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年次大会
大会報告:第42回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会 II)

 テーマ部会 II:環境部会 「環境社会学の課題」 −環境問題の解決に対する運動論の有効性−
 6/11 14:00〜17:15 [3号館3303教室]

司会者:飯島 伸子 (東京都立大学)
コメンテーター:若林 敬子 (人口問題研究所)  森 元孝 (早稲田大学)

部会趣旨 長田 攻一 (早稲田大学)
第1報告: 環境問題と社会運動 高田 明彦 (成蹊大学)
第2報告: 環境問題への認識論的アプローチ:
消費者運動を手がかりにして
谷口 吉光
(秋田県立農業短期大学)
第3報告: 日系企業の公害問題と社会運動
−マレーシアとフィリピンの事例の比較分析−
平岡 義和 (奈良大学)

報告概要 飯島 伸子 (東京都立大学)
部会趣旨

長田 攻一 (早稲田大学)

 「環境問題の現在」という共通タイトルのもとに、「環境社会学の視座を求めて」「環境社会学のアイデンティティを求めて」というサブテーマによって2年にわたって続けられてきた当環境部会も、今年で継続3年目を迎える。昨年まで企画の中心的役割を担ってこられた飯島伸子先生に今回もアイデアを出していただき、昨年までの部会の経緯とその成果を踏まえて、今回の当部会テーマを「環境社会学の課題」とすることになった。さらに、その課題の中でも、環境問題に対処する上で事実上動員される頻度の高い「社会運動」を取り上げ、それが動員される理由および動員と影響のメカニズムについて理論的に整理していくことを、とくに今日の日本の環境社会学にとって緊急性の高い課題の一つとして位置づけ、「環境問題をめぐる運動論の有効性」を今年度のテーマの中心に据えることとなった。

 まちづくり運動、消費者運動、公害企業に対する告発運動などの具体的な社会運動を事例として、それぞれ異なるタイプの環境問題に対する個別的な社会運動の展開過程を整理し、それらを環境社会学の立場から理論化することの意義と可能性について、参加者の間で議論が深められることを期待したい。

第1報告

環境問題と社会運動

高田 明彦 (成蹊大学)

 自然と人間の関わりの中から、特定のイッシューがある地域で「環境問題」として問題化してくる場合、当該地域の住民あるいは被害者を担い手とする「社会運動」として顕在化することが多い。しかしこれは、「環境問題」と「社会運動」が制度的な問題解決ルートを欠いておりかつその問題の緊急な解決が望まれているという状況においては、重なりの部分をもつことが多いということである。従って、「社会運動」の理論である社会運動論を「環境問題」に適用する場合、一定の前提や条件を考慮する必要が生じる。この条件等を環境社会学という枠組みの中で「環境問題」、社会運動論、有効性を手掛かりに考えていく。

 先ず、環境社会学にとっての「環境問題」というテーマの立て方について。根底には、1960年代の激しい公害に象徴される産業社会批判があるが、70年代はじめからの地球の有限性の認識、80年代半ばからの地球環境問題への国際政治的な注目等に触発された地球規模のエコロジー的価値観を基本としている。従って、このテーマの立て方自体、その視野と価値観において新しいものを含んでいると言える。

 次に、環境社会学の中での社会運動論の位置について。ある学問をその視点と方法によって特徴づけうるとすれば、環境社会学の場合、固有の視点は、環境を人間と自然との相互主体的なやりとりとして、また物質循環の総体として見るところにある。方法としては特定のものはなく、分析対象としての「環境問題」の焦点に応じて、民俗学的方法や社会的ジレンマ論、資源物理学等がアレンジされて用いられている。従って社会運動論も、接近方法の一つとして、それらと同列に位置づけられるのではないだろうか。

 第三に、「環境問題」に社会運動論で接近した場合の有効性について。これは、有効性をそうでない場合よりも新たな問題解決の知見を増加させる場合と規定すれば、「環境問題」の範囲や特質、社会運動論の種類や強調点によって、有効性の程度は異なってくる。報告では具体的な事例をもとに、社会運動論の中で「環境問題」に有効な要素やそれが機能する条件等を考察する。

第2報告

環境問題への認識論的アプローチ:
消費者運動を手がかりにして

谷口 吉光 (秋田県立農業短期大学)

 1.はじめに  本部会のような理論的テーマを論じる場では、「環境」「環境問題」「運動」という基本的な言葉をどう定義するかが決定的に重要であろう。とくに「環境問題」については、いったい何が環境問題であるか、それを決める基準は何か、またそれを決めるのは研究者であるのか、問題に直接関わっている当事者であるのかといった困難な問題がある。私は、環境問題をめぐるこの様な認識の多様性は人間と環境の現在を反映したものであり、ここに環境社会学のひとつの固有の研究領域があると思う。本報告では、消費者運動を手がかりにして、この研究領域の姿を素描してみたい。

2.消費者運動と環境問題
 (1)消費者運動の定義
 (2)消費者運動にとっての環境問題:その特徴
 (3)他の運動との関係:課題の選択性

3.「環境」「環境問題」「運動」
 (1)私たちの環境に対する認識は生成の途上にある。
 (2)環境問題は社会的に構成される。
 (3)運動は環境問題を構成する重要な主体である。

第3報告

日系企業の公害問題と社会運動
−マレーシアとフィリピンの事例の比較分析−

平岡 義和 (奈良大学)

 ひとくちに環境問題と行っても、その内容は多様である。したがって、環境問題をめぐる社会運動も、問題の特質によってかなり異なった様相を呈するはずであり、その分析に用いる枠組みも当然異なってくると思われる。本報告で取り上げるような産業公害の場合、加害主体と被害主体は、比較的明確であり、加害主体に被害の事実を認めさせ、操業を停止させるか、あるいは公害防止設備を設置させることが運動の目標になることが多い。そこで、運動の過程や成否は、この目標に向けて運動がいかに資源を動員したかという観点から、つまりいわゆる資源動員論の観点から分析する事ができる。本報告は、二つの日系企業の公害問題をめぐる運動を比較検討することによって、資源動員論による社会運動分析の有効性と限界をあきらかにするものである。

 ここで取り上げるのは、マレーシアのARE(エイシアン・レアアース)とフィリピンのPASAR(フィリピン合同銅精練所)という、二つの日系企業が引き起こした公害に対する社会運動である。これらの問題は、いずれも日系企業による公害の典型例とみられている。しかし、AREは、操業停止、会社の解散という結末を迎えたのに対し、PASARの場合は、状況は改善されず、工場の増設計画も進行しつつある。なぜ、この二つの問題をめぐる運動は対照的な事態に至っているのか、その原因を、資源動員論の観点から分析することにしたい。そして、国際的な資源ネットワークの重要性を示唆するとともに、一国での問題解決が新たな国への汚染源の移転をもたらすという産業公害の世界システム的特質に由来する運動の限界性、困難性を明らかにする。

報告概要

飯島 伸子 (東京都立大学)

 環境部会は92年度から3年めの部会であり、前2年度で環境社会学の視座を定め、アイデンティティを獲得したのを受けて本年度は、「環境社会学の課題:環境問題をめぐる社会運動の有効性」というテーマを設定した。成蹊大学の高田昭彦氏が「環境問題と社会運動」,秋田県立農業短期大学の谷口吉光氏が「環境問題への認識論的アプローチ消費者運動を手がかりにして」、奈良大学の平岡義和氏が「日系企業の公害問題と社会運動マレーシアとフィリピンの事例の比較分析」と、3人が報告され、森元孝氏(早稲田大学)と若林敬子氏(人口問題研究所)による討論が行われた。

 高田氏は、環境と関連する社会運動論は、新しい社会運動論、資源動員論、ネットワーキング論であるとし、6分類した環境問題および氏自身が酸化してきた環境問題に関する市民運動の事例に対するこれら社会運動論の適合性を検討し、社会運動論は、環境問題に対して他の方法論とともに有効であると結論した。

 谷口氏は、「社会運動論一般に見られるような運動の対立・闘争過程」に関する言説には「うんざりした」とのことで、そこで欠如していると氏がみなすところの社会外の言説・自然を重視し「人間自然インターフェイス」の有効な方法論として、EyermanとJamisonの認知的アプローチを有効な社会運動論として提案した。

 平岡氏は、マレーシアとフィリピンで日系企業が引き起こした公害問題に関する運動の検討を通して、資源動員論の枠組みが、途上国の公害問題をめぐる住民運動の分析に有効性を有すると考えられること、マクロ・レベルの環境問題であれば、新しい社会運動論のほうに可能性が見出されるとの問題提起を行った。

 これらの報告に対して森氏から、社会運動の研究が環境問題に寄与するという議論には同意できるが、運動論の類型化にまで広げるのは有害無益であるとの挑発的な討論がなされた。若林氏からは、報告者の類型化がローカルとグローバルとをどう時限で図式化することは疑問であり、むしろ対立点を明確にする必要があるとのコメントがなされた。

 報告者、討論者各自の問題提起は興味深いものだったが、議論は拡散気味であった。設定の未熟さゆえであろう。お詫びしたい。

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