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年次大会
大会報告:第48回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第5部会)

第5部会:障害者の社会学  6/11 10:00〜12:30 [1208教室]

司会:石川 准 (静岡県立大学)
1. 障害者の〈自立〉とその支援 佐藤 恵 (日本学術振興会)
2. 「障害者スポーツ」の秩序(U)
――障害者スポーツの社会学(1)
樫田 美雄 (徳島大学)
3. スポーツの構成
――障害者スポーツの社会学(2)
金澤 貴之 (群馬大学)
4. 「障害」の構築
――障害者スポーツの社会学(3)
岡田 光弘 (国際基督教大学)

報告概要 石川 准 (静岡県立大学)
第1報告

障害者の〈自立〉とその支援

佐藤 恵 (日本学術振興会)

 本報告は、障害者の〈自立〉とその支援について、自己決定という現象の検討に重点を置きながら、ヒアリング調査によって得られたデータや文献資料を用いて考察する。ある障害当事者は「まだまだ社会的に、障害者は働いて一人前にならなあかんとか、頑張って人並な生活を送らなあかんとか、たとえば生活保護をとるっていう一言に対して周りが反対するとか、まだまだ状況的に苦しいところがある」(ヒアリング)と言う。身辺自立・経済的自立に価値を置く自助的自立観の強制は、自助的自立の困難な障害者をパターナリスティックに保護対象と見なし、当事者の自己決定を無効化する上に、支援を受けることに「依存のスティグマ」を伴わせる。これに対して、障害者は「自分で選んで自分のやりたいことをする」「自分のできないことは頼む」(ヒアリング)というふうに、自己決定を核とし、依存の脱スティグマ化を図る、新しい〈自立〉観を提起してきた。

 障害者の自立に関する従来の議論は、「〈自立〉=自己決定」という図式で閉じられることが多い。そうした議論における自己決定は、他者との関係から切断された単独者としての自己の決定というイメージが強いが、当事者の実践においては、むしろ他者との相互関係における〈自立〉が志向されているように思われる。そこで本報告は、自己決定を核とした障害者の〈自立〉とその支援について、社会的相互作用論の立場から考察する。

第2報告

「障害者スポーツ」の秩序(U)
――障害者スポーツの社会学(1)

樫田 美雄 (徳島大学)

 障害者スポーツの中から、車イスバスケットボールを取り上げて論じる。車イスバスケットボールのスポーツとしての固有性が、いかにハイブリッド(異種混交)なものとして構成されているかをエスノメソドロジー的なビデオ分析を通じて示す。たとえば、車イスバスケットボールでは、健常者のバスケットボールと同様のボール、同じ高さのリング、同じ広さのコートが用いられている。しかし、それら(ボール・リング・コート)における「同じさ」は、むしろ、車イスバスケットボールというルールの編成の中で、車イスバスケ的意味を帯びることになる。それらはもはや、単に「同じ」なのではなく、「車イスバスケットボール」というスポーツの「固有」の構成要素として働いているのである。具体的には、リングの高さの同一性は、手からリングまでの高低差が、健常者のバスケットボールよりも、車イスバスケットボールにおいて大きい、ということを意味する。その結果生まれる遠距離シュートが困難であるという特徴は、得点可能ゾーンとしてゴール下の重要性を帰結する。ゴール下が重要であることは、車イスという「固定的な幅」が、防御においても攻撃においても戦術的な資源であることを結果させる。ここにいたって、「同じ」ことは「違う競技である」根拠となる。逆に、片手シュートという車イスバスケットボールらしい戦術を分析すると、「違う」戦術が「同じ」原則に基づいてなされていることが示せるだろう。最終的に、障害者スポーツのハイブリッドな構成を示すことによって、それがひとつの「スポーツ」として分析可能であることを示したい。

第3報告

スポーツの構成
――障害者スポーツの社会学(2)

金澤 貴之 (群馬大学)

 これまで「障害者」は,本来「健常者」に備わっているはずの心身の状態が欠損した者として,少なくとも医学的には構築されてきたし,障害によって生じた能力の不全を補償するべく,その教育や福祉が進められてきた。しかしスポーツはそこに異なる視点を提供することになる。例えば手の使用に不自由さを設けることによってサッカーが成立するように,そもそもルールによって設けられた不自由さこそがスポーツの面白さを構成する要素となっている。そうであるならば,障害者スポーツは,欠損に対する補償として考えられるべきものではなく,再編成された別の面白さが存在していると考えられる。あるスポーツが障害者スポーツとして「アレンジ」され,それが当事者の間で楽しまれ始めたとき,すでにそれは単なる「アレンジ」という枠を越えて,別のスポーツとして再編成された面白さが存在する。それゆえに,障害者スポーツを分析することは,スポーツの構成のされ方そのものを明らかにしていくことであるといえよう。本報告では聾者のスポーツに注目する。手話言語をもつ聾者にとって,「障害」は聴者と関わることによって生じるものであり,聾者間で何かを行う際には自らを障害者として感じることがないという点に,聾の特徴がある。聾スポーツに注目することで,スポーツの構成要素として特にコミュニケーションの構成について考察していきたい。

第4報告

「障害」の構築
――障害者スポーツの社会学(3)

岡田 光弘 (国際基督教大学)

 社会構築主義は、ながらく、OG問題と呼ばれる罠に嵌まってきた。この罠を無効化するには、具体的なフィールドワークによって、「構築」、すなわち「人々を作り上げる」手続きを記述して行く作業を積み重ねること以外ないであろう。たとえばそれは、障害者スポーツにおいて「障害」が、具体的な手続きによって、申し立てられ、測定されていくさまを追っていくことで可能になる。日本身体障者者水泳連盟の主催大会等においては、クラス分け委員により障害区分が認定される。そこで選手は、ベンチテストとウォーターテストを受けることになる。「ベンチテスト」は、障害の種類や程度、そして陸上での運動能力を把握するために行なわれる。選手は「障害状態チェックリスト」を使用し、個人的な情報を記入する。後に、クラス分け委員によって、神経学的所見その他の機能障害の所見のチェック、移動能力やバランスをチェックする「補助テスト」などが行なわれる。ウォーターテストは、「監察用紙」を使用し、「入退場、入退水時の陸上での機能」、「スタート、ターン、ストロークの方法や技術」、「体幹の状態」、「呼吸のタイミングを含む全身的な協調性」をポイントとして行われる。こうした手続きを踏むことで、エントリーしているクラス、ベンチテストのクラスが適切かどうか、練習の成果か生来の能力かが判断される。「障害/障害ならざるもの」という区分が産出されていくのである。

報告概要

石川 准 (静岡県立大学)

 第一報告、佐藤恵「障害者の〈自立〉とその支援」は、阪神淡路大震災直後から障害者の救援、介助を行ってきた「被災地障害者センター」の実践のケーススタディであった。震災によって多くの市民が被災すると、神戸市などの行政は、一般市民への対応だけで精一杯だとして、在宅障害者への福祉サービスを切り捨てた。家族を除けば、被災地障害者センターなどの民間のボランティア・グループだけが、このような被災障害者の支え手となった。だが、行政は、そうしたボランティア・グループを支援する仕組みすら持たなかった。そればかりか、生活に困窮した在宅被災障害者を施設に収容しようとする行政と、個人の意思を尊重してボランティアと行政が協力して在宅で支えていくべきだとするボランティア・グループはしばしば対立すらした。被災地障害者センターのボランティアからの聞き取りによって浮かび上がってきたのはこうした「事実」であった。

 第二報告、樫田美雄「『障害者スポーツ』の秩序」、第三報告、金澤貴之「スポーツの構成」および第四報告、岡田光弘「『障害』の構築」は「障害者スポーツ」を主題とする共同研究であった。樫田報告は車イスバスケットボールを、金澤報告はろう者バレーを、岡田報告は障害者水泳を取り上げ、それら障害者スポーツ固有の構成のされ方を、エスノメソドロジーあるいは構築主義の語彙を駆使しつつ分析してみせた。

 三者が一致して主張したのは、これまで「障害者」は、本来「健常者」に備わっているはずの心身の状態が欠損した者として、少なくとも医学的には構築されてきたし、障害によって生じた能力の不全を補償するべく、その教育や福祉が進められてきたが、スポーツはそこに異なる視点を提供することになるということであった。すなわち、たとえば手の使用に不自由さを設けることによってサッカーが成立するように、そもそもルールによって設けられた不自由さこそがスポーツの面白さを構成する要素となっている。そうであるならば、障害者スポーツは、欠損に対する補償と考えられるべきものではなく、再編成された別の面白さが存在している、と考えられるべきであるというのである。

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