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年次大会
大会報告:第48回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第6部会)

第6部会:近代日本の歴史社会学  6/11 10:00〜12:30 [1209教室]

司会:藤田 弘夫 (慶応義塾大学)
1. 「共同体」概念のメタファー分析 黒岩 祥太 (慶応義塾大学)
2. 「日本ニュース」に描かれた昭和天皇像
――戦時中のニュース映画とナショナリズム
原 麻里子 (慶應義塾大学)
3. 日本植民地時代台湾における「青年」言説 宮崎 聖子 (お茶の水女子大学)

報告概要 藤田 弘夫 (慶応義塾大学)
第1報告

「共同体」概念のメタファー分析

黒岩 祥太 (慶応義塾大学)

 本研究ではまず、「国家」や「社会」といった共同体を言説と意味づけによって生成される観念対象と仮定した。その上で、言説分析の理論と、簡潔に言えば抽象的な概念はより具体的な概念のメタファーによって認識されるとする認知意味論の理論とを応用して方法論を構成した。そしてこれら意味的生成物としての共同体概念がどのような言説とメタファーを通じて構成され、かつ変化してきたのかについて言説・概念分析を行った。

 具体的には中学公民科の教科書を事例とし、戦前から戦後にかけてそのテクスト中で「国家」「社会」「家族」等の「共同体」についての言説がどのように構成され、その他の概念と関連づけられてきたのかをテクスト分析した。またその結果を、それをとりまく教育的・社会的なコンテクストとの対応関係から考察した。

 結果としては、戦前では「国家」や「社会」などを先験的・実在的な存在物として扱うことで、一方戦後にはこれらを環境化・空間化してしまうことで、どちらの場合も共同体自体の根拠づけや性格づけがほとんどなされていないこと等が明らかになっている。特に戦後の教科書では社会的世界と生活世界の言説上の分化もみられた。

 これらの結果から、我々が自身の日常経験的な概念のメタファーを自覚的に用いて「共同体」の物語を構成すること、その意味空間を鍛えていくこと等の重要性が考察された。

第2報告

「日本ニュース」に描かれた昭和天皇像
――戦時中のニュース映画とナショナリズム

原 麻里子 (慶應義塾大学)

 第二次世界大戦中、日本政府は唯一のニュース映画「日本ニュース」シリーズ(1940−45)を用いて、戦争目的のためにナショナリズムを鼓舞しようとした。当時のナショナル・アイデンティティーは国体という言葉で表現される。「国体」の定義は明確にはされてはいなかったが、その目に見える究極のシンボルは天皇であった。今回の報告では、ニュース映画に描かれた天皇とそのシンボル(君が代、日の丸、神社など)を社会人類学的に分析することによって、政府がいかにナショナリズムを描こうとし、国民の志気を昂揚しようとしたのかを見ていく。天皇像については、その伝統的イメージ、創られた伝統としての近代天皇制と国家神道、元帥としての天皇像の描き方の三点から、錦絵や御真影などに描かれた明治天皇像の例を引きながら分析を行う。

 今回の分析対象は天皇像に絞るが、「日本ニュース」のニュース項目は実に幅広い。しかし、天皇によって象徴された国体がニュース映画全体に「執拗低音」のように響き、日本人の生活はすべて国体の中にあることがニュースの中で示されている。国体が正に社会をまとめる力であった。このようにニュース映画に描かれた天皇とそのシンボルを検討することで、「日本ニュース」は単純なプロパガンダ装置ではなく、日本を共通の敵に対する「想像の共同体」に作り上げていったことが明らかになった。

第3報告

日本植民地時代台湾における「青年」言説

宮崎 聖子 (お茶の水女子大学)

 台湾は1895年から1945年にかけて、日本の植民地下におかれた。近年、植民地といわゆる「近代化」の関連についての研究が進んでいるが、当時の台湾の社会状況に関する研究は、まだ十分な蓄積がなく、また「近代化」のもたらした影響は被統治者であった台湾の人々にとっても一様ではない。報告者は「青年」言説が近代化と密接な関係にあったとの認識に立ち、エスニシティ、クラス、ジェンダーに着目した研究を目指している。

 その一環として、本報告では、台湾において「青年」言説がみられた初期、すなわち 1920−30年頃の状況を報告する。「青年」言説の分析の対象としたのは、二つの雑誌である。一つは台湾人の民族自決を求めるエリートが発行していた『台湾青年』(後に日刊へ)、もう一つは台湾教育会発行で教育者を読者に持っていた『台湾教育』である。

 まず、二つの雑誌にみられる「青年」の含意について分析し、次に「青年」言説をめぐる背景について述べる。1920-30年頃において、裕福な家庭出身で高等教育を受けた者の一部が「青年」を名乗り、台湾人による自治を当局に求める一方、公学校(小学校にあたるもの)卒業後進学しなかった者は、地方有力者や政府によって統治システムに適合するような「青年」であることが期待された。その際、台湾人の自治を目指すエリートと地元有力者との間で、「青年」の争奪も起きていた。この時代の「青年」とはほとんどの場合、男性であった。

報告概要

藤田 弘夫 (慶応義塾大学)

「共同体」概念のメタファ−分析   黒岩祥太(慶応義塾大学)
「日本ニュ−ス」に描かれた昭和天皇−戦争中のニュ−ス映画とナショナリズム   原麻里子(慶応義塾大学)
日本植民地時代台湾における「青年」言説  宮崎聖子(お茶の水女子大学)

 第一報告は、当日、発表題目が「社会学方法論とメタファ−分析」に変更された。発表はまず、言説とメタファ−による対象の構成方法が示され、マクロな社会的対象は主として言説やその言説の解釈を通じて構成されていくものであるとの見解を方法的前提として提示する。次に、こうした観点から、各種公民科の教科書にみられる「社会」に関する言説をとりあげ、社会の概念の用例が分析される。そこで社会概念の見取り図として提示されたものは、興味深いものであった。この図のさらなる精緻な分析が急がれるとともに、それを最初に提示した方法論との関連で、どのように展開していくのかが課題となろう。その際、戦前の教科書と戦後の教科書を資料にするには、多くの検討が必要である。この点、一層の資料批判が要求される。そのことは、報告が既存の研究成果との関係を問えなかっこととも関連している。

 第二報告は、日本ニュ−ス映画に描かれた天皇とそのシンボルの社会人類学的分析である。最近、森首相の「国体」発言で話題になったが、国体の象徴としての天皇を演出するニュ−ス映画の分析である。最近はフィルムライブラリ−の整備やビデオの収集で、これまでアプロ−チしづらかった映像資料の利用が容易になってきた。報告者は、 B.アンダーソンの『想像の共同体』やE.ホブスボ−ムの『創られた伝統』の議論に絡ませながら、国体の演出に関する議論を展開した。報告からはフィルム資料を丹念に分析していった様子が伺えた。とはいえ、報告は資料的発見から議論を展開したというより、既存の知識をフィルムで確認したにとどまった。映像資料の本格的な研究はまだはじまったばかりである。映像資料の地道な分析から、伝承や活字資料では見過ごされていた新しい知見が期待される。

 第三報告は1920−1930年の雑誌『台湾青年』『台湾』『台湾民報』に見られる〈青年〉に関する言説分析である。報告者は近代化のなかで揺れ動く日本の統治下の台湾で、青年のことばに託したさまざまな集団の思惑を探っていく。そしてここで用いられている青年は、社会状況や指導者たちの方針により、その重点をシフトさせつつも、エリ−トから労・農階級まで、日本人から中国人まで、男性から女性までを伸縮自在に包摂することを可能にさせつようなシンボルであったと主張する。しかし当時は日本でも台湾でも中国でも、西洋の翻訳語の定着で、ことばが急激にかわりつつあった。また、日本は、夏目漱石の『三四郎』やそれを意識した森鴎外の『青年』が大きな影響を与えていた。さらに本報告を先にあげた B.アンダ−ソンの植民地における青年に関する指摘と関連させれば、それを台湾にとどまらず、当時の植民地の状況のなかで展望できるだろう。

 学会報告も数が増えてくると、首をかしげたくなるような研究が多くなる。しかし本部会の報告は3本とも可能性に満ちており、さらなる研究の展開を期待させる。

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