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年次大会
大会報告:第42回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会 I)

 テーマ部会 I:理論部会 「権力理論のアクチュアリティ」
 6/11 14:00〜17:15 [3号館3212教室]

司会者:似田貝 香門 (東京大学)  山崎 敬一 (埼玉大学)
コメンテーター:江原 由美子 (東京都立大学)  片桐 新自 (関西大学)

部会趣旨 似田貝 香門 (東京大学)
第1報告: エスノメソドロジーと権力 樫田 美雄 (筑波大学)
第2報告: 動機形成の不明確化に伴う「権力戦略」の適応的変化
−時代に取り残される権力理論?−
宮台 真司 (東京都立大学)
第3報告: 社会理論の「鍵」としての権力 藤田 弘夫 (慶應義塾大学)

報告概要 山崎 敬一 (埼玉大学)
部会趣旨

似田貝 香門 (東京大学)

 権力論は、権力の使用そのものは、高度に人々の戦略に関わる。社会分析の中での権力論のアクチュアリティは、その戦略行為を分析し、記述することによって把握されるであろう。現代社会の権力現象を分析・記述する権力理論は、その対象となる権力現象の確定、実証の実施へと至る手続きの確定、を通じて理論の構築を課題とせざるを得ない。

 権力把握の方法として、権力現象をどのように分析/記述するか、その方法に関わる、M.フーコーの「権力−知」の問題とか、N.ルーマンの「権力の予期」問題とか、P.ブルデューの「認識の誤認性」問題等をレファレンスとしながら、日本の社会のさまざまな領域の権力現象を俎上にのせることが期待される。

 近代における「個別化」、「プライバタイゼイション」というモメントは、個人を一定の権力戦略の対象として措定し、その上で政策・科学的に解明されるべき対象としての個人を想定し、そこから個人を管理する(自己管理を含む)諸近代科学の知性が確立していく。こうして形成・構築された市民・住民を管理する知性は、ディスクールとして成立し、不断に市民生活に介入する領域を創設することによって、「個人」を創設させようとしてきた。

 今大会では、文化・カルチャー、都市等それぞれの領域で権力のアクチュアリティを課題としてこられた、宮台真司(都立大学)、藤田弘夫(慶応大学)、樫田美男(筑波大学)諸氏にご報告を、コメントを片桐新自(関西大学)、江原由美子(都立大学)両氏にお願いした。活発な討議が期待される。

第1報告

エスノメソドロジーと権力

樫田 美雄 (筑波大学)

 日本のエスノメソドロジーは、その導入の当初より「権力」を熱心に論じてきた。しかし、その論じ方には、1.秩序生成における相互反映性(無根拠さ)を「秩序の不当さの根拠=くつがえされるべき権力の存在の根拠」にしてしまう短絡や、2.場面の中でのレリバントになっていない社会構造を解釈枠組みの中に持ち込んで権力模様を描いてしまう強引さがあったように思われる。では、今までのエスノメソドロジーによる権力の論じ方があまり適切でないのだとすれば、代替案としてなにが提出できるであろうか。本報告では、権力源泉としての「社会構造」を理論のなかにどのように位置づけるかということを主問題として、理論的検討を加えていくこととする。 基本的問題を立てるところから始めよう。エスノメソドロジーに限らず、そもそも社会学において権力研究という分野は果たして成立可能な研究分野なのだろうか。

 もし権力を、ただ単に主体に対する拘束、たとえば主体の意志に基づかない選択肢の制限の問題として考えるならば、すべての意味構成は、権力的性格を帯びたものとなる。このとき権力研究の対象の外延は人文・社会研究全体の対象の外延と重なり、ことさらにそれについての研究を権力研究と呼び続ける意味は失われるだろう。もっと条件が必要だ。

 そこで、社会構造と結びついた「非対称性の存在」という条件が持ち込まれることになる。たとえばメインキャスター男性Aと補助キャスター女性Bがいて「Bに頻繁に割り込みを するA」と「Aにほとんど割り込みをしないB」というケースが観察されたとしよう。なるほどこれは「権力」の問題である可能性がある。「割り込み生起率の差」という「非対称性」の背後に「性別」という社会構造が効いていそうだ。けれども、「メインキャスター補助」という役割分担がレリバントなものになっていたとしても同じ事態が説明できてしまう。いったい何が「割り込み」に関してレリバントなのか問う必要があるのである。では場面の中でレリバントなものはどのようにして探求・確認できるのであろうか。これが我々の次の問題である。

第2報告

動機形成の不明確化に伴う「権力戦略」の適応的変化
−時代に取り残される権力理論?−

宮台 真司 (東京都立大学)

 権力は権力者が振るうものだ、あるいは権力者が利用可能な資源だ、という日常的知識や、それに基づく権力把握があるが、動機形成のメカニズムの機能分析は、権力者の存在が権力にとって偶有的(つまりあってもなくてもいいもの)であることを明らかにできる。複雑に分化した社会システムでは、権力者の存在に象徴されるような「権力の可視性」は、社会システムにとってますます逆機能的になっていく。この様な段階に対応して、権力は自らを「奪人称化」し、コードに基づく動機形成一般へと接近していくことになる。とりわけ成熟した社会システムでは、奪人称的権力の基礎となる動機形成のコードが多様に分化するために、動機形成自体の不透明性が高まって、、権力はますます見えにくいものへと変貌する。この様な社会で「権力」という言葉が死語と化すのはとうぜんのことである。

 しかしながら、この様な動機形成の不透明化が、逆に権力の困難をもたらす。たとえば日本的な権力戦略の中核であり続けた「汎人称的権力」(世間の圧力に基づく権力)は、世間という透明さが信頼不可能になっていくにつれて、困難に見舞われるようになった。ところが、戦後の動機形成のコード変化を詳細に追尾すると、この困難に呼応するかのように、私たちが、<関係性モデル>と呼ぶところの固有のメディアコミュニケーションの形式が急速に展開し、浸透し始めている。そこでは動機形成の不透明性自体を負のサンクションとして利用した、新しいタイプの「奪人称的権力」が機能し始めているのである。

 総じて、社会システムの複雑化に基づく権力の困難に対応して、社会システムは権力源泉の不透明化を増進させ、同時に権力の代替物(影響力など)の重要性を高める方向で推移しつつある。こうした変化は、従来のような「権力理論」単独で説明を完結できるような社会領域の急速な縮小を意味しているが、社会理論の側での対応はほとんどなされていない。

第3報告

社会理論の「鍵」としての権力

藤田 弘夫 (慶應義塾大学)

 本報告は権力をM.ウェーバーの「ある社会関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」という定義から出発することとする。その際、問題としなければならないのが、抵抗を排するような可能性がなぜ、生みだされるのかという事であろう。本報告はここに権力を解明する「鍵」を見いだす。

 人間の生活はさまざまな欲求充足の連続である。人々が抵抗するのは何よりも、この欲求充足の中断に対してである。権力をそうした中断に対する可能性だとすれば、それが生みだされるのは、そのことによってより大きな欲求充足についての「保障」がなければならない。権力は人間の欲求を規制する事で、特定の充足を保障するものである。人間が抵抗を排する権力を生みだしたのは、より充実した生活を営むための、"保障"を置いて他にはない。

 人間は次々と新しい欲求を作り出していく。人々は生活を営む中で絶えず、その欲求を充足する人的、物的資源の「欠如」の問題につき当たる。そこで欠如している人的、物的資源を支配することで欲求の充足を保障するものとして「権力」が生みだされるのである。権力は人々の生活の「保障」と「支配」の[ 関係 ]として生みだされたのである。この 意味で、支配なき権力もなければ、保障なき権力もない。本報告はこうした観点から、ゲマインシャフト関係とゲゼルシャフト関係を再考するなど、社会理論に新しい展開の糸口を模索したい。

 小生の権力論の理論的展開については、拙著「社会科学の新しいパラダイムとしての権力論」[ 法学研究 ] (慶応義塾大学 第65巻 1号 1992年)を、また、その具体的展開については拙著[ 都市と国家 ] (ミネルヴァ書房 1990年)、[都市と権力](創文社 1991年)、[飢餓・都市・文化] (柏書房 1993年)、[都市の論理](中公新書1993年)など、ここ数年発表してきた一連の著作を参照されたい。

報告概要

山崎 敬一 (埼玉大学)

 今年度の関東社会学会の理論部会は、「権力理論のアクチュアリティ」と言うテーマで行われました。用意した会場は、立ち見が出るほど盛況でした。発表は、筑波大学の樫田美雄氏による「エスノメソドロジーと権力――エスノメソドロジーは権力をどのように扱うのか」、東京都立大学の宮台真司氏による「動機形成の不透明化に伴う「権力戦略」の適応的変化」、慶應義塾大学の藤田弘夫氏による「社会理論の「鍵」としての権力論」と言う純で行われました。

 樫田氏はエスノメソドロジーの立場から、宮台氏はシステム論の立場から、藤田氏は都市社会学の立場から、具体的な分析例とともにそれぞれの発表がなされました。そしてそれぞれの議論をもとに、権力理論が現在もっている説明力がどこにどれほどあるのかを中心に活発な議論が展開されました。樫田氏は従来の日本のエスノメソドロジー研究者が行ったエスノメソドロジー的な権力分析を批判し、そこで扱われている社会構造的なカテゴリーが当事者にとってレリバントであることを示す必要を主張しました。宮台氏は、現代の日本の文化分析から、日本的権力が「世間の圧力に基づく権力」から「不透明さを源泉とする権力」へと変わってきたことを示しました。そしてそのような現実を捉えるためには、権力理論は単独ではもはや説明能力を失っていると主張しました。藤田氏は、「保証」という考え方を中心に、藤田氏の都市論の鍵になっている、独自の権力論を展開しました。コメンテーターは、都立大学の江原由美子氏と関西大学の片桐新自氏でした。コメンテーターからなされた議論は、権力的体験の内部からなされたものではなく、その体験の外部から秩序の形成のされ方を明らかにしようとしたものだという意見がだされました。そして、樫田氏の、エスノメソドロジーは当事者にとってレリバントであるもののみを扱うべきだという主張に対して強い批判がなされました。また権力論が、権力的な体験の内部からなされるか外部からなされるかという問題に対して、会場や発表者からさまざまな意見がだされました。

 この部会は社会理論の収斂をねらったものではありません。しかし理論の多様性が、同時に現代社会理論のいくつかの問題圏を照準させたという意味で、十分有意義な部会であったと思われます。

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