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年次大会
大会報告:第51回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

第1部会:情報化とメディア  6/14 10:00〜12:30 [3号館3階331教室]

司会:遠藤 薫 (学習院大学)
1. 千年王国主義が創出するメディア空間 稲葉 昇 (上智大学)
2. 文書館の政治学 葛山 泰央 (京都大学)
3. 情報化および近代化における文脈の検討
−脱工業社会論および再帰的近代化論における比較検討を中心として−
伊達 康博 (東洋大学)
4. メディア・リテラシーの視点からみた「メディア」と「ジェンダー」
−「読む」能力から「発信する」能力へ−
藤山 新 (東洋大学)

報告概要 遠藤 薫 (学習院大学)
第1報告

千年王国主義が創出するメディア空間

稲葉 昇 (上智大学)

 1970年代以降、特に1980年代とは、近い将来に人類存亡の危機の到来を確実視する予言を中心とした千年王国主義の一変種が、大衆消費社会や高度情報化社会の進展に伴い、従来の千年王国運動とは異なる形式と規模で伝播した時代であったと考えられる。そして、当報告は、その基本構造の様態を「メディア型千年王国主義」という新たな概念によって措定することを目指している。現時点においては、この種の千年王国主義は、情報伝達技術の到達度およびその浸透度によって、大体、以下の4種が考えられる。(1) 最も古典的な方法を発展的に継承した「出版型」、(2) ラジオやテレビ番組、さらには衛星放送を利用した「放送型」、(3) 「出版型」から「放送型」への過渡的な形式、あるいは「放送型」の安価な代替形式として、映画フィルム、カセットテープ、ビデオテープといった記録媒体を利用した「テープ型」、(4) PCの個人使用の頻度が増加するに伴って注目される「ネット型」。しかし、ここでは、この千年王国主義が興隆する基礎を築いた、主として「書籍」という活字メディアを通じた「出版型千年王国主義」についての分析を試みる。具体的には、日本において1973年に始まる「予言解釈本」ブームを背景に、聖書根本主義的な「予言作家」の一人として、1983年から1997年までの期間で計35冊の書籍の出版に携わった、宇野正美(潟潟oティ情報研究所所長)の事例について取り上げる。

第2報告

文書館の政治学

葛山 泰央 (京都大学)

 本報告では、記録史料を収集し保存し公開する社会的装置としての文書館(アルシーヴ)とその歴史的展開について考察する。文書館は、各種の記録史料が集成され、集団的記憶が創造される場として、一定の政治的機能を持つと共に、相互に重層する複数の歴史を織り成すなかで、その機能を変容させてゆく。ここでは、近代フランスを出発点にしながら、一八世紀における「国王封印状」の濫発と王制の動揺を巡る問題、革命期における共和制の成立と「国民の文書館」の創出を巡る問題、一九世紀における文書館のネットワークの確立や――とりわけ都市を中心とした――その警察的機能を巡る問題、二〇世紀における文書館と証言との関係を巡る問題などを検討してゆくなかで、近代における文書館とその政治的機能の変遷が、「王の権力」から「生権力」への転換を伴いつつ、その限界領域において「生き残らせる権力」(アガンベン)のイメージを拡散させてきたことを論究したい。こうした「文書館の近代」とも呼ぶべき過程を問い直すことに加えて、文書館という社会的装置と、近代における共和制・国民国家・市民権との錯綜した関係や、そこで排除や監視の対象にされてきた「汚名に塗れた者たち」(フーコー)の属する場、さらには、そのなかで記録史料を読み解く者たちの「感受性や身体性の領域」(コルバン)が提起する様々な問題を浮かび上がらせてみたい。

第3報告

情報化および近代化における文脈の検討
−脱工業社会論および再帰的近代化論における比較検討を中心として−

伊達 康博 (東洋大学)

 本研究では、情報社会が近代化理論の指標においてどのように位置づけられるのだろうかという問題意識に基づき、情報化と近代化との文脈における比較検討を試みることを目標とする。
そのうえで本研究においては、主に情報社会論の基礎理論と位置づけられているベルの脱工業社会論と近代化理論として近年多くの注目を集めているギデンス、ラッシュ、ベックらが提唱している再帰的近代化の理論とを比較の対象として検証を行なう。

 しかしながら、再帰的近代化の理論においてギデンス、ラッシュ、ベックら言説が必ずしも同一の認識合意がなされていないことから、特に今回は、再帰的近代化の理論において脱工業社会論に関する言及がなされている部分を中心に検証し、脱工業社会論に対する批判的文脈を整理したうえで、脱工業社会論における中軸原則と近代化における指標との図式的な比較を試みる。
 それによって情報化および近代化におけるそれぞれの指標に関する相違点を導き出し、情報化が近代化過程とどういった点で関係しているのかを部分的に明らかにすることを目標とする。

 また、それらの比較検討から導出される相違点に着目することによって、それが同時に脱工業社会論に対する再検討の試みにもつながってくるものと思われる。

第4報告

メディア・リテラシーの視点からみた「メディア」と「ジェンダー」
−「読む」能力から「発信する」能力へ−

藤山 新 (東洋大学)

 かつては限られた世界でしか通用していなかった「ジェンダー(gender)」という概念も、今日では日常生活の場において用いられても大過なく通用するほど、世間に認知されるようになったと言えよう。社会学的研究の場面においてもそれは例外ではなく、「ジェンダー」概念を新たに投入することで、これまでの研究に一層の深みを加える試みが随所で行なわれている。メディアに関する研究分野は、特にこの「ジェンダー」概念の浸透がめざましく、ジェンダーの視点からメディアを捉え直す研究が数多く発表されている。

 しかし、それでもなお、議論がじゅうぶんに尽くされたとは言い難い。現実にも、メディアとジェンダーにかかわる問題がすべて解決された訳ではない。また、特に1990年代の後半からあらわれてきた、メディアそのものの変化も、メディアとジェンダーの関係を考える上で見過ごすことはできないものである。

 従って本報告では、これまでのメディアとジェンダーに関する研究の大枠を参考にしつつ、メディアやそれを取り巻く環境の変化も考慮に入れて、メディアとジェンダーに関する考察を進めていくことにする。

報告概要

遠藤 薫 (学習院大学)

 「情報化とメディア」と題された第1部会では、「千年王国主義が創出するメディア空間(稲葉昇(上智大学))、「文書館の政治学(葛山泰央(京都大学))」、「情報化および近代化における文脈の検討─脱工業社会論および再帰的近代化論における比較検討を中心として(伊達康博(東洋大学))」、「メディア・リテラシーの視点からみた「メディア」と「ジェンダー」─「読む」能力から「発信する」能力へ─(藤山新(東洋大学))」の4本が報告された。

 タイトルを一見してもわかるように、これらの報告は必ずしも「情報化とメディア」という部会タイトルからはやや距離のある内容であり、報告者たちからも「なぜこの部会に組み込まれたのかやや戸惑っている」との感想が聞かれた。
 しかし、そのように(語弊を恐れずに言うならば)異質に見える諸報告が一堂に会したことで、むしろ、一見バラバラなそれぞれの報告をつなぐ潜在的な糸(「メディア」とは何か)が、ある意味ではきわめて明瞭に意識されることになった。

 人数的にはやや少なめであったギャラリーを含めて、非常に本質的かつ活発な議論がなされたことは、本部会の大きな成果であり、「学問すること」の楽しさを改めて感じさせられた。この日の討議を糧として、各報告者ならびにギャラリーの方々が、それぞれの研究にまた新たな道を見いだしてくださることを祈る次第である。

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