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年次大会
大会報告:第48回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会C)

テーマ部会C 「グローバリゼーションとナショナリティ」  6/11 14:00〜17:15 [1206教室]

司会者:矢沢 修次郎 (一橋大学)  長田 攻一(早稲田大学)
討論者:町村 敬志 (一橋大学)  伊藤 守 (早稲田大学)

部会趣旨 長田 攻一(早稲田大学)
第1報告: グローバリゼーションの経済的展開
――グローバリゼーションの政治経済学にむけて
伊豫谷 登士翁 (一橋大学)
第2報告: グローバリゼーションと国際政治システムの変容
――理論的問題を中心に
遠藤 誠治 (成蹊大学)
第3報告: 文化的グローバリゼーションと東京インフォミドル 川崎 賢一 (駒澤大学)

報告概要 長田 攻一(早稲田大学)
部会趣旨

長田 攻一(早稲田大学)

 技術の発展により国民国家の枠を超えて交通・通信のネットワーク化が進み、財、資本、人、思想、情報の流通が世界規模で活発化する過程をグローバリゼーションと呼ぶならば、これまでどちらかといえばそれらの現象が国民国家の枠を突き崩していく側面に議論の焦点が集まっていたが、最近では、現実にはそれらが国民国家の枠を再生産したり、その枠を媒介として進展していく側面にも注目が集まるようになっている。さらには、研究者の認識枠組みとして無意識のうちにナショナルな枠が前提となっていることがあり、それがグローバリゼーションという現象の認識を歪めている可能性があることも指摘されている。4月8日に行われた研究例会においても、参加者の議論のかなりの部分は、グローバリゼーションをめぐる広い意味での「ナショナリティ」の問題に集中した。

 そこでグローバリゼーション部会では、大会テーマ部会においては、研究例会においても議論の中心に置かれた「ナショナルなもの」とグローバリゼーションとの関係を議論の焦点に据えて、経済学、政治学、社会学のそれぞれ異なる分野の研究者からご報告をいただき、現時点でのグローバリゼーションの問題において、政治学、経済学、社会学という異なる専門分野の研究者たちが何を共通のテーマとして議論すべきか、またそれを通して社会学はグローバリゼーションをめぐる問題に対してどのようにアプローチしていくべきか、あるいは逆にグローバリゼーションを前にして社会学は自らのあり方をどのように見直していく必要があるのか、といった点について議論できれば幸いであると考えている。

 大会当日(6/11)の報告者として、伊豫谷登士翁(一橋大学)、遠藤誠治(成蹊大学)、川崎賢一(駒澤大学)の3名の方を予定しており、町村敬志(一橋大学)、伊藤守(早稲田大学)のお二人にコメンテーターをお願いしている。司会は、矢澤修次郎(一橋大学)、長田攻一(早稲田大学)の予定である。

第1報告

グローバリゼーションの経済的展開
――グローバリゼーションの政治経済学にむけて

伊豫谷 登士翁 (一橋大学)

 用語としてのグローバリゼーションは、近代の世界的な統合化と差異化の過程を意味するとともに、現代世界を切り取るキーワードである。グローバリゼーション研究という分野があるとするならば、そこでの課題は、政治経済や文化などの分野で進行するグローバルな統合化と差異化を明らかにするとともに、既存の国民国家を所与としてきた社会科学の前提を問い直す作業である。本報告では、生存維持経済の解体、再生産領域の市場化、個の監視と管理、戦争のゲーム化などとして表れてきている近年のグローバリゼーションを経済の分野から検討したい。

 現代のグローバリゼーションの経済過程を押し進めているのは、資本の新たな蓄積メカニズムである。巨大多国籍企業、24時間の国際金融市場、法律・会計事業、企業者サービス、巨大メディア、娯楽産業など国境を越えて世界市場を場として活動するさまざまな企業体を、ここでは「グローバル資本」と名付ける。グローバル資本の特徴は、たんに企業活動の巨大化や越境化にのみあるのではない。巨大な資本力と越境的な活動、並びにコンピュータや通信技術の発達による資本の空間的/時間的制約条件の縮減を前提として、グローバル資本は、資本の固定化や国家領域といった制約から資本の可動性の自由度を回復し、資本の新しい蓄積基盤を創りだした。端的に言えば、グローバリゼーションの時代における資本の新たな蓄積メカニズムは、資本のフレキシビリティの回復あるいは経済の金融化にある、と言える。

 グローバリゼーション経済過程は、ナショナルな領域の内部で展開し、国家の法や制度だけではなく、ナショナルに編成されてきた労働市場ならびに人々の生活を含めた脱国家化と再国家化として表れてきている。グローバリゼーション研究の課題は、新たな蓄積メカニズムの下で進行する差異化と統合化を明らかにすることにある。

第2報告

グローバリゼーションと国際政治システムの変容
――理論的問題を中心に

遠藤 誠治 (成蹊大学)

 本報告では、国際政治学および政治学が、グローバリゼーションをどのような歴史的視座から、どのような問題として理解してきたのか(あるいは無視ないしは軽視してきたのか)、国際政治学におけるグローバリゼーションに関する論争はどのように展開しているのかを、理論的な問題に焦点を絞って紹介する。

 1970年代以来、経済活動は国境にかかわりなくグローバルに展開するようになったが、政治は依然として領域国家を基本的単位として構成されているという主張が聞かれるようになった。このような事実認識自体が論争的であるが、主権をもつ国家の上位に立つ権力体が存在しないという「現実」の下で、政治という営みはどのような形でグローバリゼーションと関わっているのであろうか。この問いに対して、本報告では、領域国家と主権国家体系を通じた世界の秩序化の限界という問題意識を基軸として議論を展開していく。その際、グローバリゼーションは国家および国家システムに何らかの根本的な変容をもたらしているのか、もしそうだとしたら、どのような意味で変容が見られるのか、どのような力がその変容過程を推し進めているのか、力の所在や態様が変容しているのだとすると、新しい世界秩序はどのような姿をとるのか、その世界秩序は民主主義の政治原理と両立可能なものなのか、などの論点を検討していく予定である。

 社会科学のあらゆる分野でそうであるように、国際政治学や政治学においても、グローバリゼーションに関する認識や評価は多様で分裂している。これを要約的に整理して紹介するのは容易ではないが、本報告では「解答」を呈示するのではなく、「論点」の整理を通じて、グローバリゼーションと政治の関係を立体的に理解するためのアプローチ方法を模索してみたい。

第3報告

文化的グローバリゼーションと東京インフォミドル

川崎 賢一 (駒澤大学)

 本報告の目的は、グローバリゼーション(globalization)に関して、東京文化を例にとって、文化社会学的観点から接近することである。その具体的内容は、大きく3つに分かれる。第一に、グローバリゼーションを社会学的に論じる意義についてである。グローバリゼーションは、社会システム全体に関わる、複合的過程であるが、様々な角度からアプローチ(国際政治学・国際経済学・国際法学・人類学など)できる。社会学は、それらの中にあって、その特性を発揮できるのは、フォーマルな分析と同時にインフォーマルな分析をその中心においている点である。特に、社会階層・文化階層の観点、国際社会移動、エスニシティ・ジェンダーの観点、文化的アイデンティティの観点、等をあげることが出来る。ここでは、特に文化階層や文化的アイデンティティを取り上げる。

 第二に、グローバリゼーションは、分析的にいくつかのレベルに分けることにより、よりその分析に正確さを増すことが出来る。そのレベルは、経済的・政治的・文化的、の3つである。本報告では、これらのうち、特に、文化的グローバリゼーションについて詳しく説明する。

 第三に、東京文化を例に出して、特に、文化産業や情報産業を中心とした、新しい社会階層・文化階層に着目し、彼らを、〈東京・インフォメーション・ミドル(略して東京インフォミドル)〉と呼び、彼らの特色、従来のナショナル文化あるいはナショナル文化的アイデンティティとどう異なるのか、その可能性と限界を検証してみたい。

報告概要

長田 攻一(早稲田大学)

 本テーマ部会では、経済学、政治学、社会学の各分野の研究者に、グローバリゼーションが社会科学一般の認識枠組みにどのような見直しを迫るのかについてそれぞれの立場から問題提起していただき、現在もっとも重要な争点の一つである広い意味での「ナショナリティ」とグローバリゼーションとの関連を問題にすることによって、相互の議論の接点を見出すとともにグローバリゼーションの理解を深めることを狙いとした。

 まず、経済学の分野から伊豫谷登士翁氏(一橋大学)は、「グローバル資本」の蓄積メカニズムは、モノの生産から記号生産への移行に伴い、帝国主義の段階を超えて、資本が従来の国家規制から解放されて柔軟性を回復する一方、国民国家の枠組みによって賃金格差を維持し労働力再生産自体を市場化する形でナショナルな枠組みを再編しつつ世界的統合化を推し進めてきているとする。そしてかかるグロ−バリゼーションに対して、ナショナリズムの陥穽に陥らずに対抗していく視点を模索する必要があるとした。

}  つづいて遠藤誠治氏(成蹊大学)は、近代国家を主権とする国際政治秩序システムを前提としてきた従来の政治学は、いまだにグローバリゼーションを扱う枠組みをもつに至っていないとし、国民国家の内部と外部の分断の中で処理されてきた民主主義、公共性、暴力の問題などを、新しい世界秩序の観点から見直していく必要性を訴えた。それには、ナショナルなものとグローバルなものがゼロサム関係にあるとする発想を見直していくことと、現場を拠点とするカウンター・グローバリゼーションの立場が重要であるとした。

 最後に社会学の立場から川崎賢一氏(駒澤大学)が、グローバリゼーションは、社会学にとって、階層、エスニシティ、ジェンダーなど独自の分析対象を有し、他の社会科学と相補的な分析が可能であるとしたうえで、文化的グローバリゼーションの面から国際都市東京における新たな階層化の動きに注目し、インフォデバイド、ファインアートカルチャーとポピュラーカルチャー、伝統文化と国際文化、多文化主義などの狭間で、それらを媒介し調整する「東京インフォミドル」階層の登場と今後の可能性について言及した。

 コメンテーターの町村敬志氏(一橋大学)からは、労働力再生産の具体的な場はいかに形成されるのか、新たな領域化はいかなる主権概念を伴うのか、またナショナリズムに回収されずにグローバリズムへの対抗的基盤はいかにして成立するのか、また伊藤守氏(早稲田大学)からは、資本蓄積の新しいメカニズムとしての記号生産は、多様なレベルの領域化との関係でどのように行われうるのか、自由化の後に生じる新たな規制化は国家の枠組みといかなる関係に置かれるのか、東京インフォミドルの文化的無臭性はいかなる政治的、文化的、歴史的文脈において語られるのか、といった疑問が提示された。またフロアからも、国民国家の枠組みと新たなレベルの領域化および空間の再編成、国民国家の枠組みを超えた公共性の可能性など、その他さまざまな論点が出された。

 全体として、グローバリゼーションの過程のなかで、国民国家の枠組みばかりでなくさまざまなレベルの領域化が生成しつつあることが指摘されたように思うが、それらとの関係のなかで国民国家の枠組みがどのような作用を果たすのかについて、具体的な現象を詳細に分析をしていく必要があることが印象づけられた。また、社会学の認識枠組みの見直しという論点は今回の議論の中では充分に論及されずに終わった観があるが、司会者矢澤修次郎氏(一橋大学)のコメントにあったように、政治学や経済学との関連の中でリフレクシヴに社会学そのものの依拠する足場を見直していくためのヒントは与えられたように思う。その意味でも、隣接社会科学との相互交流の機会を重ねていくことの重要性を改めて認識させられた。

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