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年次大会
大会報告:第41回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第2部会)

 第2部会  6/13 10:00〜12:30 [3号館322教室]

司会:宮内 正 (早稲田大学・関東学院大学)
1. 自己と他者の仮象論 江川 茂
2. 個体名と言語の流れ 金原 克範
3. 公共性・メディア・ネットワーク
―ハーバーマスとネットワーキング―
干川 剛史 (徳島大学)
4. クラッシック若手演奏家のキャリア形成の一考察
―文化のパトロネージと関連させて―
上村 敏文 (星美学園短期大学)
5. 現代メディア文化に関する一考察
―マス・コミュニケーション・プロセスにおける受け手の対抗文化構築のための試論―
前田 益尚 (成城大学)

報告概要 宮内 正
(早稲田大学・関東学院大学)
第1報告

自己と他者の仮象論

江川 茂

 自己と他者について論述する。絵画でスケッチする場合に、主に人物の顔を書くと他者の誰かに似た顔を描いている。それは自己でない他者なのである。自己が他者を思い浮かべるとすなわち他者なのである。自己が他者になりきりということはありえない。すなわち自己が他者を思い浮かべた時に他者になるのである。それは自己と他者の二重化なのである。

 それに対して自己の理想と自己の本来の姿の二重化もあるのである。この自己の理想化の中には、他者に対してのあこがれや魅力というものが他者を思い浮かべて、他者を理想化した自己の理想像なのではなかろうか。そして自己はこうあるべきだという自己の理想の像が本来の自己と離れているが故に、かけ離れた存在になって来て自己の理想と自己の乖離が始まるのであろう。それは観念と現実という思想の用語におきかえてもよいのではなかろうか。意識の中の意識の理想すなわちイデアや理念なのではなかろうか。これはあくまでも仮説です。

第2報告

個体名と言語の流れ

金原 克範

(1)主な女子中高生向け雑誌の誌面構成を調べてみたところ、雑誌に対する情報の入口はライター/ 編集部を除いたとき協力店/協力読者の2ヶ所が存在し、この2つには負の相関があることが示された。

(2)雑誌読者の個体名をプレゼント当選者の名簿を利用して調べたところ、協力店の多い側の雑誌に おいては保守的な個体名(具体的には“子”の付く名前)の比率が高く、読者協力の多い側の雑 誌においては革新的な個体名(具体的には“子”の付かない名前)の比率が高いということが推 定された。

(3)これらの雑誌と読者の間においては読者は誌面の維持の為に協力店からの商品を購入(=協力店の維持)もしくは雑誌に対しての投稿(読者面の維持)などの行為を行なうことが要求され/もしくは要求されなくても行い、ここに言語≒行為の循環過程が生じていると考察される。各雑誌 における言語の流れに加わっている読者集団は雑誌によって別のものであるということが推測され、また読者がメディアによってドライヴされる方向は購読する雑誌によって別であるということが推測された。

(4)個体名は個体の誕生時において親個体の主観(=思考様式)により決定され、以後は当個体の主観に係わらず“凍結”され保存される。子個体がメディアによってドライヴされる方向は親個体に対するマスメディアの影響のもとにある程度決定されているものと考察される。

第3報告

公共性・メディア・ネットワーク
―ハーバーマスとネットワーキング―

干川 剛史 (徳島大学)

 本報告においては、J・ハーバーマスの公共性とコミュニケーションに関する理論と、近年の情報社会論を手がかりにして、メディアを媒介にしたネットワーキングによる自律的な公共性形成の可能性を考察してみたい。

 そのために、まず、1.初期の近代社会において、活字メディアを媒介にしたコミュニケーションの様式が、いかに自律的な意見形成の場としての公共性を形成し、社会全体にかかわる意思決定過程に影響を及ぼしていたのかをとりあげ、次に、マス・メディアの発展による公共性の構造転換過程をたどる。そして、2.この過程において失われていった公共性の自律性が回復しうるのかどうかを、生活世界の植民地化に対する抵抗の潜在力の担い手としての「新しい社会運動」との関連から考える。その際に、3.新しい社会運動の様々なメディアを媒介にしたネットワーキングに着目し、情報化社会の特質をとらえながら、この社会環境における新しい社会運動の展開過程を分析する。さらに、4.人々の間で相互批判を通じた納得のいく意見形成を可能にする「批判的公開性」の保持が、自律的な公共性の形成のために必要であることを明らかにし、また、それを可能にするためには、様々な人々の間での関係形成・相互批判的意見形成過程であるネットワーキングが、どのようなルールに基づいて展開されるべきかを考察したい。

第4報告

クラッシック若手演奏家のキャリア形成の一考察
―文化のパトロネージと関連させて―

上村 敏文 (星美学園短期大学)

 「文化のパトロネージ」すなわち国家、企業等による文化の経済支援について考慮する。何故に支援が必要であるのか。1964年アメリカの経済学者ボウモルとボーエンによる「芸術活動の低い生産性と民間営利事業としての採算性確保の困難さ」という指摘が全部と言わないまでも多くを語っている。耳目を集めたサントリーホールも年間約10億円もの赤字を計上していることからも効率性は良い産業分野と言い難い。ここで考察を試みる内容はもっとミクロの視点、すなわちクラッシック演奏家(特に若手)の個々の立場を分析する。音楽大学を卒業した後、大半が演奏家としての道を捨てざるを得ない現実を「文化とのパトロネージ」との関連において、特に80年代発展したかのように見えてはいるが、その実、特にクラッシックの分野において若手演奏家のキャリア形成にまで還元されていない点について触れてみたい。華々しいコンクール歴もなく、留学体験もない一般的大多数の演奏家が経済的に自立しつつ演奏活動を行なうケースはごく稀であると言って良い。大半は(1)技術の向上(2)経済的負担の二重苦に悩まされ、多くは演奏活動から離脱し音楽教育(悪く言えば音楽を売る)方に足が向いてしまう。音楽的技術向上は演奏家の当然の使命としても経済問題は切実なものがある。いくつかの事例研究を通して日本の音楽をとりまく環境、欧米のパトロネージとの比較においてキャリア形成の現状分析を試みたい。

第5報告

現代メディア文化に関する一考察
―マス・コミュニケーション・プロセスにおける受け手の対抗文化構築のための試論―

前田 益尚 (成城大学)

 本報告は、マス・コミュニケーション研究における送り手志向の効果概念の下、一元的に論じられがちであった従来の「受け手論」に対して、特に現代メディア文化の諸現象を鑑みた上で、受け手の受容プロセスの位相多元化を志向するものである。またそれによって自律的受け手像の開示、自律的受け手文化構築の可能性を探求してゆきたい。

 唯、これはあくまでもマス・コミュニケーション・プロセスにおける送り手に対して受け手が果たし得る戦略的「対抗文化」試論であり、所謂大衆文化論の文脈にあるカウンター・カルチャー研究とは、そのアプローチに差異が生じることを付記しておく。つまり本報告は、送り手のメッセージに対する受け手の受容スタイルの位相変動を表層メディア現象に照らして類型化し、それを端緒に受け手の自律性(autonomy)獲得への試論を提出しようとするものである。

 更に私見ながら、自律的受け手像開示の地平に、分断されたかに見える送り手においての自律性(autonomy)の行方と、厳然として上意下達の情報流通システムを維持している現行のマス・コミュニケーション・プロセスの中で、送り手/受け手の関係性はいかにして紡ぎ紡がれ得るのか、検討を加えてみたい。

報告概要

宮内 正 (早稲田大学・関東学院大学)

 この部会では、コミュニケーション、自己、メディア、文化をめぐって5本の報告があった。

 金原克範氏の「個体名と言語の流れ」は、人の名前(個体名)という情報に注目し、青少年と雑誌との係わりの分析をつうじて、彼らのコミュニケーションパターンの変化を明らかにする。実際、女子中学生向け雑誌のプレゼント当選者名簿を調査すると、「子」のつく「保守的」な名前の者は「投稿を促す雑誌」を読む傾向が見られ、この傾向は雑誌によって駆り立てられる読者の行動パターンが、親の影響を受けていると同時に、しだいに投稿や告白というメディア内在的なものに変化していることを示しているという。

 こうした傾向を彼らの情報受容性の減少と捉えようとする金原氏に対して、前田益尚(成城大学)は「現代メディア文化に関する一考察――マス・コミュニケーション・プロセスにおける受け手の対抗文化構築のための試論――」という報告の中で、むしろ積極的かつ戦略的に,現代のメディア文化における多様な「表層現象」の考察をもとに「受け手」の受容プロセスの多元化(位相変動)に、受け手の自律的な対抗文化(「積極的ニヒリズム」)の可能性を探ろうとする。

 また、理論的な背景は異なるものの、同様のテーマを社会運動論の文脈から考察する干川剛史氏(徳島大学)は、「公共性・メディア・ネットワーク――ハーバーマスとネットワーキング――」という報告において、情報化社会におけるマスメディアの発展とともに失われた自立的公共性の回復の可能性を、「新しい社会運動」のネットワーキング、とりわけコンピューター・ネットワークを利用した市民のネットワーキング(「市民フォーラム」)に見出し、その実践的な活動方針を提案する。

 他方、上村敏文氏(星美学園短期大学)は、「クラシック若手演奏家のキャリア形成の一考察――文化のパトロネージと関連させて――」という報告において、企業の側からの経済的な文化支援の現状を分析する。演奏家のキャリア形成過程における収支決算の詳細なレベルにおいてはきわめて不十分なものであったという実態を明らかにするとともに、演奏活動(さらには芸術活動全般)の経済的自立の困難さを指摘する。

 江川茂氏(茨城県立コロニーあすなろ)の「自己と他者の仮象論について」と題する報告は、上述の報告とはやや文脈が異なるものの、近代人の疎外という視点から、機械化の進行する近代社会において経験される「理想化された自己」やその「意識」とは「本来の自己」からかい離した「他者(化)的な存在」であるとの前提に立ち、近代人が直面している危機的状況とは「他者化」、すなわち「自己の自己からの疎外」の減少にほかならないという。

 以上5本の報告をつうじて、いわば現代の情報化社会の現状認識については概ね意見の一致を見たように思われるが、新たな対抗文化、自律的公共性の構築、文化活動の経済的自立の可能性をめぐっては、積極的に評価するか否かで意見が分かれ、報告者とフロアーとのあいだで活発な討論が展開された。盛会であった。

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