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年次大会
大会報告:第50回大会 (報告要旨・報告概要:第50回大会記念部会)

第50回大会記念部会 
「社会的アクターの現代像と社会学理論」−ジェンダー、エスニシティ、エイジング−
 6/1 14:00〜17:15 [社会学部B棟201教室]

司会者:天野 正子 (お茶の水女子大学)  佐藤 健二 (東京大学)
討論者:池岡 義孝 (早稲田大学)  樋口 直人 (徳島大学)

部会趣旨 宮島 喬 (立教大学)
第1報告: ジェンダーの主題化と行為理論 江原 由美子 (東京都立大学)
第2報告: 「業績主義社会のなかの属性主義」・20年後の再検討
−エスニシティを中心に−
梶田 孝道 (一橋大学)
第3報告: エイジング研究と社会学理論の結節点 木下 康仁 (立教大学)

報告概要 宮島 喬 (立教大学)
部会趣旨

宮島 喬 (立教大学)

 過去10年間ほどの社学研究のパラダイムの変化を大きく捉えると、社会構造の現代化(脱工業化、グローバル化、高齢化など)を反映し、新たな社会的アクターへの関心、注目が生じている。それは、ジェンダーとしての女性−男性、エスニックな行為者、そして高齢者である。これらは今日的社会問題と結びついてきわめてリアリティに富む行為者像として現れており、今後も多くの研究者の関心を引き続けるものと思われる。そして、そこには従来的な近代主義社会学のパラダイムと不連続で、かつそれを根本から問い直すような重要な要素が孕まれているように思われる。それは例えば次のような点であろう。

 リントンからパーソンズにかけて行為の近代的評価基準の明白な特徴として言われた「属性(アスクリプション)から業績(アチーヴメント)へ」は、はたして妥当するのか。属性による差別が生きている事実としてこそ、ジェンダーやエスニシティへの研究者の関心が喚起されていないか。また高齢社会からの業績主義社会への問いも根本的なものがあろう。

 また、行為の場を対等な行為者間の自由で選択可能なフィールドとみなす行為論に対し、権力作用、市場化、社会的レイベリングなどの働く場として捉え直す必要が指摘されている。行為者たちのふるまう場が「序列化された秩序」として現れていることは、エスニック・マイノリティにとっても、女性にとっても、高齢者にとっても共通ではなかろうか。

 一方、功利主義的な行為論パラダイムが軽視してきた、<アイデンティティ>と行為の関連も大きなテーマであろう。行為者の自己定義(自分を何者と考えるか)が行為の仕方に与える影響の大きさを、ジェンダー研究もエイジングの社会学も強調している。さらに<アイデンティティ>が、エスニシティの重要な一構成要素なすことはいうまでもない。

 ややマクロの視点に立つと、社会の不平等システムの解明において、従来の階級・階層の視点からの分析に対し、ジェンダー、エスニシティ、エイジングの視点は独自の分析を提示しながら、補完的関係に立つように思われる。後者から捉えられる「不平等」は、トータルな社会的不平等にどのように関るのだろうか。

 私どもは関東社会学会大会・第50回大会を記念する部会として、以上のような諸イッシューを通して今後を展望する社会学理論のあり方を考える部会を構成することとした。報告者・討論者の方々の力強いまたユニークな議論とフロアの皆さんの問題関心とが強く共振することを願っている。

第1報告

ジェンダーの主題化と行為理論

江原 由美子 (東京都立大学)

 第二波フェミニズム運動の特徴の一つは、それが学問や知識にもたらした影響の大きさにあると言われるが、中でもジェンダー概念の導入がもたらした影響は、特筆に価すると言えるだろう。ジェンダー概念は、性別概念の革新をもたらしただけでなく、近代社会の「知」の男性中心性を暴き出すともに、女性内部の多様性やジェンダー概念の政治性をも明らかにしたという意味においてきわめて大きな影響をあたえてきたのである。この影響を、社会学理論の側から考察するならば、主意主義的行為論から相互行為論への転換、業績と属性という二分法の恣意性の暴露、労働と身体の区分の恣意性及び近代合理主義の無意識的前提の暴露などの観点から論じられると思われる。本報告では、このうち特に、行為理論に焦点をあて、我々が社会的に行為できる条件とは何かを考察することを通じて、主意主義的行為理論が無視してきた社会的行為論の側面を指摘するとともに、それが「業績と属性」や「労働と身体」などの恣意的な区分に関連性を持つことを示したい。そのことを通じて、「リアリティある行為者像」とは何かに迫りたいと思う。

第2報告

「業績主義社会のなかの属性主義」・20年後の再検討
−エスニシティを中心に−

梶田 孝道 (一橋大学)

 エスニシティ等が近代主義社会学が前提にしてきた行為者像とは異なる像を前提にし、社会学に再審を迫ることは明白である。しかし今や、この問い自体が「自明」となっている。そこで論者は、以下の問題設定を行うこととした。論者は、1980年に吉田民人氏との対話(「社会問題群と社会学的パラダイム−業績主義社会のなかの属性主義」『経済評論』1980年1月号)及び「業績主義社会のなかの属性主義」(『社会学評論』1981年、127号)で、業績主義化の進展それ自体が属性主義を登場させる、主要な問題領域は「業績主義の属性への転化」と「属性に支えられた業績主義」であるとして、その原因・評価・対策に触れた。それから、ほぼ20年が経過した。この間、大きな政治・社会・文化変動が生起した。それらにより上記の命題がどう確証され、どう修正を迫られたかを議論したい。本格的な議論は大会報告で行うとし、二、三の点を予め指摘しておこう。まず、「属性」観の変容である。「人為的構築物」としての属性という視点が強化された。遺伝子操作による優れた属性の選別も起こった。続いて、基本的単位としての「家族」の変容により、業績主義競争のゲームが複雑化した。個人主義化(個人の業績主義化を伴う)が従来の家族像を浸食する一方で、移民に見られる家族的・親族的規制の強い人々も多数併存し、エスニックビジネス等を営んでいる。さらに、移民・外国人の増加に伴い社会の境界が曖昧化し、当該社会が国民国家と同一視できなくなった。その限りで従来の「統合(定住化)パラダイム」とともに、国境を越えた生活世界を視野に入れた「トランスナショナル・パラダイム」の必要性が増し、業績主義をめぐる領域の曖昧化・多様化が起こった。グローバル化は「ムーディーズ現象」を生み、その一方で、何が世界標準かという問題を提起すると同時に、激しいグローバリズム批判も生んだ。また、EUのように業績主義や競争の制御を試みる動きと同時に、国内的業績主義とグローバルな業績主義の併存状況をも生み出した。そもそも、グローバリズムは業績主義を標榜する一方で、過度のリスク社会化のなかで「自己責任」あるいは「不運」による敗者を増加させている。こうした問題に留意しつつ、「業績主義社会のなかの属性主義」を再考したい。

第3報告

エイジング研究と社会学理論の結節点

木下 康仁 (立教大学)

 エイジングは個人(老い)と社会(人口の高齢化)に対応する研究概念であり、具体的研究テーマは何らかの形でこの相互関係を前提としている。ただ基本的には、個人のレベルにおいて経験されるプロセスとして老い(他者の老い)を理解することが必要である。そのためにはひとつの人生段階として老年期をどのように理解するのかという問題となる。予測と経験の対象となった老年期は、想像以上に複雑な展開をみせる。老年期への移行は第二モラトリアムとも言えるほどであり、また老衰過程をみると本人の意思が主題として制度的に強調される中で、逆に意志と行為の主体としての境界があいまいになっていく現実がある。

 換言すると、一方では近代的人間像を成熟化の方向に押し上げることが課題であり、他方ではそれを進めていってもやがてその限界が自然的に露呈していき、しかもこの両者がプロセスとして連続している。この点に、エイジング研究が社会学理論に対して提供できる独自の問題提起が集約されている。

 ただ、これまでの研究展開をみると老いを連続したプロセスとしてではなく言わば自立期と要介護期に分離する傾向があり、その結果エイジングの概念のダイナミズムを活かしきれていないように思われる。

 例えば、前者の視点からはsuccessful aging、productive agingなどの概念を中心に人生満足度が高く、活動的に社会参加していく高齢者像とそれを支える社会的諸条件に関する研究の流れがある。この推進的役割を果たした概念のひとつがagismである。

 後者では、研究的関心の主客が転倒し高齢者は客体化されもっぱら介護の文脈で語られている。しかし、この部分に興味深い理論的問題が詰まっている。例えば、自己なるものの老い、関係性の老いなど近代的人間像の基盤自体を問う問題群がある。

 エイジング研究側に引き寄せて言えば、高齢者の社会的統合の困難性を示したroleless roleや、自己意識の継続性を示すageless selfといった概念の”-less”の部分に改めて着目する必要があろう。

報告概要

宮島 喬 (立教大学)

 本部会は、関東社会学会大会の半世紀の歴史を記念する企画として設けられた。社会的行為論は、社会学における中心的な主題領域であるが、ウェーバー、パーソンズの流れの中で、とりわけ近代主義的な行為論パラダイムと結びついていた。だが、過去20年来の社会学界でリアリティをおびた行為者として大いに注目されるようになった女性、エスニック・マイノリティ、高齢者などであるが、はたしてこれらの行為者像は、近代主義的行為理論によって適切に取り扱われるものだろうか。そのような問題に応えるものとして、三氏の報告がなされた。

 江原氏は、主意主義的行為理論を正面から取り上げ、それが、「単独行為」「属性対業績」、「身体対労働」などの虚構をつくりだしたこと、そしてジェンダーを主題化することで、これらの理論志向の批判が可能になることを主張した。梶田氏は、エスニシティ研究の深化・多面化のなかで業績主義競争のあいまい性、複雑性が指摘され、国境を越えた生活世界における行為者を扱う新たなパラダイムが求められるにいたった、とした。一方、木下氏は、従来の視点では高齢者は客体化され、しばしば介護の文脈で捉えられてきたが、行為者は「第ニモラトリアム」など予想以上に複雑な経験を生きるのであり、エイジング概念のダイナミズムを活かす必要があり、高齢者研究はこの点で社会学理論にさまざま問題提起をなしうるとした。いずれの報告も、主意主義、、業績主義などを特徴とする近代主義的社会学的行為論に対する深い省察に満ちた批判的論及であり、行為への視座の転換が事実上起こっていること、その意味の対自化が必要であることを訴えるものであった。討論者の池岡義孝氏、樋口直人氏のすぐれたコメントとあいまって、記念大会にふさわしい有意義な部会となった。

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