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年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会3)

 テーマ部会3 「情報とネットワーク」-電子的インターアクションのリアリティー
 6/13 14:00〜17:15 [114教室]

司会者:宮野 勝 (中央大学)
討論者:川崎 賢一 (駒澤大学)  庄司 興吉 (東京大学)

部会趣旨 宮野 勝 (中央大学)
第1報告: CMC経験と社会学的リアリティ 安川 一 (一橋大学)
第2報告: 「つながる」というリアリティ
――神話的言説空間としてのCMC――
遠藤 薫 (東京工業大学)
第3報告: 電子メディアの時空図式:
「メディア空間」は存在するか?
若林 幹夫 (筑波大学)

報告概要 宮野 勝 (中央大学)
部会趣旨

宮野 勝 (中央大学)

 情報とネットワーク部会の今年度のテーマは「電子的インターアクションのリアリティ」とした。情報化とネットワーク化はたいへんな勢いで進展しつつあるが、そのことのもつ社会学的な意味・社会学理論との関係について、「リアリティ」に焦点を当てつつ、検討を試みる。

 電子的インターアクションを通じた「サイバースペース」での経験は人のリアリティ感覚に何をもたらすかと問えば、人によって異なるとか、たいしたことはない、などの答えが返ってきうるだろう。

 しかし、「ヴァーチャル空間」における体験の意味を考えるとき、そこで問われるのは既存の社会学のリアリティでもある。従来の社会学が与件としてきた諸概念それ自体が、社会学的リアリティのあり方を規定しているが、その与件は現代の社会状況に適合しているのだろうか。もし基礎概念自体が揺らぐとしたら・・・。

 電子的インターアクションについて考えることは、社会学的リアリティのあり方について再考する機会挑戦する機会を与えてくれる。本部会では、各報告者の立場から、CMC経験が「社会学的思考を組み替える可能性」「CMCにおける「リアリティ」の所在」「現代社会の時空のあり方」などについて、考察が進められる予定である。

第1報告

CMC経験と社会学的リアリティ

安川 一 (一橋大学)

 Computer Mediated Communication (CMC) は社会を変えつつあるか、変えるならどのようにか・・・繰り返されるこの種の問いに私たちは明快な回答をもたない。等しく技術決定論的な楽観論や悲観論なら腐るほどある。しかしそれらは、ビジネス・チャンスや名声や利権を求めるのでないかぎり特に傾聴する必要はない。

 社会学者ならたとえば、CMC経験を享受するための経済的資源やリテラシィの偏在を指摘し、これらを新たな指標にした社会的不平等論を示し、施策的提言などをしてきた。けれどもそれはつまるところ階層論だった。CMC経験の論でないし、CM C経験をふまえた論でもない。CMCは技術決定論的に想定される与件にすぎなかった。

 CMC経験が大騒ぎするほどのものでない可能性もある。なによりCMCは"ありふれた" コミュニケーションである。なるほどその簡便さや迅速性が私たちの習慣を変えたかもしれないし、これが他に波及して生活全体も少しは変わったかもしれない。しかし、CMCを通して伝達や共有を指向し、そのプロセスや所産に無知的な信を寄せている私たちの営み自体に大きな変化はない。その限りで、CMCは旧来の社会的リアリティ(とそのあり方)を変えるものではない。

 それでも私は、CMC経験は語るに足る意義をもつ経験であったと考える。それが社会を変えつつあるからではない。私たちの社会学的思考を組み替える可能性をもつからである。

 たとえば"地球村"や"仮想共同体"の発想が陳腐に思われるのは、共同体という馴染みの発想で現象を語り続けようとする私たちの怠惰を見せつけられるからである。かつて社会学的リアリティに溢れていたのかもしれない言説も、その恒常性を無条件に前提することはできない。つまり、かつての「共同体」に社会学的リアリティは既にない。

 思えば、CMC経験を語る言葉の多くがそのように思考実験できるのだった。 CMC経験にあわせて語られる共同体、個−存在、関係性、匿名性、等々を検討しながら、社会学的思考のリアリティを考察する。

第2報告

「つながる」というリアリティ
――神話的言説空間としてのCMC――

遠藤 薫 (東京工業大学)

 電子社会では人びとの生からリアリティが失われる、とよく言われる。なぜなら物理的実体に担保されない(社会的)行為はすべて幻影にすぎないからだ、という。

 しかし人工的なメディアの介在をすべて排除したとしても、人間の認識が「リアルでない」枠組み(社会の意味構成)に依拠していることは、既に常識である。では何が問題か?

 かつてSimmelは、近代都市においては、個人を取り巻く状況があまりにも膨大であまりにも早く変化するために、人びとはこれを単に流れ去る灰色の風景としてしか捉えなくなる、と指摘した。今日の電子社会状況もこの観察の延長線上にあるだろう。すなわち、あまりにも複雑化した状況に対して自己を受動的に防衛しようとするとき、人びとは外界をリアルとして認知できなくなり、ときに過剰な攻撃性や自閉性を帯びる。

 だがその一方、都市やネット空間を、自己の主体性の発現できる場、他者との共生関係をまさに構築する場として捉える人びともいる。この違いはどこから生じるのか?

 後者の人びとは、しばしば、ネットを介して他者と「つながる」ことを発見した経験について熱っぽく語る。しかし、その「語り」は、多くの場合、聴くものを二種類に分別してしまう。共鳴する人間と、共鳴しない人間である。共鳴する人間は同じリアリティを自ら体験したことのある人間である。そうでない人間は、(日常的に使っていても)そのような体験を持たない人間である。すなわち「つながる」という事態は、言語を媒介にして語られたとしても、客観としての事実性によっては共有不可能な(個人の内的感覚を経由してしか共有できない)リアリティであるといえる。

 宗教学者の阿部美哉によれば、「科学の論説は、客観性を希求するが、宗教の言説(=神話。遠藤注)は、主体的で、参画、行動、決断を求める」。この定義からすれば、ネットワークに関して流通する言説、あるいは、ネットワーク上の小集団において交わされる言説は、広い意味において、しばしば「神話的」色彩を帯びている。

 本論では、このような観点からCMCにおける「リアリティ」の所在について考察する。報告の構成は、1)コーク・マシン伝説、2)「ノリ」とフレーミング、 3)ネット市民運動〜OSS、4)マクロな社会変容との関係、である。

第3報告

電子メディアの時空図式:
「メディア空間」は存在するか?

若林 幹夫 (筑波大学)

 電子メディアのネットワークが私たちの社会の何を変えるのか? ここではそれを、電子的なネットワークを通じて人びとが相互に関係し、そうした関係によって社会生活が支えられることが社会の時間的・空間的な現れをどのように変えるのかという点から検討する。

 電子メディアが社会的な諸関係における空間的な隔たりを超え、直接的な身体の現前が不可能な例えば地球の裏側との間にも「リアル・タイム」の関係を可能にするといった事柄は、マクルーハンのような厳密には「電子メディア」ではなく「電気メディア」に関してもっぱら考察していた論者によっても、すでに指摘されている。こうしたネットワークが、都市や国民国家のような特定の土地空間上の範域に準拠する社会の時空的編成とは異なる行為と関係の位相を可
能にするであろうこと。それは原理的には事実である。

 だが、電子メディアが可能にする関係の場が、地理的な空間や物質的な身体に準拠する関係とは質的に異なる関係の広がりを原理的には可能にするとしても、実際の社会的な行為と関係のなかでメディアが可能にする関係の場が、そのようなものとして現れるとは限らない。電子的なメディアに媒介された行為や関係はつねに地理的な空間や物質的な身体に準拠する関係の場をいわば「文脈」としており、その「脱−場所性」や「リアル・タイム」も、物質的な存在としての社会の場所性やタイム−ラグとの関係において有意味なものとして現れてくるものであるからだ。脱−場所的な関係やリアル・タイムの関係が意味をもち、利潤を生み出し、人びとの欲望の対象となるのは、人間という存在やその集合体である社会が、究極的には局所的な場所や時間を超えることができないからだ。こうした場所性と脱−場所性、タイム−ラグとリアル・タイムが相互に組み込み合う関係の場としての現代社会の時空のあり方を、比較メディア史的な視点から検討してみたい。

報告概要

宮野 勝 (中央大学)

 本部会では、情報とネットワーク化の進展は社会学理論にどのような組み替えをせまるか、とりわけCMC(Computer Mediated Communication)体験は社会学的リアリティのあり方にどのような見直しを提供するのか、を中心テーマとして3名に発表を依頼した。

 報告1(安川一:一橋大学「CMC経験と社会学リアリティ」)は、 CMC経験は社会学のリアリティや諸概念を再検討する思考実験の場を提供するとした。具体的な例として、多元的アイデンティティを「ヴァージョン」として捉えることで自己の同時多存在性を考察しやすくなること、また間接的だが親密な関係など関係タイポロジーの多元性を捉えられるようになること、の2点を論じた。

 報告2(遠藤薫:東京工業大学「「つながる」というリアリティ:神話的言説空間としてのCMC」)は、CMCにおいて”社会/われわれ意識”の発生・変容・消滅の過程を外部的に観察することを通じ、社会学の新しい可能性が開けるとした。個人のリアリティ・自発的コミットメントと社会生成との関係を論じ、伝説が短期間に生成し「神話化」される一方で「現実化」もするメカニズムをコークマシン伝説を例に解明した。

 報告3(若林幹夫:筑波大学「電子メディアの時空図式:「メディア空間」は存在するか?」)は、社会図式や時空図式が理念の地平で構成・共有・実定化されるものであることを指摘し、「(電子的な)メディア空間論」の構図を論じ、実はそれが通時的なものであること、元来、時空は複数性と重層性をもつことを指摘し、メディア空間への欲望は既存の時空図式の拘束性を照らす鏡であると論じた。

 指定討論者の川崎賢一(駒澤大学)は、自己のあり方の文化的な文脈、社会関係の生成に際しての自己のヴァージョンの固定化、対機械コミュニケーション、言語が異なる場合のコミュニケーション、などの問題を提起した。

 指定討論者の庄司興吉(東京大学)は、横のレベルでのネットワークは縦の支配に対してどのような対抗力をもちうるのか、予想もしなかった意図せざる超越的・怪物的なものを立ちあげてしまう可能性があるのでないか、の2点を質問した。

 これに対して発表者からリプライがあり、またフロアからの質問を受けた。約60名が参加。会場設定をロの字型にしたり、コンピュータ画面をスクリーンに投影しての発表なども試みられ、フロアからも多くの質問が飛び出す活発な部会となった。フロアからの発言に充分な時間をとれなかった点は反省材料である。

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