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年次大会
大会報告:第50回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第5部会)

第5部会:医療・健康の歴史社会学  6/1 10:30〜13:00 [社会学部A棟405教室]

司会:柘植 あづみ (明治学院大学)
1. 近代日本におけるトラホームの問題化過程
−明治30年代から大正8年「トラホーム予防法」制定まで−
宝月 理恵 (お茶の水女子大学)
2. 近代日本の「健康法」における「ハラ呼吸法」の生成と迷走
−身体の「中心」をめぐって
加藤 徹郎 (法政大学)
3. 専門職集団に見る専門職化の過程と達成期における対外活動について
−日本における大正期の歯科衛生運動と現在の「8020運動」を対照として
押小路 忠昭 (明治学院大学)

報告概要 柘植 あづみ (明治学院大学)
第1報告

近代日本におけるトラホームの問題化過程
−明治30年代から大正8年「トラホーム予防法」制定まで−

宝月 理恵 (お茶の水女子大学)

 結膜疾患「トラホーム」は、明治後期から昭和前期にかけて「国民病」として認識された慢性伝染病である。従来の衛生制度史においては、相当な蔓延に苦慮した政府が対応策を講じることにより、次第に患者数が減少したととらえられてきた。

 本稿は医療専門職従事者=眼科医を中心としてトラホーム予防キャンペーンが繰り広げられた点に注目し、社会構築主義の観点から、明治30年代以降、彼らの言説実践によってトラホームが社会問題として構築されていく過程を考察するものである。具体的には、第一にトラホームを問題化するさいのレトリックを眼科医のトラホーム言説から明らかにする。第二にトラホームの校内治療に対する眼科医の抗議運動を素材として、トラホームは社会問題として認知されその対応策が練られていったが、眼科医の治療者としての排他的な権限は確立されなかったことを明らかにする。

 富国強兵という近代国家の目標を実現するうえでの障害となったトラホームは、国家の社会問題として措定され、一医療専門職の利害関係を超えた枠組みで処理されるべき対象となった。国家レベルの問題となるということは、国益追求という側面が重視されるためにさまざまな集団の関与の対象となることを意味し、必然的に眼科医の利害を超えていくことだったからである。病の社会問題化は医療専門職の利害関係の枠組みにおいてだけではなく、社会的・時空的な文脈の中でとらえる必要があることをトラホームの事例は示している。

第2報告

近代日本の「健康法」における「ハラ呼吸法」の生成と迷走
−身体の「中心」をめぐって

加藤 徹郎 (法政大学)

 本報告は近代日本の「健康法」の歴史、特に第2次世界大戦以前に一般に流行した「ハラ呼吸法」による「健康法」の歴史を追うことで、日本人の身体文化について考察するものである。「ハラ呼吸法」とは、具体的には腹部の筋肉を使用し横隔膜呼吸をすることで、ハラ(腹・肚)を膨らまし臍下丹田を養うというものである。

 わが国で「健康」という概念は、明治初期、近代西洋医学的な背景を持つものとして導入されたが、次第にこの概念は通俗化し、明治後期になると「養生」論や民間療法などと折衷した形で「健康法」がブームとなる。そうした中、本報告が取り上げる「ハラ呼吸法」は戦前の「健康法」のなかで中心的な位置を占めることとなる。報告では以上のような経緯を踏まえた上で、当時「ハラ呼吸法」の代表的な指導者であった岡田虎二郎・川合春充・藤田霊斎の3人を取り上げ、戦前においてこの「健康法」が一般に支持された意味を考察していきたい。これらの人物における活動のハイライトは、それぞれ明治後期、大正期、昭和初期に対応しているが、本報告はそこにおけるそれぞれの人物の著作や実践を順に参照しながら、わが国の近代初期において、近代という時代が理想とする頭脳を中心とした身体観と、土着的な生活習慣の中でつちかわれてきたハラを中心とした身体観との間における、2つの身体観のせめぎ合いや、後者が前者に取り込まれていく過程を描き出すものである。併せて、日本の身体文化において、ハラが何故身体の中心として考えられていたのか、検討する。

第3報告

専門職集団に見る専門職化の過程と達成期における対外活動について
−日本における大正期の歯科衛生運動と現在の「8020運動」を対照として

押小路 忠昭 (明治学院大学)

 専門職(プロフェッショナル)研究は米国における20世紀初頭の「専門職の定義付け」を試みた一連の研究に始まっている。1950年代T.パーソンズによって機能主義的立場から,専門職の社会における役割、機能を統合的に説明するモデルが提示された。そしてそ1960年代以降になるとT.パーソンズ批判と照応する形で専門職の特権や専門的知識の占有に対して疑義を申し立てる一連の流れが起こっている。

 さらに1980年代以降になると、これら北米型専門職モデルに対する異議申し立てが,欧州を中心として起こるようになり,地域的な個別性を考慮する実証的な研究の必要性が喚起される現状となっている。

 本報告においては,非北米における,特定の時代そして地理的状況において職業が専門職化を目指す過程においてその組織活動がどのような諸相をもって展開するか,またそれは当の専門職組織およびその社会的環境のどのような要請によって引き起こされたものであるかを考察する。

 題材としては日本における歯科医師の専門職化の過程に注視し,主に大正時代に展開された歯科医による一連の歯科衛生啓蒙運動と,専門職化を達成した今日展開しつつある「8020運動」(80歳になっても歯を20本残す事を目標とする運動)とを比較する。この作業を通じて日本の専門職化の過程と北米型専門職モデルとの違いを明らかにしたいと考える。

報告概要

柘植 あづみ (明治学院大学)

 本部会では、1)宝月理恵「近代日本におけるトラホームの問題化過程―明治30年代から大正8年『トラホーム予防法』制定までー」、2)加藤徹郎「近代日本の『健康法』における『ハラ呼吸法』の生成と迷走―身体の『中心』をめぐって」、3)押小路忠昭「専門職集団に見る専門職化の過程と達成期における対外活動についてー日本における大正期の歯科衛生運動と現在の『8020運動』を対照として」の3本の報告があった。

 宝月報告は、トラホームは「無教育未開化」における貧者の病気であり、罹患によって失明者が増えるために国家の費用負担が増大し、個人は不幸になるという言説を眼科医が用いて社会問題化したこと、その結果、国家にトラホーム対策の重要性が認識されて「予防法」が制定されたが、眼科医の権限拡大にはつながらなかったことを指摘した。  

 加藤報告は、明治後期から第2次世界大戦前までに流行した「ハラ呼吸法」が、近代医学が医療・健康の領域に浸透する時期に流行した理由について、日本人のハラを中心とする身体感覚の連続性、「ハラ呼吸法」自体が「近代医学的健康法」へと移行したこと、近代化過程で脳を中心とする心身二元論へと身体観が変容していくことに対する民衆の抵抗ともみなせることなどを指摘した。

 押小路報告は、まず大正期において歯科医師が医師とは異なる専門職化過程を辿ったことを説明し、次に歯科医師会が歯科衛生の重要性を行政に訴え、学校保健と結びつき、企業の協力を得て大衆への啓蒙運動をすすめることによって、近代の保健衛生の重要な一角として位置付けられるようになった経緯を指摘した。

 これらの報告に対して、民間療法と西洋近代医学の相克、当時の民衆の病いや身体に関する観念、学校教育を通して近代医学的身体観・健康観を浸透させようとする国家の試みに民衆の側はどのように対処したのか、などについての興味深い質疑応答が行われた。

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