洒落」と表現された価値観の歴史的形成過程について検討する。

第2報告

明治・大正期女性雑誌にみる読者欄と読者共同体――『女学世界』を手がかりに[PP]

嵯峨 景子(東京大学)

近代日本における女性雑誌の注目すべき特徴として、投書を通じて読者同士、また読者と編集者の間で濃密な関係が形成され、それが雑誌への帰属意識や固有の自意識、文化へと結びついた点が挙げられる。本報告は明治・大正期に博文館から刊行された『女学世界』(1901年創刊、1925年廃刊)を対象とし、読者欄に掲載された投書の通時的分析を行う。この作業を通じて読者共同体の様態の歴史的な変化を示し、明治・大正期女性雑誌の読者欄において形成された読者ネットワークの実態やその意義の一端を論じてゆく。

日常的な情報交換や物々交換、誌面内容についてのやり取りの場として登場した『女学世界』読者欄は、1916年頃に、日常とは遊離したロマンティックな世界観の交信の場として発展する。しかしその後、それまで比較的ニュートラルに様々な方向性の投書を許容していた編集部側が、「有意義」な投書を重視する方向へ修正をはかり、それにともない読者が形成していたロマンティックな投書は制限を受け、ロマンティックな共同体は終息していった。

こうした変化の背景には、読者層を特定できないという困難を伴いながら模索する編集部側の試行錯誤も深く関わっていた。大正期以降女性雑誌の創刊が相次ぎ、雑誌のカテゴリーの細分化が進行するなかで、明治30年代に創刊された『女学世界』はどのような読者層を有し、また誌面においてどのような共同体が形成されていたのか。その読者共同体は雑誌の作り手とどのようなせめぎ合いをみせ、変容をしたのか詳細に示していく。

第3報告

ポピュラー音楽雑誌の系譜――音楽をめぐる社会的想像力について――

石川 千穂(筑波大学)

本報告は、主に戦後出版されたポピュラー音楽雑誌を対象とし、その媒体の性質を検討することを通して〈音楽〉の変容を描き出そうとする試みである。

「音楽」としてのユニットをきく者の任意性に委ねる「音楽のデジタルデータ化」などによって、音楽とは個人の感性によって象られるものだという認識がさまざまな音楽実践の場でみうけられる。「音楽雑誌の衰退(南田勝也)」という音楽雑誌の存在意義が消失しつつあるという認識も、「音楽批評の質の低下」という現状批判だけでなくこのような音をめぐる技術革新がもたらす音楽観の変化を意識したうえでの、言葉で音楽を扱う者が音楽に対する言葉の無効性を自戒として自ら掲げたものとしても捉えられる。

しかしながら、風景を「解釈であり、空間を見つめる人間と不可分」なものと論じたA・コルバンが、その解釈としての風景を描くにあたって「個人による評価は、集団的な解釈を参照する」としてその集合表象の歴史を辿ったように、音や音楽とは読み解かれるものであるという認識に立つ報告者は、昨今強調されがちな音楽の任意性という現状認識もひとつの音楽を巡る社会的想像力として捉え、そのような言説の回路を歴史的に見出そうとする立場に立つ。

本報告では、そのような音や音楽に対する社会的想像力の歴史を辿る足がかりとして、音楽雑誌が音楽という営みに果たしてきた機能について検討しながら、そこで「音楽」に託されている思想や理想を見出すことを目的とする。

第4報告

近代日本社会における芸術の自律性と外的環境――日露戦争以降の文学論争における議論から

矢崎 慶太郎(専修大学)

本報告では、20世紀初頭、近代、文学において行われた「論争」を対象とし、芸術を機能的に分化した自律的なシステムとみなす視点から、近代日本社会において、芸術がひとつの社会領域としてどのように成立し、運営されていったのかについて報告したい。

日露戦争以降、労働問題ならびに階級問題が激化するなか、作家の有島武郎は、雑誌『改造』において「宣言一つ」(1922年)を発表する。この文章のなかで作家の有島は、ブルジョワ階級とプロレタリア階級とのあいだには深い断絶があり、階級間の利害調整は不可能であると主張した。この問題は、周知のとおり芸術に特有な問題ではなかった。しかし文芸雑誌や新聞を中心とした論争が行われていくプロセスのなかで、この問題はやがて、「純粋」な芸術/階級、という芸術特有の問題へと変容し、利害関係の対立としての階級社会に対して、脱利害的な芸術を肯定した。

この「純粋」な芸術は、他の社会領域とは異なった芸術の正当性の根拠となる一方で、しかし社会から孤立した内向的な青年を生みだすという問題(私小説論争)や、芸術には芸術以外の価値が必要であるとする(内容的価値論争)を引きおこすなど、その存立基盤が疑われる根拠ともなった。

本報告では、このような芸術の「純粋さ」という価値に裏付けされた芸術が、どのように「自律性」を確保しながら、その外的な「環境」と接してきたのかについて述べる。