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年次大会
大会報告:第51回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第7部会)

第7部会:「生殖」の政治と社会  6/14 14:00〜16:30 [3号館3階333教室]

司会:江原 由美子 (東京都立大学)
1. 米軍占領下沖縄における生殖の政治学
−出生力転換期における「人口問題」認識と優生保護法の「廃止」に注目して−
澤田 佳世 (津田塾大学)
2. 調査されるものとしての月経
−1970-90年代における教育機関の研究を手がかりに
加藤 朋江 (城西国際大学)
3. 選択という思考と中絶
−女性の自己決定権という主張の再検討−
山本 理奈 (国立精神神経センター精神保健研究所)

報告概要 江原 由美子 (東京都立大学)
第1報告

米軍占領下沖縄における生殖の政治学
−出生力転換期における「人口問題」認識と優生保護法の「廃止」に注目して−

澤田 佳世 (津田塾大学)

 本報告の目的は、米軍占領下沖縄における米国民政府及び琉球政府の沖縄人口に対する問題認識とその対策を整理し、沖縄固有の出生力転換の背景とそこに作用する多層な権力構造の存在を明らかにすることである。特に、1956年8月30日公布の米国民政府布令により優生保護法が「廃止」された事実とその背景に注目し、不可視化された沖縄女性たちの生殖をめぐる経験を鑑みながら、日本本土とは異質な出生力転換の背景と生殖の政治学の在りようを考察する。

 報告者の研究関心の根幹は、戦後米軍占領下における沖縄の出生力転換の過程を背景について、沖縄固有の歴史・社会・文化的文脈に基づきながら、ジェンダーという分析概念を用いて探求することにある。戦後、「過剰人口」を問題視する米国・琉球両政府の下、沖縄社会は出生力転換を経験した。復帰後沖縄の高位な出生水準については父系原理をとる家族形成規範の影響が指摘されたが、その転換過程を日本本土とは異質な政治・社会・文化的文脈に基づき分析する研究は極めて少ない。日本では、優生保護法の施行による人工妊娠中絶の実質的自由化、及び国策としての受胎調節普及による有配偶出生率の低下を直接的要因に、出生力が低下したことが明らかにされている。しかし、支配体制の異なる沖縄では、米国民政府により優生保護法は「廃止」され、行政主導による受胎調節の普及も実現されていない。ヤミ中絶が氾濫する中、1960年代半ば以降、助産婦を中心とする受胎調節指導員を末端機関に民間主導の家族計画運動が展開されていく。

 本報告では、当時の「人口問題」並びに出生に関連する行政側の一次史料と、優生保護法の立法化に関与した政府関係者、生殖の場に従事した助産婦や産婦人科医からの聞取りを相互補完的に分析し、当時の生殖をめぐる権力関係の様相を考察する。その中で、従来の沖縄人口に関する研究が移動・移民研究に偏重してきた理由、出生力と作用する権力関係が盲点となってきた点も指摘する。更に、当事者としての沖縄女性たちの経験の不可視化を問題として提起し、沖縄の出生力研究における今後の課題を提示したい。

第2報告

調査されるものとしての月経−1970-90年代における教育機関の研究を手がかりに

加藤 朋江 (城西国際大学)

 国立国会図書館が作成した雑誌記事データベースによれば、戦後の日本において数多くの月経についての研究が存在する。その多くは、産婦人科の専門誌に掲載された病理としての月経を取り扱うものであるが、初等教育から高等教育機関に至るまでの「学校」でおこなわれた「調査」をもとに作成されたものも見出される。本報告では1970年代から90年代にかけておこなわれた、月経を取り扱った研究(論文の形式にまとめられているもの)のうち、教育機関に通う女子生徒や女子学生を対象にした調査を取り扱う。これらの調査はいったい、何を意図していたのだろうか。また、きわめて個人的な身体の現象であり、性的な領域にかかわる月経のことを当事者が語ることがいかにして可能だったのだろうか。

 教育機関に通う身体に対しておこなわれた月経の全国的な調査の源流には、大正8(1919)年に文部省によって全国の女子中等教育機関を対象になされた「女子体育状況調査」を挙げることができる。この報告書からは良妻賢母主義や衛生思想教育の徹底といった当時の時代的な文脈を読み取ることができるが、それでは、戦後の月経調査にわたしたちは何を読み取ることができるだろうか。本報告では、教育機関におけるジェンダーの編成や性教育の実践、調査−被調査者の関係に焦点をあてる。

第3報告

選択という思考と中絶
−女性の自己決定権という主張の再検討−

山本 理奈 (国立精神神経センター精神保健研究所)

 近年、出生前診断技術の開発が著しい。次々と創出される技術とその精度が高まるにつれ、選択的中絶という問題がにわかに注目を集めている。つまり検査の結果、重篤な障害あるいはその可能性が発見された場合、中絶するという問題である。

 しかし本報告では、いま中絶の現場で実際に何が起きているのかということを直接記述することはせず、中絶を選択として考える思考それ自体を、現代社会に生起している出来事のひとつとして捉え返し、この出来事を分析の対象として取り上げることにする。ただしこのような迂回は、個々の妊婦の置かれた切実な状況をカッコにいれたまま放置し、中絶という現実から目をそむけるためのものではなく、「選択という思考」の圏外に出て、中絶という現実に向かい合い、またそれを記述する可能性を開くことを目指すためである。

 以上のような問題意識を踏まえ、本報告では、中絶を選択として考える思考のひとつの事例として、「女性の自己決定権という主張」を取り上げる。この主張は、人口政策のもとで妊婦が身体から疎外されてきたことを問題視し、その主体性の回復を求めるものである。またその意味するところは、「妊娠を継続するかあるいは中絶するか」の選択は、妊娠する当事者である妊婦が主体的に決定すべきである、というものである。本報告ではこの主張の再検討を通じて、「中絶を選択として考えることがいかなることなのか」、このことについて考察する。

報告概要

江原 由美子 (東京都立大学)

 第7部会は、「『生殖』の政治と社会」という表題に関連する3報告が行われた。第一報告、澤田佳世さんの「米軍占領下沖縄における生殖の政治学−出生力転換期における『人口問題』認識と優生保護法の『廃止』に注目して」においては、第二次世界大戦後米軍占領下の沖縄においては、日本本土とは異なり、国民優生法の優生保護法への「改正」が行われず人工妊娠中絶が非合法化されたままであったこと、そうした中で女性特に助産婦たちが国際家族計画連盟に交渉を行いそうした活動によって出生力転換が生じていったこと、またこのような沖縄の「生殖の政治」が生じた背景には米軍の人口問題認識などの要因が考えられることなどが、報告された。第二報告、加藤朋江さん「調査されるものとしての月経−1970〜90年代における教育機関の研究を手がかりに」においては、国立国会図書館の雑誌記事デ−タベ−スをもとに、1970年から1990年代において、月経に関連した調査報告論文76本の調査目的・調査項目・調査対象者など調査の概要とその変遷が報告された。70年代においては「初潮年齢の特定と教育」に焦点があたっていたが、80年代になると「異常月経」が主要な関心となり、90年代においては、調査対象者に女子大生が挙がってくるなどの変化が見られ、そうした変化の背景として医学的進歩や教育の変化などが考えられるという。第三報告山本理奈さん「選択という思考と中絶−女性の自己決定権という主張の再検討」においては、「優生保護法改正」に対する反対運動から生まれた「女性の自己決定権」という主張とは本来「堕胎罪への抵抗」から生じたものであり、それは妊婦の「選択権」という主張とは次元を異にしているということが報告された。3報告はいずれも、現代社会における女性身体のコントロールを通じた「生殖の政治」のありように光を当てるものであり、今後の研究の深まりが期待できよう。

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