HOME > 年次大会 > 第40回大会(報告要旨・報告概要) > テーマ部会 II
年次大会
大会報告:第40回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会 II)

 テーマ部会 II:環境部会 「環境問題の現在」 −環境社会学の視座を求めて−
 6/6 14:00〜17:30 [法文2号館2大教室]

司会者:飯島 伸子 (東京都立大学)
コメンテーター:似田貝 香門 (東京大学)  桜井 裕子 (お茶の水女子大学)

部会趣旨 飯島 伸子 (東京都立大学)
第1報告: 再生可能エネルギー技術導入促進政策の日米比較
―カリフォルニア州と中国地方の事例から
寺田 良一 (都留文科大学)
第2報告: 有機農業運動における隠れた「卓越化」の論理とその陥穽
―「高畠町有機農業研究会」の事例から―
松村 和則 (筑波大学)
第3報告: 意志決定論から見たむつ小川原開発 舩橋 晴俊 (法政大学)

報告概要 飯島 伸子 (東京都立大学)
部会趣旨

飯島 伸子 (東京都立大学)

 環境問題の社会学的研究を重視する世界的な動向にはめざましいものがありますが、日本社会学会の対応は必ずしも敏感なものではなかったように思います。今回、関東社会学会が環境問題を扱うテーマ部会を設定してくださった先取性に敬意を表します。

 さて、日本国内で、環境問題研究に関心を寄せる社会学研究者の数はここ10年足らずのうちに、層として把握されうるまでに多くなっております。関連して、社会学的業績の数もそれまでの30年間の総計を凌駕する勢いです。1990年春に設立された環境社会学研究会には環境問題の研究に熱い心を寄せる多くの研究者が集まってくださっています。今回の「環境」部会は、その環境社会学研究会のメンバーから選んだ方々に報告と討論とをお願いしました。

 それぞれに異なる事例によってご報告いただくのですが、討議の時間をたっぷり取って大いに議論を、と考えています。環境社会学的研究について、共に考える時間にしたいと念じておりますので、よろしくお願いいたします。

第1報告

再生可能エネルギー技術導入促進政策の日米比較
―カリフォルニア州と中国地方の事例から

寺田 良一 (都留文科大学)

 再生可能エネルギー技術の意義は、環境政策の中で常に言及されながら、これまでの環境社会学においても事例研究はほとんどない。本報告は、その導入促進の経緯や社会的効果の比較分析の試みである。

 再生可能エネルギー技術は、E.F.シューマッハ、D.ディクソン、A.ロビンズらによって、「中間技術」、「オルタナティブ技術」、「ソフト・テクノロジー」として提起され、既存の環境破壊的、中央集権的技術に替わる、環境保全的、分散・分権的技術という環境・政治的選択肢と意味づけられた。

 カリフォルニアにおいては、石油危機をうけた70年代末に制定された「公益事業規制政策法(PURPA)」(再生可能エネルギーによる発電の電力会社の買電義務化)とその実効的運用のための州政府免税措置などの政策により、主に経済的インセンティブによって積極的に風力発電などを促進し、急速な普及に成功した。その背景には、州民一般の高い環境保全意識や活発な環境運動による支持があるが、普及の急速さと経済的誘引ゆえの建設者の利益の大きさに対する反発などにより、風車の集中立地点に一部反対運動や無理解が認められる。量的、環境経済的な効果は大であるが、地域社会の社会的受容、技術選択への市民の主体的関与という点では課題を残している。

 わが国の中国地方には、戦後無点灯地域の電化を目的とした「農山漁村電気導入促進法」基づく山村地域の小水力発電(主として農協が経営する)が数多くあり、これを環境保全やむらおこしといった今日的観点から再評価・活用する動きがある。しかし、カリフォルニアのような再生可能エネルギー促進政策をもたないため、電力会社との売電交渉が難航し、あるいは価格が低く抑えられ、量的な普及には程遠い。再生可能エネルギーに対する補助金も、モデル事業の域を出ておらず、経済的誘引としては弱い。だが一部の事例においては、再生可能エネルギー導入が地域社会や自治体にその環境保全的、地域自律的意義の認識を普及させる効果をみることができる。

第2報告

有機農業運動における隠れた「卓越化」の論理とその陥穽
―「高畠町有機農業研究会」の事例から―

松村 和則 (筑波大学)

 高畠町の有機農業運動についての一応の取りまとめを、昨年永年の仲間と共に出版しました(青木辰司・谷口吉光・桝潟俊子・松村著『有機農業運動の地域的展開―山形県高畠町の実践から―』家の光協会発行1991.12) 。小著は、有機農業の理念と現実が高畠町を舞台にしてどう展開したか、その「事実」を跡付けたことにつきます。しかし、古沢広裕さんが「一面では崇高な理念が地域の現実に裏切られていった姿」といわれ、「現実の社会の矛盾が運動実践の中で明らかにされていく家庭」(農林統計調査1992.3)と総括されていますように、正しく有機農業運動の自家撞着を「観察者の特権」をいいことに暴露したに過ぎなかったのかという自問が即座に湧いてきます。こうした自己反省を迫ってくる「運動」であったことを改めていうことは可笑しいかもしれませんが、「共同行為」論争(似田貝香門・中野卓)を思い出してしまう筆者には、如何にも苦しい時間であったことを白状しなければなりません。(男性研究者がフェミニズムに係わる時と似た思いなのでしょうか。また、P.ブルデューの科学認識論はこの苦痛を和らげてくれるのでしょうか…。)

 さて、1970年代の半ばにすでに自給運動の延長としての「提携」の理念からは、現実の運動が大きく離れていました。「顔のみえる関係」を謳った提携イデオロギーは、援農・配送を運動の要件としたが生産者・消費者双方の大きな負担となって彼らを苦しめました。さらに、「食べ続ける事が運動」と考える消費者とムラの中に生き・暮らす生産者との「距離」は近づくばかりかどんどん離れていったようにも思えます。その関係がはっきりと顕在化したのは「農薬の空中散布」問題でした。

 こうした運動の中にうまれた「対立」関係とはなにか、その過程で創り上げられていった有機農業の神話などを共に考えて、生産者・消費者間にある「情報の分断化」という現状認識を超えて、その奥に潜むものを取り出せたらと思います。

第3報告

意志決定論から見たむつ小川原開発

舩橋 晴俊 (法政大学)

 青森県下北半島におけるむつ小川原開発は、新全総の一環として石油化学コンビナートを中心に構想されたが、オイルショック後、敢然に見込みちがいとなった。1979年に至って石油備蓄基地の立地が決定し、83年にオイル・インが始まった。それに続いて1984年より、核燃料サイクル施設建設が具体化した。以来、本計画の是非をめぐって、推進側と反対運動側が、厳しい対立を続けている。本事業の動向は、青森県の将来のみならず、日本全体のエネルギー問題の解決のされ方、エネルギー政策の将来に大きな影響を与える。1991年2月の青森県知事選挙は、大きな山場であったが、事業推進の現職が、反核燃統一候補を退けて4選を果たし、本事業は現在、推進側のペースで進展中である。本報告は、意志決定過程論の見地から、むつ小川原開発問題に関する次の諸問題を検討するものである。

(1) 核燃料サイクル施設建設事業とは、どのような事業であり、どのような意味で、問題があるか。

(2) 本事業計画は、どのような意志決定過程を通して現実化したのか。
  ・当初の工業開発計画。・石油危機後の対応。・核燃料サイクル施設の受け入れ。

(3) 核燃料サイクル事業をめぐる賛否の対抗関係は、どのような特徴をもっているか。なぜ、青森県民の中で反対意見が多数なのにもかかわらず、事業は推進されてきたのか。どのような生態学的構造と意志決定制度が、放射能汚染問題についての世論を意志決定に反映させる事を困難にしているか。

(4) この問題のこれまでの経過は、今日の環境問題の理解について、そのような論点を提出しているか。

報告概要

飯島 伸子 (東京都立大学)

環境部会は、『環境問題の現在――環境社会学の視座を求めて』のタイトルのもとに、大会第1日目の午後に設定され、報告者、討論者、司会者のいずれも、予定どおりに変更なく実施された。報告者は寺田良一氏と松村和則氏および舩橋晴俊氏の三氏であり、討論者は似田貝香門氏と桜井裕子氏の二氏であり、司会は飯島伸子であった。以下に、当日の報告要旨および討議された主要な論点について紹介する。

まず、寺田氏は、「再生可能なエネルギー技術導入促進政策の日米比較――カリフォルニア州と中国地方の事例から」と題して報告された。再生可能エネルギー技術の意義は、環境政策の中で指摘され始めているが、環境社会学研究においては、これまで前例に乏しい分野であった。寺田氏は、シューマッハやディクソン、ロビンズらが再生可能エネルギーについて提示した〈中間技術〉〈オルタナティブ技術〉〈ソフト・テクノロジー〉などの考え方に着目し、米国カリフォルニア州で実行されている風力発電および日本国内の小水力発電の事例を比較することを通して、環境非汚染型のこうした代替エネルギー技術の普及を妨げている社会的要因について言及された。一言で言えば、米国においては地域社会に根づいていない問題点、日本においては地域社会に根づいてはいても量的普及の背景の欠如という問題点である。情報の少ない分野に関する貴重な調査報告であった。

つぎに、松村氏は、「有機農業運動における隠れた『卓越化』の論理とその陥穽――高畠町有機農業研究会の事例から――」と題して報告された。農村社会学からの接近は、日本と異なって、米国の環境社会学研究では有力な領域であり、松村氏のご報告は、農村社会学からの接近の少ない中で、環境問題に関して農村に深く入り込んだ経験を述べられた貴重なものであった。事例は、第2次産業による環境破壊の被害者であった農業が、農薬や化学肥料の多用、農地改良事業などによって環境問題の発生源となるに至った事態を変革しようとの理想に燃えて無農薬農業を始めた農業者の方たちである。農村社会学研究者として、これらの農業者に接近していった松村氏は、重い現実と懸命に取り組む農業者たちと会う過程で、調査方法について大いに悩み、苦しむ。この事例で青木辰司氏らと執筆した『有機農業運動の地域的展開――山形県高畠町の実践から』も、有機農業運動の自家撞着を暴露したに過ぎなかったのではないかとさらに悩み、苦しむ。環境問題を研究対象とする時に研究者が程度の差はあれ直面する困難や苦悩を率直に述べることによって環境問題の調査方法に関する問題提起をしてくださった報告であった。

最後に舩橋氏は「意志決定過程論からみたむつ小川原開発」と題して報告された。青森県下北半島におけるむつ小川原開発は、石油化学コンビナート建設計画がオイルショックで見込み違いとなり、核燃サイクル施設建設へと計画が変更されるという経過を辿っているが、舩橋氏は、この事例は、日本全体のエネルギー問題の解決のされ方やエネルギー政策の将来に大きな影響を与えるとともに、支配システムにおける意志決定の仕組みや研究の、典型的事例でもあると位置づける。世界的にも原子力がこれほどに集中している例は菜桜ほどの問題性を備えた事例であり、こうした具体的事例の分析によって、法則性やメカニズムを、特に中範囲のレベルでの意味発見を行うことの意義を強調されたうえで、この事例が、これまでに環境問題の理解について提出したと考えられる論点をつぎのように整理された。 (1) 「隔離依存型」構造 (2) 電力供給制度の問題点 (3) 生産供給型の社会制御システムとその担い手たちの社会的コントロールの問題 (4) 手段にかかわる要因が計画を規定する (5) 回復不能、補償不能の被害のリスクをともなう事業の可否と意志決定のあり方の問題 (6) 住民運動にとっての難題――多様な集団の協力関係の形成。

これらの報告を受けて、討論者の桜井氏からは、全体的な特徴として、一見するとバラバラの事例が取り上げられているようであるが、三つの報告には、ある地域社会で展開している環境問題を取り上げているという共通点があるとの整理がなされ、報告それぞれについて細部に関するコメントがあった。また、似田貝氏からは、環境社会学あるいは環境問題への社会学的研究というためには、社会的資源財の定義、利用・使用をめぐるコンフリクトの分析が重要であるとの指摘がなされ、寺田氏へはポリシーについての社会学はこれまでになかった分野であり関心が持てること、松村氏へは情報の差異化をめぐる問題について、舩橋氏については論点を簡素化する必要性についてのコメントがなされた。

環境問題部会は、こうして、具体的事例の掘り下げの重要性と同時に、その一般化の必要性も、前者に劣らず重要であることを提示したものと考える。

▲このページのトップへ