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年次大会
大会報告:第43回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第6部会)

 第6部会:近現代日本社会  6/11 10:00〜12:30 [7号館335教室]

司会:佐藤 健二 (東京大学)
1. 〈病〉の空間論
―正岡子規が生きた世界を中心に―
山岸 美穂
(慶応義塾大学・神田外語大学)
2. 近代天皇制国家と仏教的政教一致運動
−田中智学の国体論的日蓮主義運動の場合−
大谷 栄一 (東洋大学)
3. 近代日本における「性欲」の意味論 赤川 学 (信州大学)
4. 現代の癒しの言説における「女性」と「女性性」 平山 満紀 (法政大学)

報告概要 中泉 啓 (日本大学)
第1報告

〈病〉の空間論
―正岡子規が生きた世界を中心に―

山岸 美穂 (慶応義塾大学・神田外語大学)

 〈病むひと〉は、いかなる音世界を生きているのか。

 〈病むひと〉の日々の音体験は、音風景(サウンドスケープ)、人々の音体験という視点から、日常的世界を理解することを課題とする「音の社会学」にとって、検討すべき重要な事項である。ここでは、現代の病院空間にも注目しながら、明治期の正岡子規に焦点をしぼって、〈病むひと〉の日常生活という視点から、病床風景や安らぎを感じることができる空間構成について、検討と考察を試みたい。

 子規が安らぎを感じることができた空間という時、1)家族、友人、親密な人々、2)病床風景、3)執筆すること及び食べること、が浮かび上がってくる。子規は、痛みに耐えながら、音に耳を澄まし、時がたつのを待ったし、音によって季節の移り変わりも体験していた。子規は、自らの身体から出る音にも敏感だった。子規はもともと、よく見る人、よく聴く人だったが、私たちは、音に敏感になる病床空間、病むことの意味について、考えないわけにはいかない。子規を通して、世界構築にあたって音がもつ意味、風景体験の重要性がクローズ・アップされてきたのである。

 音の社会学と生活空間の社会学の接点を明らかにしながら、〈病むひと〉の身体、〈病むひと〉の人生という視点から、〈病〉の空間を理解し、考察する意義を検討する。生活史と音風景の深い結びつきが明らかになるのである。

第2報告

近代天皇制国家と仏教的政教一致運動
−田中智学の国体論的日蓮主義運動の場合−

大谷 栄一 (東洋大学)

 「世界の法華教化!」を主張し、「政教一致」(法国冥合)による日本統合・世界統一をめざして、戦前の日本社会において積極的な宗教運動を展開した国柱会の創始者・田中智学(1861-1939)の運動を、報告する。

 近代日本における宗教運動の考察が、本報告のテーマであるが、とくに第2次世界大戦前の近代天皇制国家体制下において、「政教一致」の実現による理想世界(ユートピア世界)の達成をめざした仏教系宗教運動の検討を行なう。これまで、近代日本における「政教一致」の宗教運動の研究においては、とくに神道系新宗教の研究が中心であったが、本報告では、在家仏教運動としての田中智学の「国体論的日蓮主義運動」の検討を通じて、仏教的政教一致運動の在り方を確認していく。智学の運動は、「宗教(法華教)の国家化」(日蓮仏教の国教化としての「国立戒壇」の建立)、そして「国家の宗教(法華教)化」(霊的・理想的な「日本国家」の実現)の主張・実践による「法国冥合」(政教一致)の実現の追及にその大きな特色がある。智学の主張・実践における「国家と宗教」の関係、そして「天皇」の位置づけなどに焦点を当て、検討作業を行なっていきたい。

 その「国立戒壇」論の主張・実践は、戦後の創価学会を先駆け、またその思想・運動は、「近代」「日本」(そしてその「近代化」)に対する宗教的応答の位置側面を表象している。

第3報告

近代日本における「性欲」の意味論

赤川 学 (信州大学)

 ミード、ブルーマーら相互作用論者によれば、物事の「意味」は、社会的相互作用の文脈において、行為者の定義と解釈を通して構成される。したがって同一とされる物事に対する意味づけも、時間と空間に応じて変わる。この知見はひとり相互作用論のみならず、セクシュアリティの歴史社会学においても共有されるべき前提である。人間という種に普遍的と思える性行動や性欲(性本能)もまた社会的意味解釈の産物としてのみ存在するのであって、そうした意味解釈が人々の行為を誘発し連鎖させる基点となる。このような観点から、明治以降の近代日本社会が性欲にどのような意味を付与し、そこからどのような実践を導いたかを明らかにしたい。

 本報告では、1870年代から1970年代にかけてのセクソロジーのディスコースを中心に、「性欲」の意味論を分析する。それは、@性欲を個人的・社会的に制御不能な流動体と捉らえる「性欲=本能」論と、A性を人間性や人格を構成する中核と捉らえる「性=人格」を二本柱とする。「性欲=本能」論に、オナニー/同性愛/婚外セックス(売買春)/婚内セックス/婚前セックス(純潔・貞操論)という性行動の分節化が加わるとき、性欲をどの性行動によって満足させるべきかという「性欲のエコノミー」問題が浮上する。一方、「性欲のエコノミー」問題に「性=人格」論が重層することによって、売買春は人格を欠いた性として、同性愛は「変態性欲者」の性としてタブー視されることになる。

第4報告

現代の癒しの言説における「女性」と「女性性」

平山 満紀 (法政大学)

 癒し、 healing はここ10年ほどで多くの先進諸社会において、人々の心をひきつける、時代のキーワードとなった観がある。これは医療、心理療法、宗教、エコロジー、平和運動など様々な領域で、また境域を超えながら他面的な根底からのうねりをもたらしている。その背後にある時代の病理と、癒しにむかう願望や決意の全体の社会学的な解明には、これから多くの努力が捧げられなければならないだろう。この新しいうねりは、男も女もまき込んでいっているにもかかわらず、「女性」「女性性」との結びつきを見えかくれさせている。本報告は、現代の癒しの言説を、多数刊行されている著作や雑誌記事を題材に分析し、「女性」「女性性」との結びつきがどの程度の頻度で語られ、あるいは語られていないか、そしてそれがどのような次元の、どのような意味の結びつきなのかを明らかにしようとする試みである。<神話>−農耕文明発祥以来癒しの女神が崇拝された、<認識論>−近代科学の認識論の根底にジェンダーのメタファーがある、<伝統>−伝統的に女はヒーラーをつとめることが多かった、<役割>−今日の男女の分業において女は固有の立場を占める、<資質>−今日の論者たちも男女の相対的な能力や資質の差をしばしば認める、などの諸次元の重層の中で、この結びつきを解明していく。

報告概要

中泉 啓 (日本大学)

 この部会での報告内容はきわめて多様であると共にこれまでの社会学研究においてあまり取り上げられることのなかったものが多くあり、その意味では新しい試みの研究報告であった。

 山岸美穂氏(慶應義塾大学)は病を得た人間にとっての音の世界を正岡子規の病の世界を手がかりとして再構成するとともに日本人にとっての生活世界の整理的社会事象を分析した。大谷栄一氏(東洋大学)は近代天皇制国家における当時の仏教会の一部にあった政治活動との関わりを田中智学の日蓮主義運動から日本近代を改めて捉えようとする試みであった。赤川学氏(信州大学)は近代日本における性欲に対する社会意識の変容と性欲をめぐる概念の変化の過程を歴史社会学の立場から時代時代における文献に現れた表現から探ろうとした。平山満紀氏(法政大学)は今日、次第に注目されている「癒」について、特に女性性との係わりから生命論、身体論、環境や医療との係わりなど多様な視野からこれを考えている。

 大谷以外の三人は人間の身体的行為や感覚的世界を社会学がどのように捉えればよいのかを考えようとする、社会学にとって新しい課題であった。昨今、従来の社会学においては必ずしも研究対象とされなかった領域を社会学に取り込もうとする若い研究者が増えており、それは社会学の新しい地平を開こうとする積極的な試みであろう。近代あるいは現代社会が極めて多様な側面を持つものであることは今更言うまでもないが、今回、この部会における報告はいずれもが、歴史的・社会的事実を基底においてこれを再考し、新たな展開を行おうとする研究報告であった。

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