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年次大会
大会報告:第40回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会 I)

 テーマ部会 I:理論部会 「いま、あらためて「自我」を問う」
 6/6 14:00〜17:30 [法文2号館1大教室]

司会者:片桐 雅隆 (大阪市立大学)
コメンテーター:桜井 洋 (山梨大学)  安川 一 (亜細亜大学)  岡原 正幸 (慶応義塾大学)

部会趣旨 那須 壽
第1報告: 自我・アイデンティティー・ネットワーク 干川 剛史 (徳島大学)
第2報告: 自己とリアリティ
―「脆弱な自己」への視点―
草柳 千早 (大妻女子大学)
第3報告: 虚構化した自己の再編可能性
―ゴフマンを手がかりに―
宮内 正
(早稲田大学・関東学院大学)

報告概要 片桐 雅隆 (大阪市立大学)
部会趣旨

那須 壽

 今年度の理論部会では、「なにをいまさら」という声が聞こえてきそうですが、あえて「自我」をテーマとして取り上げます。近代社会が成立するなかで発見された「自我」の虚構性は、すでに幾多の言説によって指摘されています。しかし、そうであることが即座に、社会学における「自我論」そのものの無意味さを宣告しているわけではないでしょう。逆に、「自我」がもしも虚構であるならば、そうした「虚構としての自我」をテーマ化することによって、今日の状況を読み説いていくひとつの鍵が見つかるのではないでしょうか。干川剛史氏「自我・アイデンティティー・ネットワーク」、草柳千早氏「自己とリアリティ―《脆弱な自己》への視点」、宮内正氏「虚構化した自己の再編可能性―ゴフマンを手がかりに」という様ざまな立場からの報告と、桜井洋、安川一、岡原正幸の各氏によるそれぞれの報告へのコメントとによって問題の所在を明らかにしながら、参加者を交えた活発な議論をしていきたいと思います。

第1報告

自我・アイデンティティー・ネットワーク

干川 剛史 (徳島大学)

 本報告では、現代社会における自己と共同性の構成過程に焦点を置き、自我論の可能性の検討を試みたい。

 そのためにまず、自己と共同性が構成される過程をコミュニケーション論的にアプローチする。つまり、自己形成を自―他間のコミュニケーションの内在化過程としてとらえ、共同性がコミュニケーションを媒介とする相互的なコミットメントによって構成されるととらえることにする。

 次に、この理論的アプローチに基づいて、現代社会におけるコミュニケーションの閉塞状況と自己アイデンティティーの不安定性を問題とし、このような状況の中で生じてくる自己の自閉的傾向を指摘しながら、(自律的な自己としての)自我の形成がなぜ困難であるかを考察してみたい。

 そして、こうした自閉的な自己が、電子メディアを媒介としたコミュニケーション・ネットワークを通じて、他者と相互にコミットして行く過程に着目し、この過程の中で作り上げられる共同性がもつ限界と可能性を検討しながら、新たな自己と共同性の構成過程の展望を模索してみたい。

第2報告

自己とリアリティ
―「脆弱な自己」への視点―

草柳 千早 (大妻女子大学)

 自―他経験の相互性ということに基づいて、「自己」に注目し、自己の他者に対する脆弱さ(vul-nerability)について述べたい。

 自己の他者に対する脆弱さとは、自己のあり方や、自己の置かれた状況において何がリアルなのかということ―自己の経験するリアリティ―が、端的に他者たちとの関係のうちにあるということ、あるいはそのようなものとして自己やリアリティを見る、ということである。他者たちの中で、、自己も彼にとってのリアリティも、言わば他者次第の心許なさ(precariousness)を帯びており、そのような自他相互の関係は、レインが「経験の政治」と呼んだような、相互操作の現場となりうる。 報告では、R.D.レイン、E.ゴフマンなどの自己の「経験」に関する議論を踏まえながら、自己を「脆弱な自己」として捉える視点、その現代社会への視点について述べていく予定である。

第3報告

虚構化した自己の再編可能性
―ゴフマンを手がかりに―

宮内 正 (早稲田大学・関東学院大学)

 自閉化や散逸を繰り返す自己。しかも、近代の基本的価値が相対化され批判され、ときには消費される現代社会にあって、多くの人々の期待やノスタルジーとは裏腹に、こうした自己を近代的な意味での統一的・自律的・個性的な自己として再編する道はすでに絶たれているといえよう。ではいかなる道が残されているのか。あるいは、そもそも再編の可能性を問うことは可能なのか。

 ゴフマンを援用するまでもなく、自己が相互行為における状況的ルールや役柄(相互行為秩序)によって必然的に要請されるものであるかぎり、自己は本来的にひとつの虚構にすぎない。にもかかわらず、自己の虚構性は、近代社会の構成原理としての人格崇拝や個人主義のイデオロギーによってかろうじて隠蔽されてきたのである。

 ところが、高度情報化社会の加速度的な進展とともに、いまやそのイデオロギーの押さえがきかなくなり、自己の虚構性が顕在化しつつある。近代的価値の矛盾を感じながらも、その価値にこだわるというジレンマを抱えた人たちの虚無観。近代的価値へのこだわりを相対化しようとする(せざるを得ない)人たちの絶えざる緊張と不安。いずれにせよ、私たちは、社会の中心にいようと周縁にいようと、多少なりとも自己の虚構性を鋭く意識せざるを得ない社会に生きている。

 もっとも、こうした言説じたいが近代的価値への執着によるものであって、多くの人たちは、虚構性の自覚を近代的自己の矛盾や実存的な不安に結びつけることなく、自らを多元的な自己(イメージや役柄)の「表現装置」や「媒体」として見事に自己の再編を成し遂げているのかもしれない。そうした自己が無数のプラクティス(慣習的行為)を記憶した有能なロボットに過ぎないと思うのはやはり近代的な感覚なのだろうか。

報告概要

片桐 雅隆 (大阪市立大学)

理論部会では、「いま、あらためて『自我』を問う」というテーマで、「自我・アイデンティティ・ネットワーク」(干川剛史氏、徳島大学)、「虚構化した自己の再編可能性」(宮内正氏、早稲田大学・関東学院大学)、「自己とリアリティー」(草柳千早氏、大妻女子大学)の三つの報告と安川一氏(亜細亜大学)、岡原正幸氏(慶應義塾大学)、桜井洋氏(山梨大学)によるコメントが行われた。

干川氏は、現代社会におけるコミュニケーションの閉塞状況とアイデンティティの不安定性を指摘し、それを乗り越える一つの方向としてネットワークの形成に注目した。現代社会は。大量生産、大量消費の中で、自己を形成し、他者との共同性を構成することが困難な時代であり、「自己とは何か」が問われており、その探求の一つの試みとして電子的ネットワークに焦点が当てられた。

宮内氏は、自己アイデンティティの虚構化と、「虚構化した自己」と「共在空間における自己」との乖離を指摘した。現代社会における自己は、公的生活の形式化、私的生活の偏重の中で、その根拠を失い虚構化し、そのために共在空間における具体的な他者との間に乖離が生じている。そのような乖離を乗り越えるために、氏は、共在のプラクティスを根拠とする相互の信頼関係に注目しようとした。

草柳氏は、現代的な自己の脆弱性、リアリティーを定義する権利としての「リアリティー定義権」が奪われている状況を指摘した。つまり、現代社会における自己が、多元的な状況に依存しており、状況ごとの自己として拡散し、さらに、リアリティー定義権を奪われることによって脆弱化していることに注目しようとした。

以上の三氏の報告に対して、主に安川氏→干川氏、岡原氏→宮内氏、桜井氏→草柳氏という形でコメントがなされた。電子的ネットワークの在り方や可能性、虚構化した自己と共在空間での自己の乖離の在り方や後者の可能性、自己の脆弱性の具体的在り方などについてフロアを含めた活発な討議がなされた。問題点としては、三氏の報告が似通ったものとなり対立的な見方に乏しかったこと、理論部門であるにもかかわらず「自我」の理論的検討そのものが中心的なテーマとならなかったことが上げられる。特に後者の問題は、今後の課題として残された。

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