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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

第1部会:理論と学説  6/19 10:00〜12:30 [120年記念館(9号館)7階978教室]

司会:庄司 興吉 (清泉女子大学)
1. 社会的病理の「非意図的な結果」という水準
---ホネット承認論の現在から---
佐藤 直樹 (名古屋大学)
2. トクヴィル大革命論の再検討 葛山 泰央 (京都大学)
3. ハンナ・アレントの権力論・序説 角田 幹夫
4. 「社会学の一般理論」としての構築主義
---「新科学論」の視座---
吉田 民人

報告概要 庄司 興吉 (清泉女子大学)
第1報告

社会的病理の「非意図的な結果」という水準
---ホネット承認論の現在から---

佐藤 直樹 (名古屋大学)

 本報告は、ホネット承認論の現在を示すテクストとして「組織化された自己実現」(Honneth. A. [2002]Organisierte Selbstverwirklichung;Paradoxien der Individualisierung,Honneth. A. (Hg.), Befreiung aus der Mundigkeit; Paradoxien des gegenwartigen Kapitalismus, Campus Verlag)を取り上げ検討するものである。ホネットが論じている「承認をめぐる闘争」の社会理論は、相互承認が漸次的に拡大していく発展過程が、「愛・法・連帯」という3つの承認形式から成り立つ承認関係によって進展していく過程を論じたものである。これらが主として一般理論的に論じられたのが『承認をめぐる闘争』(1992)であった。本報告で取り上げる「組織化された自己実現」でホネットは、近代社会における個人化の過程を特に西洋社会で1970-2000年頃に生じていた個人的自己実現の要求という視点から考察している。そこで、ホネットは個人化の2つの側面、すなわち、個人化が伝統からの解放を実現するだけでなく、システムへの従順を促していることを指摘することで、個人化がもはや正常に機能せず、「個人化の逆説」となっていることを示す。そして、そうした「個人化の逆説」という事態は、自己実現が組織化された中でしか現実化しないということから帰結するのだという。ホネットは以上のような個人化を逆説させた「組織化された自己実現」が、資本主義社会における意図的な戦略ではなく、その都度生じている固有の歴史や発展動態が帯びている多様な過程の連鎖の「非意図的な結果」であるとする。こうしたホネットの考察は、ホネットが承認論を社会心理学的に考察することで、承認論がもつ政治的側面を十分に論じ切れていないという指摘(Hobson. B.(ed.) [2003]Recognition Struggles and Socioal Movements, Contented Identitied, Agency and Power, Cambridge) を再考する有益な契機となるであろう。

第2報告

トクヴィル大革命論の再検討

葛山 泰央 (京都大学)

 フランス革命以後の近代社会は、旧体制の社会から自らを分離させつつその遺産を継承してきた。各人は旧体制からその情熱や習慣や思想を受け継ぐなかで、旧体制それ自体を破壊する大革命を導き出すとともに、その廃墟から出発するなかで新しい社会体制を構築してきたのである。かくして大革命以後の社会は、一つの内閉する運動のなかに呑み込まれる。社会の内閉する運動をその内部から観察しようとする姿勢のうちに、考古学的な歴史叙述が姿を現す。

 本報告では、アレクシス・ド・トクヴィルの『旧体制と大革命』(1856年)における歴史叙述の構造を再検討することで、その考古学的な方法と課題を浮き彫りにしたい。同書におけるトクヴィルの歴史叙述は、旧体制の廃墟から出発しつつ「生ける旧体制」の姿を浮かび上がらせる点で、過去を現在のなかから未来に向けて叙述する時間構造を獲得している。近代社会の内部観察としてのその歴史叙述は、文書館(アルシーヴ)の重層的で複合的な機能に依拠している。時間的にも空間的にも内閉する運動をその内部から観察するために、内政上の「機密文書」や全国三部会の「陳情書」や各地の「土地台帳」など、公文書館や古文書館に収蔵されつつも散在する文書集合が読み解かれる。文書館の内部観察としてのその歴史叙述は、文書の集合体から出発しつつ現在の社会を取り扱う点で、考古学的な性格を獲得している。

 報告の最後に、そのような歴史叙述が提起する政治性の問題を論究したい。

第3報告

ハンナ・アレントの権力論・序説

角田 幹夫

 ハンナ・アレントの権力論は、彼女の政治理論の中心的な論点、すなわち人間の条件としての複数性(plurality)の擁護や公共性の存立と密接に関わっている。しかしながら、政治学においても社会学においても、アレントの権力論は、敬して遠ざけられている観がある。それは何よりも、彼女のいう権力概念が特異であるため、日常用語として、学術用語として用いられ、流通している「権力」とはかけ離れているためである。

 本報告では、先ずアレントの権力論の〈特異さ〉を、通常の――ウェーバーからフーコーに至る――権力論との対比の中で明らかにすることが目指される。その〈特異さ〉は、彼女にとって権力が「暴力」とは峻別された常にポジティヴなものであること、また何よりも特定の個人的・集合的主体によって(財のごとく)所有され得ないものとされていること、つまり複数性において、人−人の間に立ち上がる何某かのものとされていることである。

 さらに、アレントの権力論の社会理論一般に対する可能性が検討される。それは、先ず「権力」と「暴力」とを峻別することは通常とは別様の社会関係を想像することを励ますものであること。また、いかなる主体の実体化・本質化も拒む〈相互行為的還元〉の立場に適合しているということである。

第4報告

「社会学の一般理論」としての構築主義
---「新科学論」の視座---

吉田 民人

 文理の乖離・分裂のもとで相互の関連が気づかれていない「人文社会科学の言語論的転回」と「生物科学のゲノム論的転回」は、文理横断的視点からすれば「科学の情報論的転回」の二つの代表的な成果である。私が「情報論的転回」の事実上のマニフェストとなった「情報科学の構想―エヴォルーショニストのウィーナー的自然観―」を発表したのは、哲学者ローティが『言語論的転回』を刊行したのと同じ1967年。その構想の中核をなす「DNAから言語まで」という今なお異端の「記号進化論」と同様の着想を、同じく1967年、記号進化という意味付与こそないが、記号学者シービオクがレヴィ=ストロースの還暦記念論文集に寄せた論考で発表していた。私の構想は最終的に「近代科学のメタ・パラダイム転換」を目ざす「新科学論:大文字の第二次科学革命」へと収束する。ポスト構造主義とはまったく系譜を異にする新科学論の立場から、構築主義を「社会学の一般理論」として展開・確立したい。要点は、(1)「本質 対 構築」と「三つの秩序原理」、(2)構築の3モード、および「認識論的構築主義」と「存在論的構築主義」、(3)プログラム(カテゴリーを含む)の作動=1次構築とプログラムの設計=2次構築、(4)変動構築と定常構築、(5)「当事者による構築」と「研究者によるその記述・説明」と「研究者による代替構築」、および「三者の循環」、(6)三層乖離的な法則的生成、遺伝的構築、言語的構築と「三層統合的なハイブリッド形成」、(7)存在一般と実在との区別および「実在カテゴリーの脱構築」など。

報告概要

庄司 興吉 (清泉女子大学)

 本部会では、相互に関係がない(と一見したところ思われる)4つの報告がなされたが、議論をつうじて2つの大きな問題が浮かび上がった。

 1つは、ホネットの承認論にかんする佐藤直樹氏の報告と、ハンナ・アレントの権力論にかんする角田幹夫氏の報告に共通して現れた、肯定的な概念としての権力をめぐる問題である。マルクスやウェーバーいらい権力は、それを持つ者が持たない者を抑圧し支配するためのものという否定的な側面に圧倒的に傾斜して語られてきたが、アレントが亡命をつうじて経験した戦争前後の混乱期や、ホネットが問題にしている、利害や文化を異にする諸集団が対立し、暴力沙汰が頻発している状況などでは、混乱や暴力を押さえ、人びとの人権や自由を保障する肯定的な側面で問題にされなければならない。

 もう1つは、トックヴィル大革命論にかんする葛山泰央氏の報告と、「社会学の一般理論」としての構築主義にかんする吉田民人氏の報告に共通して登場した、歴史性をふまえて未来に開いた社会的現実のとらえ方としての積極的構築主義という問題である。トックヴィルの大革命論では、旧体制と大革命とが「過去を現在のなかから未来に向けて叙述する」方向で生き生きと語られているが、これはじつは、これまで過去や現状の否定面を暴露するという方向に圧倒的に傾斜して用いられてきた構築主義を、社会をとらえるとは、本来それに内在する諸プログラムの発見を軸に、それらに基づいて社会を積極的に構築していくことであるという、吉田氏の「新科学論」としての積極的構築主義につながる方法である。

 2つとも社会学のこれからにかかわる大問題であり、この学会にかぎらず、これからも大いに議論され続けなければならない。

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