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年次大会
大会報告:第48回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第8部会)

第8部会:地域コミュニティ  6/11 10:00〜12:30 [1211教室]

司会:小浜 ふみ子 (愛知大学)
1. 文化単位(cultural unit)とシーニュに関する一考察
――「谷中・根津・千駄木」界隈とそこで発行されているミニコミ誌を例に――
岡村 圭子 (中央大学)
2. マンション管理費値下げ運動に関る住民活動の研究 宮内 紀靖 (中国瀋陽師範学院)
3. 福祉社会における行政の役割
――ある住宅コミュニティを事例に
藤谷 忠昭 (東京都立大学)

報告概要 小浜 ふみ子 (愛知大学)
第1報告

文化単位(cultural unit)とシーニュに関する一考察
――「谷中・根津・千駄木」界隈とそこで発行されているミニコミ誌を例に――

岡村 圭子 (中央大学)

 地域文化が形成され、維持される要因としては、一般に以下の2点が考えられよう。まず、地形などの物理的条件、交通網・生活圏などの条件によるもの、つぎに、地域内部において、住民運動による争点など、共通関心があること(地域メディアがコミュニティ形成に関して大きな役割を果たす)である。

 本報告においては、さらに、名称(シーニュ)が付与されることをひとつの要因として指摘し、考察を加えたい。ここでは、地域文化の一例として、東京都台東区と文京区の区境に位置する谷中、根津、千駄木界隈、またそこで発行されている地域雑誌『谷中・根津・千駄木』をとりあげつつ、議論を展開してゆきたい。

 報告者は、前提として、「文化」を「われわれ」の一形態として扱い、異なるもの ―異文化―とのコミュニケーション過程のなかで、生起するものであると考える(すなわち、文化は、人類の発展段階の頂点に位置するものでもなければ、単に同質的な人々の集まりによる均質的な集合でもないと考えている)。
 そのような視座において中心的な論点となるのは、それぞれ異なった性質を持つエリア(「谷中」と「根津」と「千駄木」)が、ひとつの文化単位(「谷根千」という一地域文化)となり、それが維持されるプロセスである。したがって、本報告は、「地域」そのものの実証的研究、あるいは「地域メディア(ミニコミ)」の研究というよりもむしろ、文化の生成・維持のプロセスに注目し、それを理論的に整理しつつ仮説を提示するものである。

第2報告

マンション管理費値下げ運動に関る住民活動の研究

宮内 紀靖 (中国瀋陽師範学院)

 大都市中心地域の、Y市Y駅(JR等7線)前再開発事業(1994年完成)に拠って成立した、大規模商住混住団地における、マンション管理の質の劣悪さと管理費の異常に高額な事に因る、住民の値下げ運動に関する社会学的アプローチに拠る考察である。

 本考察は発表者単独による事例調査研究で、現地源泉としては非統制観察・参与観察と面接調査を併用したものであり、文献源泉も原資料と調査資料の第1次資料にあたった。

 異常の資料に基づき、管理組合員活動と、同一地域の自治会設立・活動の考察をおこない、集団・組織分析と役割分析をおこない、その上で地域構造分析をおこなった。

 調査期間は1998年秋より現在までの1年半である。調査の景気は、当該団地に居住を始めて 2年余になり、自治会設立運動に勧誘され、中心人物群の一員として参与した事にある。そのマンション管理費・駐車料の不平等な事と、駐車料・管理費等の異常な高額な事に研究者としての興味を引かれた。その上、自転車置き場に置いた3台中の2台が盗難に遭い、オートロックと管理人監視を免れて不審者がロビーのソファーで宿泊した事、近隣の部屋で住民が惨殺された事等の、管理の質の悪さも、調査・研究への意欲を喚起した。

 その結果、新旧住民の多様さと居住目的の差異による居住意識乖離等による、市の公社とその下請けの民間TC社の無責任管理体制が判明した。理想的な住民自治会活動は献身的な専従のリーダーと、住民融和と、共同目的無しには成立しない事が判明した。

第3報告

福祉社会における行政の役割
――ある住宅コミュニティを事例に

藤谷 忠昭 (東京都立大学)

 近年、行政の財政の行き詰まりも手伝って、福祉社会について議論されている。さまざまな批判があるとはいえ、急速に高齢化が進み、必ずしも行政の財政が明るくない現在、福祉を「社会」に一部、依存することも、ある程度、避けられない事態だろう。だが、仮に福祉社会が進展したとき、行政の役割は、「社会」を財政的にバックアップするという点だけにとどまるのだろうか。ここで、たとえばコミュニティが成員を排除する可能性があるという社会学的知見を思い起こしておきたい。この知見に従えば、福祉を完全に「社会」に依存させてしまうことは、コミュニティに排除された成員を福祉から切り離してしまう危険を残すだろう。そこで本報告では、ある共同住宅を事例として、この観点から福祉社会の議論において残された課題について考えてみたい。事例として取り上げる住宅は、高齢者、身体障害者を含む世帯が含まれた福祉社会をめざしたモデル的な公共住宅である。この住宅で、ある身体障害者が近隣とのトラブルから、物理的、精神的にその自治会から排除されるということが起こった。だが、現在もその障害者は、この住宅で暮らしている。そのことが可能であったのは、その自治体に存在する苦情に対する制度によってであった。この制度自体には、もちろん問題も多い。だが、その是非を検討することで、内部的に排除された個人の救済という、福祉社会において残された行政の役割のひとつが明らかになるように思われる。

報告概要

小浜 ふみ子 (愛知大学)

 本部会では、下記の3名の報告が行われた。

 1. 岡村圭子「文化単位(cultural unit)とシーニュに関する一考察――[谷中・根津・千駄木]界隈とそこで発行されているミニコミ誌を例に」
 2. 宮内紀靖「マンション管理費値下げ運動に関する住民活動の研究」
 3. 藤谷忠昭「福祉社会における行政の役割――ある住宅コミュニティを事例に」

 第一報告(岡村)は、地域雑誌「谷根千」をあげて、一個の「文化単位」が形成・維持される要因を社会情報学の立場で分析しようとした。その論点は、1)「谷根千」は、実体としての生活圏というよりはメディア(地域誌からマスメディアまで)によっていわば過剰なシーニュを与えられ、フイクションにリアリティが加えられ、外部世界と「差異化」・「分節化」された点を指摘し、2)メディアにより外部に拡散される遠心力の作用(例えば観光地化)というベクトルをもつが、同時に求心力をもたらすという「相補性」により、一定の生活圏の人々を「くくりつける」、「ヤネセン」として自己の町を言い表す住民自身の側の姿勢にかかわる「内部のヴエクトル」を強化してきたとする。だが、地域社会やコミュニティ研究者からは、地域文化=文化単位としての「谷・根・千」はどのようなパターンと内容の文化を培養・維持してきたのかという現実の把握にたいする疑問、また地域文化の分析という文脈において論者が用いた概念がなぜ必然とされるかなどに、疑問が提出された。

 第二報告(宮内)は、1)マンション管理の質をめぐる住民運動の約1年半にわたる参与観察による事例研究を行い、夥しい具体的資料を提示した。 2)管理費問題を契機とした住民運動の展開の流れ・マンション管理の一方の当事者―公社・管理組合、その背後の政治・官僚・経済構造、あるいは街区の構造・住民の多様性とそのソシオグラムによる選択関係・居住意識乖離などの複雑な絡み合いが分析された。3)最後に管理組合に批判的に対抗する「住民運動」として成立した自治会がなぜ最終的に「壊滅状態」に陥ったのかが問われた。だが、住民運動のひとつの挫折の社会学的意味の分析は次回の報告に期待されるとともに、逆にいかなる条件が住民運動の組織化と成功につながりうるのかについて、報告者の見解と、その現実の条件充足の可能性への判断を期待したい。

 第三報告(藤谷)は、1)現代の福祉社会は、コミュニテイと行政との関係、さらに福祉社会と市場社会との関連いかんに大きく左右されるというマクロな論点を、極めてミクロな具体的事例から追求する。2)事例はある公共住宅の身体障害者用のスロープの利用をめぐる近隣との感情的もつれから生じたトラブルであり、その解決をめぐる自治体の苦情審査会による仲裁を経てなお身体障害者の側の「孤立無援」が生じた過程が提示された。3)結論として、福祉のコミュニティへの依存は、そこから排除された成員を福祉からも切り離してしまう危険を強調する。この問題から、コミュニテイと自治体とのリンク機能をもつ審査会の構造、その自治体との関係、さらに進んで福祉社会における新たな社会的争点の登場という問題にまで接近する。だが、部会の性格からして、社会福祉の分野で重視されるノーマライゼーションへの言及、テーマ・コミュニティをバックアップする行政の機能的特化との関連、あるいはローカル・ミニマムを支える行政機能との関連などをめぐり、疑問が提出された。以上、いずれの報告も新鮮な問題提起と挑戦的な論点の開示がみられ、また報告時間はほぼ守られ、若手研究者の多数の参加を通じて、質疑応答は活発であった。だが、報告相互の関連は乏しく、部会としての統一性も乏しかったと言える。

 最後に、司会の立場から感想を述べれば、報告は知的刺激の交換の場であること、報告は社会学的共通言語によること、使用する概念の規定、分析枠組についての厳密性を維持すること、さらには過去の研究成果の徹底した動員と隣接領域における知見まで射程にいれる姿勢を示すこと、そして最後に報告タイトルと内容との一貫性が示されることが一層望まれるところと考える。

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