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年次大会
大会報告:第50回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会C)

テーマ部会C 「文化の社会学の可能性」  6/2 14:30〜17:45 [社会学部B棟201教室]

司会者:浜 日出夫 (慶應義塾大学)  若林 幹夫 (筑波大学)
討論者:櫻本 陽一 (和光大学)  佐藤 郁哉 (一橋大学)  渋谷 望(千葉大学)

部会趣旨 浜 日出夫 (慶應義塾大学)
第1報告: 文化を「記述」すること:文化研究と文化実践のあいだ 毛利 嘉孝 (九州大学)
第2報告: 凡庸なるがゆえの政治性
――テレビジョン文化の分析から
伊藤 守 (早稲田大学)

報告概要 若林 幹夫 (筑波大学)
部会趣旨

部会担当: 浜 日出夫 (慶應義塾大学)

 「文化の社会学の可能性」というテーマで2年連続してテーマ部会を開催します。「文化の社会学」とは既存の研究領域を指すものではありません。それは現在のところ非在の領域を指す仮の名前です。ですから今あらかじめそれが何なのかということを言うことはできません。これから2年間検討していく過程で、もしかしたら現在「文化」という概念と「政治」や「経済」や「社会」という概念のあいだに引かれている境界線が揺らいだり、消えてしまったり、引き直されることになるかもしれませんし、あるいは「社会学」という学問の枠組そのものが問い直されることになるかもしれません。むしろそのこと自体がこの部会の目的であると考えています。

 まず1年目の今年は出発点としてカルチュラル・スタディーズを取り上げることにしました。カルチュラル・スタディーズは日本でも90年代から活発に紹介され、また実践されてきましたが、今回はカルチュラル・スタディーズの視点から具体的な研究を積み重ねてこられたおふたりの報告者に、具体的な対象についてお話しいただくと同時に、文化を研究するとはどういうことなのかということについても反省的にお話しいただく予定です。おふたりの報告、3人の討論者によるコメント、全体討論を通して、カルチュラル・スタディーズの特徴・可能性・限界を多面的に浮かび上がらせ、来年に向けて「文化の社会学」の方向性・可能性を探りたいと考えています。

 多くのみなさんの参加をお待ちしています。

第1報告

文化を「記述」すること:文化研究と文化実践のあいだ

毛利 嘉孝 (九州大学)

 文化を「記述」するということは、いったいどういうことなのか。文化を「記述」した瞬間に、その「文化」がそもそも持っていたいきいきとした感じが失われてしまうのはなぜなのか。「記述」という行為によって、なにが抜け落ちていくのだろうか。本報告は、文化をめぐる「実践」と「記述」とに横たわっているある断絶について考察したい。

 これは、私たちが通常扱っている「フィールド」という概念をどのように考えるかということでもある。今日、社会学や文化人類学で前提とされていた「フィールド」という概念は問題ぶくみのものとされている。すでに多くの指摘があるように、「フィールド」は、もはやかつて信じられていたように、調査者の外部に位置する、自律し、閉じた存在ではない。むしろ調査者とフィールドとの関係性そのものを記述することがますます重要になってきているのだ。これとともに、文化の「記述」と「実践」のかかわりは複雑化し、文化の調査者の役割も変化しつつある。

 報告者は、こうした問題意識の下で、現在北九州市小倉で、美術家や音楽家などアーティストとの共同プロジェクト「RE/MAP:北九州再地図化計画」を行なっている。このプロジェクトは、地図という概念を中心にして、都市空間と身体の関係をどのように「記述」できるのか、さまざまなメディアを用いて考えようというものである。本報告では、「RE/MAP」の活動を紹介しながら、文化を「記述」することの問題と可能性を議論したい。

キーワード:文化、記述、フィールド、フィールドワーク、都市空間、地図、身体

第2報告

凡庸なるがゆえの政治性
――テレビジョン文化の分析から

伊藤 守 (早稲田大学)

 幾つかの番組の具体的な分析を通じて90年代のテレビ文化を考えてきた。CSと総称される様々な著作との対話を行いながら進めたそのささやかな試みから「文化の社会学の可能性」を私なりに報告したい。

 「東京ラブストーリー」「ロングバケーション」といったドラマ番組、「紳助の人間マンダラ」といった「お笑い」番組、「無名の日本人」の挑戦をテーマに戦後日本の歴史を描いた「プロジェクトX」、そして「9/11のテロ」にかかわる報道番組などの分析を通じて主題化したかったのは二つの関連する問題である。ひとつには、女性性の表象にかんするジェンダーポリティクスの問題、テレビに特有の「笑い」の形式とその権力性、公共の記憶のテレビ的な編制、メディアのグローバル化の中の政治的言説、といった問題群である。もうひとつのテーマは、識者の目からすれば、奇妙な、凡庸な、陳腐な、平板な、と形容されかねないテレビ的映像がまさにそうであるがゆえに持ってしまう「魅力」「ポピュラリティ」、言い換えればテレビ固有のメディア的経験とでもいうべきものの内実/形式をどう記述できるかという問題である。それをここではとりあえず、テレビが生成した固有の社会性/リアリティ、と呼んでおこう。

 CSの視点は、それまでの批評を超えて、メディアの政治性(語り出された声の政治性のみならず、語り出されたものの背面で無視され排除されつづけてきた声の政治性)を問題化しうる視点を与えた。それを「定型化された」語りにすることなく、メディアとオーディエンスが相互に織り成す固有の社会性/リアリティの微細な感覚や表情を記述する地点にまで押し広げたときにはじめて見えてくる「政治的/社会的なるもの」にまでどう進めていけるのか。またそうした記述を行うためになにが必要なのか。報告ではこうした問題を切り口に「文化の社会学の可能性」を考えたいと思っている。

キーワード:メディアのリアリティ、グローバル化、ニュースの社会性/政治性

報告概要

若林 幹夫 (筑波大学)

 2年連続で開催されるテーマ部会「文化の社会学の可能性」の第1回として、今回の大会では報告者に毛利嘉孝氏(九州大学)と伊藤守氏(早稲田大学)、討論者に櫻本陽一氏(和光大学)、佐藤郁哉氏(一橋大学)、渋谷望(千葉大学)氏を迎え、いわゆる「カルチュラル・スタディーズ」の視点からの具体的な調査研究や実践の試みを「導入口」として、「文化」的な現象を「社会学すること」の意味や可能性をめぐって報告・討論が行われた。

 毛利氏の報告では、毛利氏自身も関わっている小倉のアート・プロジェクト「RE/MAP」の紹介を中心に、「文化研究自体が一つの/そして多様な文化実践である」という視点から「文化を研究すること」と「文化を実践すること」の線引きや越境の問題が提起された。また伊藤氏の報告では、NHKのテレビ番組「プロジェクトX」における集合的記憶の編成と、それをめぐる視聴者たちの声の分析を具体的な素材として、1990年代以降の日本におけるメディアと身体と権力の新たな編成モードの生成が指摘され、そうした記憶の編成に対抗するカウンター・メモリーの実践を内包した社会の重層する関係性を論理化し、記述する方法を探究することの必要性が課題として提示された。

 上記の2報告に対して討論者からは、文化研究やカルチュラル・スタディーズ自体が一つの「文化現象」として人びとの間に浸透していることの意味をどう捉えるかといった問題や、日本における文化研究の受容において生じてきた視点の「歪み」や「欠落」の問題、実際の研究活動において「実証性」や記述の「密度」をどのように確保するのかといった問題が提起され、フロアとの間でも活発な質疑が行われた。これらの報告・討論を通じて、次年度のテーマ部会に継続するものとして、「社会学的な調査研究のフィールドとしての〈文化〉とは何か」、「社会学において〈文化〉を対象としたり、ある対象を〈文化〉として記述・分析するとはどういうことか」、「そうした研究実践を通じて社会学者は何をしているのか」といった問題が見出されたように思う。

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