HOME > 年次大会 > 第43回大会(報告要旨・報告概要) > テーマ部会 IV
年次大会
大会報告:第43回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会 IV)

 テーマ部会IV 「東南アジア世界と日本」―日本は東南アジアに受容されているのか―
 6/11 14:00〜17:15 [1号館301教室]

司会者:柄澤 行雄 (常磐大学)
討論者:駒井 洋 (筑波大学)  楠本 修 ([財]アジア人口・開発協会)

部会趣旨 柄澤 行雄 (常磐大学)
第1報告: 東南アジア地域研究における社会学の課題 池田 寛二 (日本大学)
第2報告: 東南アジアの都市問題と日本都市とのあいだ
―タイの都市コミュニティをめぐって―
松薗 祐子 (いわき明星大学)
第3報告: 東インドネシアの島と森と海
―コモンズとしての海と森―
村井 吉敬 (上智大学)

報告概要 柄澤 行雄 (常磐大学)
部会趣旨

柄澤 行雄 (常磐大学)

 わが国の社会学のアジア研究は1980年代に入る頃より急速に展開し、研究の蓄積も徐々にその厚みを増してきている。しかしその間、社会学はアジアをどのように認識してきたのか、という問題をあらためて考えてみると、そこに何らかの共通する社会学独自の認識枠組が形成されてきたのかどうか、という疑問も禁じえない。広大な範域にわたり複雑な社会文化的構成をもって存在するアジアを、「アジア」という言葉で包み込むことは所詮不可能なことあるいは危険なことなのかもしれない。が、一方では、「アジア」と呼ばれる社会に貫く何らかの共通した特質や論理の存在を想定し、それを探る試みがなされてもよいように考えられる。また、社会学のアジア研究はエリア・スタディといわれる研究領域のなかでいかなる独自の主張や貢献をなしうるのかという基本的問題について、これまでの研究を踏まえて中間的な総括をしておこくことも、今後の研究のあり方を展望するうえで重要な課題であろう。

 そこで、今回のシンポジウムでは、これまでアジア各地をフィールドとして研究活動を展開されてきた諸氏に報告とコメントをお願いし、そうした論点に触れながら議論を展開していただくことにした。これまで4年問継続しできたエリア・スタディ部会は一応今年度で終了する予定であるが、その締めくくりにふさわしいシンポジウムになるよう、会員諸氏の積極的な参加を期待したい。

第1報告

東南アジア地域研究における社会学の課題

池田 寛二 (日本大学)

 私がジャワのいくつかの村を訪れたときに、村人から受けた歓迎(?)のことばのなかで特に印象に残っているのは、「戦争が終わってからこの村に来た日本人はあなたが初めてだ」という、年配の村人たちのことばである。彼らは、口々に、「イチ、ニー、サン、シ・・・」と行進させられ、「キュウジョウ(宮城)ニムカッテケイレイ」させられた子供のころの思い出を、身振りを交えて語ってくれた。それから、彼らは私に尋ねた。「ところで、あなたはわれわれの村に何をしに来たのか?」と。私は、苦労して手に入れた政府発行の調査許可書と郡長の調査協力命令書を村長に提示し、村人の生活について見聞を広めたいと答えた。彼らは、私の質問に実に丁寧に答え、見たいものもすベて見せ、会いたいと言った人にも可能な限り会わせてくれた。しかし、こちらの質問に対して答えてくれたあとに必ずといってよいほど「じゃあ日本はどうなんだ?」と聞き返されたのには、些か辟易したものである。たとえば、「この村には小作人や土地のない農民は何人いるのか?」と質問すると、答えのあとに「じゃあ日本には小作人や土地なし農民はどのくらいいるんだ?」と聞き返されるといった次第である。「ほとんどいない」と答えると彼らは―様に驚き、「いつから、どうして、いなくなったんだ?」と畳みかけてくる。そうなったら、農地改革前後の日本の農業・農村事情を、長々と説明しないわけにゆかなくなる。結局、こちらが調査されてしまうのだ。

 地域研究(area studies)は、これまでは異文化に驚いたり学んだりしていればよかったのかもしれない。そして、欧米人や日本人の研究者が「地域をどうとらえるか」とか「東南アジアをどう見るか」と一方的に議論し、ギアツのようなアメリカ人研究者の概念枠組を奉っていれば済んでいたのかもしれない。しかし、今はすでに、地域研究者も研究対象の地域の人々から関心を持たれていること、対象地域の側でも現地の研究者による「地域研究」がさかんに行なわれていることを、深く自覚すべき時代ではないだろうか。報告では、このような問題意識を糸口にして、社会学がこれからの地域研究にどのような貢献をもたらすことができるか考えてみたい。

第2報告

東南アジアの都市問題と日本都市とのあいだ
―タイの都市コミュニティをめぐって―

松薗 祐子 (いわき明星大学)

 発展途上国の都市化については過剰都市化、すなわち工業化なき都市化あるいは経済発展に見合わない都市への人口集中と捉えられてきた。これは東南アジアの都市にも一応あてはまる。しかし工業化を進めつつある現在の東南アジアにおいては、都市基盤整備あるいは社会資本整備を追い越した都市への人口集中という意味がより鮮明になってきている。 現在、東南アジア諸国においては、住宅、土地問題、交通や環境、福祉などの都市問題が深刻化している。これらに対する都市政策やこれまでの都市計画による対応は、有効であったとは言えない。

 本報告では、日本の都市研究が、東南アジア都市が現在抱えている問題に対して、どのような問題提起ができるのかをタイの都市コミュニティを例にさぐってみたい。20世紀における急速な都市化ということでは、日本は欧米諸国よりもアジアに近いと言えるだろう。ただし農村の絶対人口が減少するなかで進行した都市化と農村(農業)人口が増大しながらすすんでいる都市化との違いを考慮し、コミュニティ基盤の多様性が考慮されるべきであろう。

第3報告

東インドネシアの島と森と海
―コモンズとしての海と森―

村井 吉敬 (上智大学)

 東インドネシアのマルク諸島やイリアン・ジャヤ(西パプア)の海辺の村落のありようを考えてみたい。この小さな島々の海辺の村は、背後に森がひかえ、前面に珊瑚の海が開けている。大きな平原を田畑にして、大きな生産力や蓄積をする農耕文化とは異なった文化がそこにはある。「森と海の文化」とも呼びうるものかもしれない。しかし、「森と海の文化」は外からの開発諸力によっていま大きな動揺の渦に巻き込まれつつある。

 東南マルク州のアル諸島では古くからナマコ、白蝶貝、ゴクラクチョウ、ツバメの巣など海と森の幸の採取が行われてきた。島外輸出交易品としてこれらの産品は村を豊かにしてきた。森や海は個人が「所有」するものではなく、その利用権が巧みに不平等にならぬよう村の中で分配されてきた。特にナマコ採取に適用されるサシという慣行が注目に値する。サシとは主要には地先の海での禁漁期間の設定で世襲による慣習法長が司っている。サシは陸上のココヤシの収穫にも適用される。

 このサシはイリアン・ジャヤの漁村にも見られる。また、アンボン島の東にあるハルク島では、非常に強固なサシを遵守している村がある。しかし、こうした限られた森と海の資源を根絶やしにしないようにしてきた住民の暮らしの知恵を外からの開発が揺さぶり始めている。

 スラウェシ島のブギス人、ブトン人などが沖合いに敷設するバガン(櫓式敷き網)、華人・日系企業のエビ・トロール漁、森林の商業伐採などである。島と森の文化という視点から東インドネシアのありようと日本との関わりを考えてみたい。

報告概要

柄澤 行雄 (常磐大学)

 4年目を迎えたエリア・スタディ部会は、今年が最終年次となることから、日本にとってもっとも身近なアジアをとりあげ、「社会学がアジアをどのように認識しているのか」をめぐって議論を展開することにより、本部会の一応の総括を試みることとした。もっとも、こうした趣旨と部会の内容を示す表題(「東南アジア世界と日本─日本は東南アジアに受容されているか─」)には、大きな乖離があるが、これは研究委員会内部の認識とコミュニケーションにギャップが存在したことに原因があり、この点関係者や会員の皆様に混乱とご迷惑をおかけしたことを率直にお詫びしなければならない。

 しかしながら、今回の3名の方々からの報告(池田寛二氏(日本大学)「東南アジア地域研究における社会学の課題─ジャワ農民と日本─」、「松薗祐子氏(いわき明星大学)「東南アジアの都市問題と日本都市のあいだ─タイの都市コミュニティをめぐって」、村井吉敬氏(上智大学)「東インドネシアの島と森と海─コモンズとしての海と森─」)は、いずれも今年度の趣旨に沿った内容であり、しかも今後の東南アジア研究のあり方を展望するうえで極めて示唆に富むものであった。

 これらの報告は、取り上げられた地域、問題、視点はとうぜん異なるものの、これまでの日本社会学の東南アジア研究が前提として依拠していた枠組みが現地ではそのまま通用しないこと、その結果、そこで捉えられたものがどれほど現地の社会・文化・人間を把握することができたかという点への根本的な疑問の提示などの点で共通しており、さらに社会学のエリア・スタディそのもののあり方を問うという問題提起を含んでいた。加えて、駒井洋(筑波大学)、楠本修(アジア人工・開発協会)両氏からのコメント、およびフロアからの発言と討論は、今後私たちがエリア・スタディに向き合う際の、いくつかの重要な課題を認識させることとなった。これらを含めて、社会学の(東南)アジア認識のあり方が実は社会学的な方法認識そのもののあり方の問題であることをあらためて痛感させられたという点が、司会者としての率直な感想である。

 本年をもってエリア・スタディ部会は終了するが、これを機にまだ始まって間もない日本社会学のエリア・スタディがさらに活発化し、着実な研究成果のうえに豊かな地域認識が形成されていくことを期待したい。

▲このページのトップへ