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年次大会
大会報告:第38回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

 第1部会  6/24 10:00〜12:30 [5号館502教室]

司会:山本 鎮雄 (日本女子大学)
1. M・ウエーバーにおける「理解的解明」をめぐって
−4つの行為類型と『経済と社会』の二部構成について−
宇都宮 京子 (お茶の水女子大学)
2. 社会学における意味の意味 石井 和平 (日本大学)
3. ジャンセニスムとプロテスタンティスム
−その共通性と相違−
浅井 美智子 (お茶の水女子大学)
4. ことばの政治社会学
−「単一民族」幻想批判のために−
ましこ ひでのり (東京大学)

報告概要 山本 鎮雄 (日本女子大学)
第1報告

M・ウエーバーにおける「理解的解明」をめぐって
−4つの行為類型と『経済と社会』の二部構成について−

宇都宮 京子 (お茶の水女子大学)

 『経済と社会』二部構成についての批判はF・H・テンブルックや折原浩氏によって行われているが、 1920年にウエーバー自身によって発刊された第一部のあとに、彼の死後、マリアンネ・ウェーバーらが何の説明もなく1913年頃の草稿を第二部としてつけ加えたことの罪は大きいと思われる。この2つの時期の彼の著作の内容には、後者が「整合型」及び「客観的可能性の範疇」を考慮した形で論述を進めているのに対し、前者はそれらを意図的に無視して書き直しているという決定的な差が存在している。しかし、ウエーバーにとって不幸なことに、上述の両概念の意味と役割とは、彼が本来意味したようには理解されておらず、それによって上記の変更の意味も原理も理解されてはいない。それ故、この二部構成は読者に大きな混乱をもたらしている。また、その第一部の冒頭の概念規定のところは、もっともよく引用され、また批判の対象にもなっているのだが、ウエーバー自身がその序文のところで、<1913年の論文と比較してわかりやすくしたが、それは多少の通俗化を伴っている>と述べているのに、その<通俗化>という言葉の真の意味は理解されてはいない。そして、その無理解に基づいて諸批判が展開されているのである。今回はA・シュッツやT・パーソンズの批判を検討しつつ、以上のような点を明らかにし、ウエーバーの「理解的解明」の意味を吟味したいと思っている。

第2報告

社会学における意味の意味

石井 和平 (日本大学)

 社会学において「意味」の問題が強調されるようになってきた。それは、一方で、主体を語るうえで意味という視点が極めて重視されるからであり、他方、システムに対峙して存在する基底的な場としての生活世界という概念が定着し、そこでのコミュニケーションの重要性が指摘されるようになってきたからでもある。

 前回の研究例会に引き続き、生活世界における仮構の導出という論点から、社会学上の批判理論を展開するうえでの戦略として認知されてきた生活世界の概念について指摘し、生活世界自体を理念化された仮構として考えてみたい。

 また本報告では、この論理の線上で、意味の問題に焦点をあて社会学における意味という概念を再考することを意図している。そして意味の問題を考えるために言語学的視角を取り入れてみることも企図している。

 勿論、過去にも言語学志向の社会学理論の展開が存在していたわけではあるが、社会学においてシステム対生活世界という新たな二項対立が定式化し、意味の問題を生活世界の問題にリンクさせる今日において、この視点から論理を展開することに意義を見いだしたい。

第3報告

ジャンセニスムとプロテスタンティスム
−その共通性と相違−

浅井 美智子 (お茶の水女子大学)

 中世末期から近世初頭にかけてのヨーロッパ社会は、スコラ自然学に対する近代科学、神の絶対性に対する人間の自律性と自由を謳うユマニスムが台頭しつつあった。そのようななかで、キリスト教界は伝統的な神学教理に対する見直しを迫られ、展開されたのが宗教運動である。それは、ルター、カルヴァンのローマ・カトリック教会に対するプロテスト運動とイエズス会を中心とするキリスト教の刷新を図る伝統的カトリシスムの対立として表面化している。しかしながら、17世紀中葉、オランダのジャンセニウスに由来する、通称(蔑称であるが)ジャンセニスムの思想運動は、プロテスタントのみならずカトリックとの対立のなかで展開されたものである。

 本報告の目的は、この宗教運動のなかでカルヴァニスムにもっとも近いと言われながら、あくまでカトリシスムの枠内で思想・宗教運動を展開したジャンセニスムをその比較において検討することである。

第4報告

ことばの政治社会学
−「単一民族」幻想批判のために−

ましこ ひでのり (東京大学)

 外国語をまなぶときには、ある地域において○○語という均質的な「ことば共同体(speech commu-nity)」がある、という虚構を学習上の方便としてもちいる。しかし、それが、現地の言語生活を極度に抽象化したものであることはいうまでもない。しかしその一方で、「ことば共同体」は地縁的(共時的)、伝承的(通時的)な一体感(帰属感)をともなう、共同主観の産物、いわば「想像の共同体」でありその自我包絡的構造は、「より」異質的な集団との対抗上組織化され、「地域」主義⇔「民族」意識(主義)⇔「国民」意識の各レベルで「統合」しうる「実体」でもあるため、汎○○主義への方向にも、分離独立運動の方向へもかたむきうるのだ。こうした「ことばの政治性」については、エスニシティという観点から欧米の移民問題などに興味があつまっているが、あしもとの「日本」については、「欧米のような」問題はないとの、ひとことでかたづけられてきたきらいが否定できない。しかし、(前)近代のアイヌに対する幕藩−維新体制および近現代の朝鮮統治−強制連行−帰化・同化体制は、あきらかに異民族問題であるし、琉球文化圏での中国とのヘゲモニーあらそいと、それにつづく「風俗改良運動」は、近代「日本」という体制にとって、「民族」とか「国民」とはなにかという問題をつきつけてくる。

 本報告では、「(ほぼ)単一民族の日本」というイデオロギーの形成過程と再生産構造をときあかすために、琉球文化圏の近代史を言語社会学的に再解釈することで地域の「近代化」の基本的問題点を指摘するとともに、戦前の「皇民化」教育の基本姿勢である「同化」指向が、「基本的」には、かわなくつづいており、それが天皇制→「象徴」天皇制という連続性のかぎなのではないかを、とうてみたい。

報告概要

山本 鎮雄 (日本女子大学)

 この部会は社会学の理論を中心として、四人の若手研究者が報告をおこない、それをめぐって質疑応答がおこなわれた。テーマおよび報告者は以下のとおりである。

 (1)M.ウェーバーにおける「理論的解明」をめぐって――4つの行動類型と『経済と社会』の二部構成について――、宇都宮京子(お茶の水女子大学)。(2)社会学における意味の意味――意味の場としての生活世界の視点から――、石井和平(日本大学)。(3)ジャンセニスムとプロテスタンティスム――その共通性と相違――、浅井美智子(お茶の水女子大学)。(4)言葉の政治社会学――「単一民族」幻想批判のために――、ましこひでのり(東京大学)。

 第1報告(宇都宮)は、M.ウェーバーの「理解社会学の若干の範疇」と「社会学の基礎概念」の両論文の「変更」の意味と方法をテーマとして、とくに行為の四類型の概念上の相違を丹念に指摘した。さらにマリアンネ・ウェーバーによって付け加えられた『経済と社会』の二部構成の問題点に言及し、ウェーバーの「整合型」の概念を中心に「理解的解明」の意味を吟味した。

 第2報告(石井)は、今日の社会学の二項対立的状況は、目的合理性にもとづく「システム」の導入と、人間中心主義として理念化された「生活世界」にあるが、後者の視点から「意味」の問題を中心に取り上げた。神話やシンボルは生活世界における「意味」の生成であり、人間が本来的にもつ基底的な意識を利用することで、権力の神話化、価値観の生成という共犯関係が形成されることに言及した。

 第3報告(浅井)は、17世紀中頃、オランダのジャンセニウスに由来するジャンセニスム(ヤンセン主義)の宗教運動を、それと対立したローマ・カトリックとプロテスタンティスム(特にカルヴァニスム)と比較し、その教理上の特徴と相違点を指摘した。とくにカルヴァニスムの世俗内的禁欲にたいして、隠棲というジャンセニスムの世俗外的禁欲の特徴を明らかにした。

 第4報告(ましこ)は、言葉が集団のウチ‐ソトを差別化する道具であるという「言葉の政治性」に注目し、言葉を政治社会学的に考察した。特に「単一国家の日本」というイデオロギーの形成過程を解明するため、琉球文化圏の「同化」過程を言語社会学的に解釈し、「風俗改良運動」と標準語化政策における「近代化」過程の問題点、文化放棄、民族消滅の過程を指摘した。

 いずれもユニークで、今後の研究の展開に大いに期待される報告であった。

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