2006年度 第1回

開催日程

テーマ: 多元化する若者文化
担当理事: 土井 隆義(筑波大学)、浅野 智彦(東京学芸大学)
研究委員: 松田 美佐(中央大学)、久木元 真吾(家計経済研究所)
日 程: 2007年2月17日(土) 14:00〜18:00
場 所: 立教大学 太刀川記念館・第一会議室
報 告: 報告(1):澁谷 知美さん
「性行動の男性内分化 ――日本性教育協会『青少年の性行動調査』の二次分析から」(仮)
報告(2):七邊 信重さん
「オタク系文化におけるコミュニケーション」(仮)

研究例会報告

浅野 智彦(東京学芸大学)

  この研究例会は、昨年度からスタートした「若者文化とコミュニケーション」企画の第二弾として開催されました。「若者文化の多元性」は、かつてから議論の的となってきた主題ではありますが、近年の格差社会論やニート・フリーター論の隆盛のなかで、階層や労働といった文脈に関心が集中しがちな傾向が強まっています。若者文化に関するそのような議論の一元性から脱し、多元的な議論の復興を目指すべく、今回の研究例会は企画されました。
 さて、このテーマの下での第1回研究例会は、去る2月17日(土)に立教大学で行なわれ、若者の性愛行動について斬新な視点を提起し、刺激的な議論を展開していらっしゃる澁谷知美さんと、おたく系サブカルチャーについて大変に造詣が深く、綿密な実証研究を継続していらっしゃる七邉信重さんを、報告者としてお招きしました。お二人とも、このテーマにふさわしいフレッシュな若手研究者であり、若者文化の現代的な様相を明らかにするという観点から、それぞれ具体的なトピックを取り上げて論じていただきました。また、それらのご報告を踏まえ、研究委員と担当理事の司会進行により、参加者のあいだでも活発な議論が展開されました。
 澁谷知美さんによる第一報告、「無防備なセックスをする男子はどんな男子か−1999年「青少年の性行動」の二次分析から−」では、日本性教育協会が1999年に実施した「青少年の性行動」調査のデータの再検討を通じて、生殖を目的としないセックスでコンドームを使用しない学生の属性や意識の特徴に関する分析結果が報告されました。そして、いわゆる「男らしさ」の呪縛などではなく、むしろ現代に特有の「優しさ」こそが、この現象の背景にあるのではないかという問題提起がなされました。報告後のディスカッションでは、分析の根拠となった調査データの妥当性に関する問題から始まり、そもそもどこに問題を見出すべきなのかといった根本的な問いにまで議論の争点が拡大され、熱気のこもった討論が行なわれました。
 七邉信重さんによる第二報告、「オタク・社会・コミュニティ」では、ご自身がこれまで手がけてこられた同人誌コミュニティを対象としたフィールド・ワークにもとづいて、その社会性やコミュニケーション・スキルの特徴についての考察が示されました。一般的には、おたくには社会性が欠如しており、コミュニケーション・スキルも劣ると考えられがちであるが、けっしてそのようには一概に言えないこと、むしろそこには独特の社交性の濃密さが見受けられ、それに適した洗練されたコミュニケーション・スキルも蓄積されていることが指摘されました。報告後のディスカッションでは、そもそも「おたく」とは何か、高度な趣味人と何が違うのかといった定義の問題から始まり、両者では公共性に対する意識が異なるのではないか、では公共性の概念をいかに捉えるべきなのか、といったかなり幅広い議論が大変熱心に展開されました。
 今回の研究例会では、30名を超える会員の参加者を得て、若手中心の研究例会ならではの活気に満ちた意見交換が行なわれました。この熱気と勢いの下で、6月の大会テーマ部会へも多くの皆さまが参加され、さらに突っ込んだ高度なディスカッションが行なわれることを期待しています。

2006年度 第2回

開催日程

テーマ: 現代の『保守』――何が新しいのか?
司会者: 野上 元(筑波大学)
担当理事: 岩上 真珠(聖心女子大学)、奥村 隆(立教大学)
研究委員: 野上 元(筑波大学)、小井土 彰宏(一橋大学)
日 程: 2007年4月7日(土) 14:00〜18:00
*前号ニュースでの予告から日程が変更になりました。訂正いたします。
場 所: 立教大学 太刀川記念館 第1・第2会議室
報 告: 報告(1):高原基彰(東京大学大学院)
「『官僚制を乗り越える試み』の失敗について――日本と韓国の事例から」
報告(2):塩原良和(東京外国語大学)
「ネオリベラル多文化主義の台頭と移民の選別/管理/排除――オーストラリアの事例から」

研究例会報告

野上 元(筑波大学)

 第2回研究例会「現代の『保守』――何が新しいのか?」は、4月7日(土)14時から新入生歓迎で賑やかな立教大学で開催され、高原基彰氏(日本学術振興会特別研究員・東京大学)、塩原良和氏(東京外国語大学)の両氏からそれぞれ「現代における保守化とは何か――日韓におけるポスト高度成長の民主主義」、「ネオリベラル多文化主義の台頭と移民の選別/管理/排除――オーストラリアの事例から」を報告していただいた。
  まず高原氏は、ご自身が現在滞在されている韓国の事例から紹介された。近年の韓国では、かつてのIMF危機では厳しい批判の対象であった財閥企業が再評価されてきているという。それらはITの分野でむしろ積極性を示して成功し、その職場は「新しく」「洗練された」ニューエコノミーの原則に貫かれ、それへの人々の憧れや過剰同調が生み出されている。そのうえで財閥中心の「韓国式経済システム」を賛美する(一旦は死んだ)「保守的な」議論が重なり合わさっているというのである。「真の脱植民地化」を希求する「民族主義=革新」と当面の経済発展や国際関係を重視する「国家主義=保守」との錯綜が作り出している韓国のナショナリズムの捉えにくい様相は、「保守化」をめぐるこうした経済的な状況やポスト冷戦体制への試みをふまえて理解されなければならない。「民族主義¬¬=革新」の伸長は「民主化」の帰結であったが、(民族主義や脱植民地化をある程度抑制しての)「経済発展」もまた人々の希求するところだとすれば、歴史認識におけるナショナリズムの噴出とは微妙に異なった「保守化」の問題が、ここで顔を覗かせている。氏の報告では、翻って日本の「民主化(高原氏の報告では、脱官僚制や脱会社主義との関係で考えられている。そこで日韓の有機的な比較ができるというわけだ)」と「保守化」の関係という問題にも触れられ、議論の構成に「(ナショナリズムの噴出と単純に見なすことのできない)保守化」の多様性を織り込む可能性が示唆されたように思う。  
  一方、塩原氏の報告では、オーストラリアにおける「ネオリベラル多文化主義」についての紹介と分析がなされた。近年オーストラリアにおいては、移民政策やエスニックグループへの社会政策において、ネオリベラリズムが「多文化主義」を公然と否定するのではなく、その変質を推し進めているという。オーストラリア政府の掲げる公式の多文化主義は、福祉国家の統合モデルから、ネオリベラリズムの巧妙な統治モデルへとその役割を変えてきている。ここで問題は、知識人たちが唱えていた「反本質主義」が逆用されるということだ。エスニックグループは解体され、「多様な個人」のもとで文化多様性が確保されなければならないというのである。「自由で多様な個人」という前提と、管理のためのノウハウと化した多文化主義が併存し、様々な警察政策や国境管理政策が自明化してゆく。結果として、ネオリベラル化という文脈のもとで、「多文化主義」が「道具」化してしまっているという。同時に、エスニックグループ内部における経済的な階層分化とナショナルインタレストの追求との結合においても、多文化主義は、むしろ包摂の原理として役割を果たしている。塩原氏のいうように、さらに近年になって、むしろ「多文化主義」という用語が使用されなくなったのだとすれば、それはある種の「自明化」を表しており、流動化による選択性の増大を中間的に統御する「多文化主義」モデルの機能は、そのように名指されることは少なくなってきてはいても、むしろネオリベラリズムにおいて不可欠な核心(むしろ透明化することで強烈に作用する「自明な前提」)となっているのではないか、と思われた。
  高原氏・塩原氏の報告は、「保守化」の具体的な多様性をこぼれ落とさないよう整理する態度の重要性を喚起している。また、これも両報告を通じて示されたことだが、鮮やかな整理が、逆に「保守化」をめぐる整理不可能な諸問題や感情(実感?怨念?)を喚起したり、状況に対する各人の多様な視点を浮かび上がらせたりする可能性がある。これらを「成果」と考えるのならば、それは両報告者だけでなく、当日の参加者諸兄諸姉による活発な議論によるものであると考えている(なお、参加者は約20名であった)。ご協力に感謝したい。

2006年度 第3回

「修論フォーラム」の報告と次年度大会での開催のお知らせ

担当:奥村 隆 (立教大学)

 すでにニュースでお伝えしましたように、昨年からの試みである「修論フォーラム」を、2年目の今年は筑波大学での学会大会第1日目午前(6月16日(土)10:00〜12:30)に開催します。これは、2006年度に修士論文を提出した大学院生がその内容を報告し、他大学に所属する会員が論文を事前に読んだうえでコメントして、フロアの参加者とともに討論するものです。
  前号ニュースでの募集に対して6名の応募があり、その希望に沿って会員にコメンテーターを依頼したところ、次ページのプログラムのようにご担当をお引き受けいただきました。お忙しいなかご協力下さるコメンテーターのみなさまには、厚くお礼を申し上げます。 各報告につき、質疑をあわせ50分を予定しています。各大学の大学院生をはじめ、会員・非会員を問わず、多数のみなさまのご参加と活発な議論を期待しております。
 なお、16日の大会受付開始時間は13:30ですので、修論フォーラムに参加される方は受付をフォーラム終了後におすませ下さいますよう、お願い申し上げます。

「修論フォーラム」開催報告

奥村 隆(前担当理事・立教大学)

昨年度、第3回研究例会として開催された「修論フォーラム」が、2年目の今年は筑波大学での学会大会第1日目午前(6月16日(土)10:00〜12:30)に開催されました。今回は、2006年度に修士論文を提出した5大学・6名の報告者を2つのセッションに分け、修士論文の概要の報告と、報告者が希望したコメンテーターからのコメントと応答、参加者をまじえた討論が行われました。
このうち、セッション1(司会・奥村隆)では、後藤美緒氏(筑波大学)「東京帝大新人会の歴史社会学――政治的主体としての『青年』の成立と帰結」(コメンテーター・井腰圭介氏)、福岡愛子氏(東京大学)「文化大革命の記憶と忘却――回想録の出版にみる記憶の個人化と共同化」(コメンテーター・片桐雅隆氏)、熱田敬子「中絶はなぜ『悲しいこと』か――『身体的』経験がつくる齟齬と孤立の形」(コメンテーター・柘植あづみ氏)の3報告がなされました。また、セッション2(司会・玉野和志氏)では、小山田基香氏(立教大学)「東京の在日インド人コミュニティ――IT技術者から見る日本の外国人政策の現状」(コメンテーター・田嶋淳子氏)、松下奈美子氏(一橋大学)「我が国におけるフィリピン人女性労働者の就業実態と政策――『エンターテイナー』の労働者性を中心に」(コメンテーター・小ヶ谷千穂氏)、鄭佳月氏(東京大学)「世論と表象のポリティックス――戦後デモクラシーにおける世論の制度史」(コメンテーター・宮島喬氏)の3報告がなされました。 同時に開催されたこの2セッションにはあわせて40名ほどの参加者があり、コメンテーターからは修士論文を事前に深く読み込んだ評価のコメントや厳しい質問がなされ、大学院生を中心にした参加者からも多くの質問・発言がありました。その後、報告者・コメンテーターからは、他大学の先生からのコメントはたいへん貴重だった、大学間でこうした機会を持つことに意義を感じたといったご意見と同時に、セッションの後に自由に意見交換できる懇親会のような機会があればよかった、大会報告に対するこのフォーラムの位置づけをより明確にする必要がある、など運営上の問題に対するご意見もいただきました。
旧理事会ではこの新しい企画が一定の成果を挙げたと判断し、上記のご意見にあるような運営にあたって多くの課題があることを含めて、新理事会に、継続して開催の方向での検討をお願いしたい、との引き継ぎを行いました。この2年間の企画を支えて下さった会員のみなさまに深く感謝するとともに、この試みが多くの参加者を得てさらに発展していくよう、今後ともみなさまのご協力をお願いいたします。