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年次大会
大会報告:第39回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

 第1部会  6/16 10:00〜12:30 [5101号室]

司会:古城 利明 (中央大学)
1. 言語モデルの権力論に向けて
――英語圏における権力モデルの転換から――
熊ケ谷 寿春 (東京大学)
2. 社会学の盲点としてのことばの政治性と近代化
――ことばの政治社会学小史――
ましこ ひでのり (東京大学)
3. J.−P.サルトルにおける集団的アイデンティティの形成について 長谷川 曽乃江 (中央大学)
4. 都道府県間通信交流状況のネットワーク分析 安田 雪 (国際基督教大学)

報告概要 古城 利明 (中央大学)
第1報告

言語モデルの権力論に向けて
――英語圏における権力モデルの転換から――

熊ケ谷 寿春 (東京大学)

 ホッブズからアメリカの政治学まで、一貫して用いられてきた権力概念の定義は、権力者の行為によって、被権力者の行為の変更をもたらすというタイプのものだった。ここでは、権力は機械論的因果性と個人主義によって了解されているが、これは日常知的な権力現象の理解にも共通するものである。しかし、今日、こうした権力の定義が捉えることのできない、否、逆に覆い隠してしまうような問題群が噴出してきた。すなわち、文化諸領域を貫通するヘゲモニーの問題、文化的再生産の問題、フェミニズムの問題、労働過程における新たな主体化の問題等々である。こうした問いに共通するのは、新たな(新たに発見されつつある)支配の形式が、次の性質をもったものであるという点である。(1) 「権力者」が不明確である、ないしは、不明確にする戦略がある、(2) 被支配者の積極的同調が獲得されるメカニズムが存在する、したがって、ソフトな戦略を中核とする、(3) 支配の原理が言語と密接な関係をもっている、(4) 支配のメカニズムが文化諸領域に深く根差している、等々。

 こうした問題設定に応え得る権力モデルを構想するために、まず、機械論的因果性に立脚した権力理論を批判し、次に言語モデルの権力論を提示する。その際、依拠するのは、S・ルークス、A・ギデンズ、S・クレッグの議論である。これら三者は、主体と構造の規定−被規定の関係性、権力行使という行為がルールを前提し結果するという過程を理論化した。権力行使と発話行為の親近性から、言語モデルの権力論の方向性が示される。さらに、時間の許す限りで、具体的事例として、フェミニストの言説分析、地域権力構造論の新たな展開、組織論へのモデルの適用等を紹介したい。そこでは、言語を媒介とする権力行使と、発話と権力行使・被行使の親近性の二点が理論的課題となる。

第2報告

社会学の盲点としてのことばの政治性と近代化
――ことばの政治社会学小史――

ましこ ひでのり (東京大学)

 「<観念>よりも常識的な<知識>こそが知識社会学にとっての中心的な焦点にならなければならない」(バーガー&ルックマン)とゆー指摘、「言語科学の主要な業績」が「社会的機能・社会変動・・・お理解するうえで価値がある」(ラボフ)との指摘からすれば、ことばが、知識社会学の「中心的な焦点」にすえられ、「言語科学の主要な業績」に、もっとめがむけられるべきだろー。欧米の社会学者わ、ことばが<人類学的普遍性にぞくし「社会機能・社会変動」とゆー社会学的対象でわない>とみなすたちばおのりこえ、多文化社会における文化衝突にとりくむために、社会学者とか言語学者とゆーわくにわおさまりきらないよーな「学際」的領域おつくりあげている。

 しかし、日本においてわ、30年代にすでに田辺寿利がフランス言語社会学にめおとめながら、かえりみられず、戦後おむかえた。そして、米国にさきんじた、50年代はじめからの国立国語研究所の実態調査、また同研究所お中心とした、言語学者と社会学者の共同研究や、九学会連合などのうごきも、「学際」的みのりとしてわ、社会調査の技法が言語学のフィールド・ワークお、ゆたかにしたことおのぞけば、ひとにぎりの社会学者えの影響にとどまった。そして「日本で社会言語学といえば」 「言語学の傍流の一隅を占めるにすぎず、学会も専門雑誌もないのが現状」であり、言語社会学も「一般的ななじみはもっと薄く、社会言語学の一部という見方も完全に消えたわけではない」(原聖)といった「驚くべき停滞」(鈴木勁介)お、しめしてきた。

 本報告わ、なぜ(1)「ことばの政治性と近代化」(ましこ)が知識社会学の「焦点」のひとつにさえならなかったか、(2)言語学プロパー(とりわけ社会言語学)の「主要な業績」がみすごされてきたかおとう、「社会学の社会学」おめざす。【表音主義かなづかい】

第3報告

J.−P.サルトルにおける集団的アイデンティティの形成について

長谷川 曽乃江 (中央大学)

 周知の通り、サルトルの存在論哲学の基盤にはフッサールの現象学がある。だがサルトルがフッサールを援用したのは「志向性」概念までであり、他者の問題に関してはいかなる共同主観性、間主観性といったものも認めない厳格な立場をとった。すなわち、人間の他者関係は超越的な立場からでなく、個別の意識のうちにのみとらえられるのである。そこで、2つの問題が生じる。一つは、他者との関係における自己(外部の自己)が自己自身によってとらえられた自己(内部の自己)と決して重なり合わないということ。《alienation》と呼ばれるこのズレは、人間が社会生活を営む以上必然的に生じる矛盾であり、言語、諸制度、価値体系といった種々の社会関係には必ず含まれるとともに、なんらかの社会的抑圧をも生み出すものである。もう一つは、共同主観性を放棄した以上、どのような手続きによって諸個人間の共同的な意識が形成されるか?ということ。

 サルトルが見いだした、《alienation》を調整するための新たな人間間の絆帯とはなにか、また、どのような手続きによってこれを共同的意識のうえにすえたのか。サルトル初期存在論哲学から後期の社会理論にいたるサルトル思想の全体像をたどることによって、これらの問題を考察してみたい。

第4報告

都道府県間通信交流状況のネットワーク分析

安田 雪 (国際基督教大学)

 本論では、ネットワーク分析(Network Analysis)の手法を用いて、現在の日本の地域間の情報通信交流状況の実態を記述・分析した。NTTの平成元年度「47都道府県別通信量」のデータをもとに、47都道府県間の通信量を47×47行列に変換すると、行列内の変数Zijが県iから県jへの通信量の大きさを示す地域間通信交流状況のネットワークを作成することができる。この行列の形で抽出した都道府県間の通信交流ネットワークから、直接結合(cohesion)・中心性(centrality)・構造同値(structural equivalence)・密度(density)・交流の有効性(contact efficiency)というネットワーク指標(network parameters)を用いて各都道府県の通信交流特性を分析すると、東京を頂点とする通信交流量の多大な地域格差の存在、及び都市間の地理的距離と通信交流距離の低相関という実態が判明する。

報告概要

古城 利明 (中央大学)

本部会では政治にかかわるそれぞれ独立の四つの報告がなされた。

第一報告、熊ヶ谷寿春(東京大学)「言語モデルの権力論:権力の現代的作用様式の探求のために」では、権力を諸人格間の因果作用として理解する個人主義的権力論が批判され、脱人称化した支配原理をもつ近代社会では、ラングとパロールの関係をモデルとする権力論が構想されなければならない、との主張がなされた。これに対して、平和時と変革期は異なり、後者の場合再び人格的なものがあらわれるのではないか、との疑問が出された。

第二報告、ましこひでのり(東京大学)「社会学の盲点としてのことばの政治性と近代化―ことばの政治社会学小史」では、日本ではことばの政治社会学が根付いていないこと、そうした関心はむしろ言語学者たちによって押し進められてきたこと、この「盲点」を克服するために社会言語学に学ぶべきこと、が論ぜられた。この報告については、表題にある「政治性」および「近代化」の意味をめぐって質疑が行われた。

第三報告、長谷川曽乃江(中央大学)「サルトルにおける集団的アイデンティティの形成―共同主観性放棄にともなう集団的アイデンティティの形成と存在論的諸問題―」では、共同主観性を放棄したサルトルにおいては集団的アイデンティティの形成にアリエナシオン(他有化)は避けられず、この克服には存在の対自化である自由の相互承認が必要であり、その絶えざる状況開示の論理のなかにポスト構造主義局面と実存の接点をみいだそう、というものであり、この最後の点のもつ意味について質疑がなされた。

第四報告、安田雪(国際基督教大学)「都道府県間通信交流状況のネットワーク分析」では、住人間の電話受発信データを用いた分析の結果、都道府県間に中心、準周辺、周辺の構造がみられること、各都道府県のネットワーク特性と地域活性度の間に相関関係があること、などの諸点が示された。この報告に対しては、住人間だけでなく事業者を入れたらどうなるか、先の相関関係は因果関係といえるか、などの質問がなされた。

以上、一見バラバラの報告にみえるが、あえていえば差異、格差が共通の関心であったように思う。ただし、部会参加者が少なく質疑も発展しなかったので、これはあくまで司会者の印象にとどまる。

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