2008年度 第1回

西山志保(担当理事・山梨大学)

 本年度は、昨年度設定した「人口減少時代の地域づくり」というテーマをさらに発展させ、「人口減少時代の社会学」というテーマで、領域横断的な議論を展開します。

 人口減少の趨勢は今後、少なく見積もって数十年、長ければ数百年にわたって続くと考えられます。経済成長や人口増加に頼るのでない、人口減少を前提とした社会づくりが21世紀の日本にとって最重要な課題となります。

 ただし人口減少の趨勢は予測可能な範囲にとどまっていますし、少なくとも高度成長期以降の地方地域にとって「過疎」は身近で、既知の問題でした。また総人口が減少したとしても、現在の労働生産性を維持できれば、1人あたりの豊かさが減るわけではありません。人口減少問題の本質は、あくまで富やサービスをどのような原理原則に基づいて配分すべきかという、「社会」の問題にほかなりません。

 しかし、都市部で生み出された富(経済成長)を国民全体に再配分するという経済社会のあり方、すなわち国土の均衡ある発展というモデルが終焉を迎えつつあることは事実です。人口減少は、社会のさまざまな側面に影響を与えざるをえません。たとえば国全体に関わる問題では、年金・医療・介護制度の持続可能性が問題になります。個人や家族のレベルでは、1人暮らし世帯の増加、未婚者・単身世帯の増加といった現象面にとどまらず、グローバル化された世界社会における「リスクの個人化」が問題となります。地域・コミュニティのレベルでは、地域の自立、地方分権という名のもとでの地域間競争の激化、福祉の切り捨て、外国人労働者の生活問題、限界集落や農林業の存続可能性などが問われざるをえません。

 これらの問いに対して、社会学徒はどのように取り組み、来るべき社会を構想することができるかを、引き続き考えたいと思います。具体的には2009年6月の学会大会テーマ部会において、早くから農山村の過疎問題に取り組み、限界集落論・限界自治体論を積極的に展開している地域社会学の大野晃さん(長野大学)、福祉国家や高齢者福祉、介護保険のありようを福祉社会学の観点から展望している平岡公一さん(お茶の水女子大学)、結婚・離婚・親との関係などの家族関係の現状をふまえて、日本の家族や人口のゆくえを大胆に論じている加藤彰彦さん(明治大学)の3人をお招きし、人口減少社会・日本の「国づくり」について、忌憚なくご議論いただく予定です。

 また研究例会では、2人の新進気鋭の社会学者をお招きし、人口減少社会における高齢者のケアや外国人コミュニティの問題を論じていただきます。まず齋藤曉子さん(恩賜財団母子愛育会・リサーチレジデント)には、2007年の夕張市でのインタビュー調査をもとに、財政破綻の影響下での高齢者自身による生活の再編生を検討することで、資源減少地域における高齢者への支援について考えていただきます。次いで川田薫さん(エイズ予防財団・リサーチレジデント)には、在日ナイジェリア人の生活状況を概観し、出身州で設立している同郷人団体の活動をカウンターディスコースとして、日本社会の課題を論じていただきます。ふるってご参加ください。

開催日程

テーマ: 人口減少時代の社会学
担当理事: 赤川学(東京大学)、西山志保(山梨大学)
研究委員: 田渕六郎(上智大学)、原田謙(実践女子大学)
日 程: 2009年2月28日(土)14:00〜18:00
場 所: 東京大学本郷キャンパス法文1号館115教室
報 告: 報告(1):齋藤曉子(恩賜財団母子愛育会・リサーチレジデント)
「財政破綻地域における高齢者の生活の再構成」

報告(2):川田薫(エイズ予防財団・リサーチレジデント)
「在日ナイジェリア人の同郷人団体からみえる日本社会の課題(仮)」
司 会: 田渕六郎(上智大学)、赤川学(東京大学)

研究例会報告

赤川 学(担当理事・東京大学)

 本テーマ部会は、昨年度のテーマ「人口減少時代の地域づくり」を継受し、「人口減少時代の社会学」というテーマを設定した。人口減少がもたらす種々の社会変動――国土の均衡ある発展モデルの終焉、年金・医療・介護制度の持続困難、リスクの個人化、地域間競争の激化、限界集落や農林業の維持困難など――の諸問題に対して、社会学者がいかに取り組み、来るべき社会を構想しうるかを考えたかったからである。

 長らく限界集落のフィールドワークに取り組んでこられた大野晃さん(長野大学)は、第一報告「限界集落と地域再生」で、『山村環境社会学序説』で彫琢された自治体の格差分析をもとに限界集落の現状と未来を予想した。その上で、地域再生の原理を4点にわたって指摘した。@住民自身による地域再生策立案への参加、A限界集落にならないための予防行政と、限界集落での「ライフミニマム」の保障、B流域共同管理、C森林環境保全税の創設である。とりわけライフミニマムを保障する「山の駅」設置の重要性が強調された。大野さんの理論は、山村を公共財としてとらえ、流域の川上(山村)と川下(都市部)の人間が、いかにして村的原理を再生しうるかを問うていたように思われる。

 福祉国家の世界的再編の過程を理論化してこられた平岡公一さん(お茶の水女子大学)は、第二報告「日本における福祉国家の再編と社会政策研究」で1980年代以降の日本の福祉国家の変容を描いた。それによると80年代から90年代、日本は福祉国家化と脱・福祉国家化が同時に進行したが、90年代以降、脱福祉国家化(エスピン・アンデルセンいうところの自由主義レジーム)が優位になっていく。これに伴い家族福祉、企業福祉、企業福祉、各種補助金、公共事業など、従来、社会保障水準の低さを補ってきた「代替構造」の機能低下が生じ、社会民主主義レジームへの可能性と条件を探る分析が不可欠になるとする。

 全国家族調査のデータを丹念に分析してこられた加藤彰彦さん(明治大学)は、第三報告「人口減少・縮小経済時代の"新しい家"」で、最終的な同居確率の高さ(長男で約50%)、「東北日本型/西南日本型」直系家族という地理的分布の不変性を指摘し、現在もなお持ち家(土地・家屋)の継承を通して、「直系家族原理」が持続しているとした。さらに人口減少がもたらす需要縮小、生活水準の低下、資源争奪紛争などの衝撃に対応する原理として、「家的原理を現代的な形で再生することで、分権型社会の基礎を築く」という、大胆な提言を行った。幕藩体制以降継承されてきた「家」と「村」の自律性は、「地域主権型道州制」の社会学的基盤(ソーシャル・キャピタル)になりうるという。緻密な実証研究と、これまで社会学の世界でなされてこなかった大胆な提言のコントラストが印象的であった。

 次いで福祉社会学の副田義也さん(金城学院大学)が、人口減少が社会学に対してどのような理論的問い直しを求めているかを、@国民社会論、A社会変動論、B直系家族論、C村落社会論、D社会闘争論という5つの観点からコメントされた。とりわけ人口減少が従来の社会変動論と異なる円熟した歴史観を必要とすること、福祉国家の一原理としてのベーシックインカムがディストピアかもしれないという危惧を表明された。その後、赤川学(東京大学)がコメントを行い、フロアを交えた活発な質疑応答が繰り広げられた。

 個人的には、経済成長と人口増加を前提としてきた20世紀日本型の近代は終焉し、今後は、新しい原理に基づく社会再編が不可欠になると考える。この際、大野さんは、流域共同管理などによるムラ(村)的原理による再生を、平岡さんは、社会民主主義レジームによる福祉国家の再編を、加藤さんは、直系家族原理というイエ(家)的原理による再生を志向した。一見ディシプリンを異にする3人の社会学者が、人口減少という共通テーマのもとに、「21世紀の人口減少社会・日本を支える原理はムラ(村)か、福祉国家か、イエ(家)か」という、きわめて根源的な問いを立ち上げてくださった。今後、この問いをひとりでも多くの社会学者が継承していくことを願いたい。

 本部会は、ひとまず2年間の活動を終える。2回の研究例会、2回のテーマ部会にご参加いただいた発表者、討論者、フロアの皆様に、改めて感謝を申し上げたい。

2008年度 第2回

野上 元(担当理事・筑波大学)

 昨年度の「社会学における歴史的資料の意味と方法」に引き続き、あまり歴史社会学という分野を強く定義せず、「歴史」に取り組む社会学をめぐる諸問題について検討する時間と場を共有することを目指してゆきたいと考えている。

 2年目の本部会は特に、「『生きられる歴史』への社会学的接近」というテーマを掲げて、この課題に取り組んでゆくことにしたい。1年目においては様々な歴史的な資料の利用可能性と社会学的な想像力の関係を検討したが、人々の「ライフ」もまた重要で具体的な歴史的資料であるだろう。けれどもそれは、一方的に研究者の側がその利用可能性を考えるようなものではなく、それ自身で意味づけをし、自律的に体系性を構築していくような「生きた」資料なのである。

 共同体の物語としての「歴史」と、個人の物語としての「人生」とのあいだに、何か検討しておくべき社会学的な問題はないだろうか。「歴史」は、あきらかに個人の「ライフ」のスケールを越えた想念ではあるが、決して両者は無関係でもなければ、あるいはどちらかがどちらかを一方的に規定しているわけでもない。戦争や革命を始めとする数々の歴史的なできごとが、個々の「ライフ」のなかでどのように意味づけられ、あるいは人生の物語化のために呼び出されているのかを考えてみたい。

 来春に予定されている第2回研究例会では、まず、社会運動経験者への丁寧な聞き取りを積み重ねてきた相川陽一氏(一橋大学大学院)に「社会運動参加者におけるアクティヴィズム持続の諸形態――三里塚闘争の支援経験者への聞き取り調査から(仮)」を報告していただく予定である。私たちの社会は「闘争」を過去のものにし、「歴史」にしてしまっているが、運動参加者たちはその経験や運動の「持続」を探ってきた。そこでは、たんに運動を持続させるということだけが重要なのではなく、「歴史」化に抗する「持続」自体が「運動」として意味づけられ、主張されているのである。

 そして次に、ドイツ統一と大学改革というテーマでドイツ人を対象にインタビュー調査を実施した飯島幸子氏(東京大学大学院)に、「旧東ドイツ社会科学者が経験した『統一』:ベルリン・フンボルト大学における事例研究」を報告していただく予定である。歴史的な出来事は、どのように経験されたのか。しかも特に、「統一」という共同体の範域に関わる出来事を、社会科学者という観察者において考察しようという点で特色がある。氏は過日の学会大会報告「記憶・語り」部会で、同じテーマの報告をされているが、研究例会では報告時間をやや長めに取ることができるので、それぞれの語りの水準に位置した報告を聞けるのではないかと思っている。

 両氏の報告は、たんに興味深い事例の報告であるという以上に、歴史に取り組む社会学にとって示唆してくれるものが多いだろうと思われる。参加者も交えて知的な興奮が生まれ、取り組むべき課題や方法を緩やかに共有してゆくことができるのではないかと期待せずにはいられない。

 また、来年6月に予定されている大会テーマ部会では引き続き、「物語としての人生」と「物語としての歴史」とを取り結ぶ、いくつかの社会性の場を浮かび上がらせてくれるような登壇者をお願いしたいと考えている。

開催日程

テーマ: 『生きられる歴史』への社会学的接近
担当理事: 小林多寿子(日本女子大学)、野上 元(筑波大学)
研究委員: 大出春江(大妻女子大学)、菊池哲彦(東京大学)、武田俊輔(滋賀県立大学)
日 程: 2009年3月28日(土)14:00〜18:00
場 所: 日本女子大学目白キャンパス百年館低層棟2F 204教室
報 告: 報告(1):相川陽一氏(一橋大学大学院)
「社会運動参加者におけるアクティヴィズム持続の諸形態
――三里塚闘争の支援経験者への聞き取り調査から(仮)」
報告(2):飯島幸子氏(東京大学大学院)
「旧東ドイツ社会科学者が経験した『統一』
――ベルリン・フンボルト大学における事例研究」
司 会: 武田俊輔(滋賀県立大学)

研究例会報告

小林 多寿子(担当理事・日本女子大学)

 テーマ部会Bは、昨年度、社会学の歴史的な研究における「方法」や「資料」について考えた企画「社会学における歴史的資料の意味と方法」に引き続き、「歴史」に取り組む社会学をめぐる諸問題について検討する時間と場を共有することをめざして、「『生きられる歴史』への社会学的接近」を本年度のテーマとした。一年目にさまざまな歴史的な資料の利用可能性と社会学的な想像力の関係を検討したことを受けて、人びとの「ライフ」と歴史がいかに結びあわされるのか、あえて歴史社会学に限定せずに、いかなる議論が交わされうるのかを問いかける場を作り出すことをめざした。

 部会の主旨として、あらかじめつぎのような問いかけを発している。

 共同体の物語としての「歴史」と、個人の物語としての「人生」とのあいだに、何か検討しておくべき社会学的な問題はないだろうか。「歴史」は、あきらかに個人の「ライフ」のスケールを越えた想念ではあるが、決して両者は無関係でもなければ、あるいはどちらかがどちらかを一方的に規定しているわけでもない。戦争や革命を始めとする数々の歴史的なできごとが、個々の「ライフ」のなかでどのように意味づけられ、あるいは人生の物語化のために呼び出されているのかを考えてみたい。

 そこで、多様な現場を考察のフィールドとしている三人の報告者をむかえ、それぞれの研究対象のなかで、人びとの「ライフ」が「歴史」と結びあわさったとき、その「生きられる歴史」はいかに理論的・社会記述的な社会学的研究へ拓かれていくのか、三人の研究のなかからその可能性を紡ぎだしてみようという試みであった。

 南川文里氏(神戸市外国語大学)、金子淳氏(静岡大学)、内田隆三氏(東京大学)の三報告は、本部会の主旨を見事に表現してくれるものだった。まず南川氏の第一報告「エスニシティに織り込まれる『歴史』―アメリカ日系人における『世代』の言葉―」は、日系アメリカ人にとっての「一世の歴史」が必要とされた状況を考察し「アメリカ人」を強調したJACLがエスニックな歴史に関心をもつときエスニシティが歴史に織り込まれるときであったのではないかと論じる。たしかに日系アメリカ人社会にとって「世代」概念はそのコミュニティの「歴史」と不可分の関係にあり、その点で「世代」が作り出すエスニックな社会編成が「歴史」の場として注目されることが説得力をもって示された。また金子淳氏(静岡大学)による第二報告「多摩ニュータウンにおける経験の多様性」は、開発の歴史のなかで生き抜いてきた旧住民の経験と郊外住宅地として移り住んだ新住民の経験を突き合わせながら、ニュータウン二世の高い愛着度や新たな「伝統」の創造のあり様を示して、現在のアイデンティティ獲得のためのツールとして「開発前の歴史」が動員されるという興味深い指摘をされた。多摩ニュータウンの変容と現在を多くの貴重な視覚資料をパワーポイントで紹介しながら開示してくれたとおもう。さらに内田隆三氏(東京大学)の第三報告「歴史のなかの生きられる経験―まなざしの勾配、語りの曲率を通して」は、大正天皇に関する現代の二つのまなざしを手がかりに大正天皇をめぐる視線や叙法のなかに政治的文脈との交差やメディアの関与性を問いかけつつ、当時のさまざまな史料を詳細にかつ豊富に引用して「叙法」という概念で複層的な語りの展開を鮮やかに示してくれた。「生きられた経験」に近づくには実は集合的に「生きられた経験」を問題にしなければならないのではないかという鋭い指摘は、「生きられる歴史」を考えようとする本テーマの核心を突くものであったと思う。

 三人の報告はどれも興味深いものであったが、討論者である桜井厚氏(立教大学)、野上元氏(筑波大学)の両氏はそれぞれ議論の構成をさらに立体的にしてくれた。桜井氏から出された各報告者への丁寧なコメントはまとめるとマスター・ナラティヴの変化あるいは文脈の問題であり、歴史的出来事を扱うときの資料論への問いであった。また野上氏からは企画の主たる立案者として三者に対して「生きられ"る"歴史」とした意図をふまえて社会と歴史の関係をあらためて問いかけられた。報告者の真摯なリプライが交差し、社会学が「歴史」をいかに考えることができるのか、いかに社会学的接近が可能なのかという問いがあらためて現前化されたとおもう。当日は小雨のぱらつくあいにくの梅雨空であったにもかかわらず、会場には大勢の参加者があった。企画趣旨を見事に汲み上げ鮮明な視角で豊穣な議論の場を作り出してくれた三人の報告者と参加者に深謝いたします。

2008年度 第3回

開催日程

日 程: 2009年5月30日(土)14:00〜18:30
場 所: 日本女子大学目白キャンパス百年館低層棟1階 102・103教室

第3回研究例会「修論フォーラム」のお知らせ

担当:浅野 智彦(研究委員長・東京学芸大学)

 すでにニュースでお伝えしましたように、今年度の第3回研究例会を「修論フォーラム」として開催します。これは、2008年度に修士論文を提出した大学院生がその内容を報告し、他大学に所属する会員が論文を事前に読んだうえでコメントして、フロアの参加者とともに討論するものです。
 前号ニュースでの報告者募集に対し、9名の応募がありました。応募者からの希望に沿って会員にコメンテーターを依頼したところ、以下のように担当のご承諾をいただき、プログラムを作成しました。お忙しいなかご協力下さるコメンテーターのみなさまには、深くお礼を申し上げます。
 他の研究例会と同様、事前の連絡など不要で自由にご参加いただけます。各大学の大学院生をはじめ、会員・非会員を問わず、多数のみなさまのご参加をお待ちしております。なお、問い合わせなどのご連絡は、tasano@u-gakugei.ac.jp(浅野、送信のさいは@を半角にして下さい)までお願いいたします。


■セッション1〔102教室〕
司会:玉野 和志(首都大学東京)・小林 多寿子(日本女子大学)

14:00〜 「東京大空襲をめぐる記憶と語りに関する社会学的考察」

木村 豊(慶應義塾大学)
コメンテーター:野上 元(筑波大学)

15:00〜 「『記憶の場』を作る――フランス・国立移民史シテ設立の政治学」
田邊 佳美(一橋大学)
コメンテーター:宮島 喬(法政大学)

16:10〜 「日本社会における西洋芸術音楽の位相
      ――『演奏家』概念の成立と変容から」
田代 美緒(東京大学)
コメンテーター:宮本 直美(立命館大学)

17:10〜 「社会問題構成の不/可能性
      ――アルビノ当事者のライフストーリーから」
矢吹 康夫(立教大学)
コメンテーター:大出 春江(大妻女子大学)

■セッション2〔103教室〕
司会:浅野 智彦(東京学芸大学)・奥村 隆(立教大学)

14:00〜 「労働統合型社会的企業についての検討
      ――共同連の活動を中心にして」
米澤 旦(東京大学)
コメンテーター:藤村 正之(上智大学)

14:55〜 「E・H・カーの『国際秩序』構想――平和的変革構想とその失敗」
角田 和広(明治大学)
コメンテーター:井腰 圭介(帝京科学大学)

15:50〜 「女子高生たちの『かわいいコミュニケーション』心理メカニズム
      ――会話の分析とプリクラ分析を中心に」
吉田 かおり(早稲田大学)
コメンテーター:宮台 真司(首都大学東京)

16:45〜 「30代女性向けの雑誌における「働くこと」の描かれ方
      ――メディアとジェンダーの影響関係の相互性に関する一考察」
橋本 嘉代(お茶の水女子大学)
コメンテーター:江原 由美子(首都大学東京)
17:40〜 「音楽のリアル
      ――<反・ロック雑誌>『SNOOZER』にみる音楽言説の可能性」
石川 千穂(筑波大学)
コメンテーター:浅野 智彦(東京学芸大学)

「修論フォーラム」開催報告

浅野 智彦(前研究委員会委員長・東京学芸大学)

 今年4年目となる「修論フォーラム」が、5月30日に日本女子大学目白キャンパスにおいて開催されました。今回は、2008年度に修士論文を提出された8大学・9名の報告者を2つのセッションに分け、修士論文の概要の報告と、報告者が希望したコメンテーターからのコメントと応答、参加者をまじえた討論が行われました。

 このうちセッション1(司会:玉野和志氏・小林多寿子氏)では、木村豊氏(慶應義塾大学)「東京大空襲をめぐる記憶と語りに関する社会学的考察」(コメンテーター:野上元氏)、田邊佳美氏(一橋大学)「『記憶の場』を作る――フランス・国立移民史シテ設立の政治学」(コメンテーター:宮島喬氏)、田代美緒氏(東京大学)「日本社会における西洋芸術音楽の位相――『演奏家』概念の成立と変容から」(コメンテーター:宮本直美氏)、矢吹康夫氏(立教大学)「社会問題構成の不/可能性――アルビノ当事者のライフストーリーから」(コメンテーター:大出春江氏)の4報告がなされました。

 またセッション2(司会:浅野智彦氏・奥村隆氏)では、米澤旦氏(東京大学)「労働統合型社会的企業についての検討――共同連の活動を中心にして」(コメンテーター:藤村正之氏)、角田和広氏(明治大学)「E・H・カーの『国際秩序』構想――平和的変革構想とその失敗」 (コメンテーター: 井腰圭介氏)、吉田かおり氏(早稲田大学)「女子高生たちの『かわいいコミュニケーション』心理メカニズム――会話の分析とプリクラ分析を中心に」(コメンテーター:宮台真司氏)、橋本嘉代氏(お茶の水女子大学)「30代女性向けの雑誌における「働くこと」の描かれ方――メディアとジェンダーの影響関係の相互性に関する一考察」(コメンテーター:江原由美子氏)、石川千穂氏(筑波大学)「音楽のリアル――<反・ロック雑誌>『SNOOZER』にみる音楽言説の可能性」(コメンテーター:浅野智彦氏)の5報告が行われました。

 同時に開催されたこの2セッションにはあわせて最大時で90名ほどの参加者があり、コメンテーターからは修士論文を事前に読み込んだ上でその議論をさらに深める本質的なコメントや鋭い質問がなされ、大学院生を中心にした参加者からも多くの質問・発言がありました。セッション終了後に行われた懇親会には20名ほどの参加者がありなごやかな雰囲気の中セッションに引き続いて意見交換が行われていました。