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年次大会
大会報告:第52回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第10部会)

第10部会:「語ること」と「生きること」  6/20 10:00〜12:30 [120年記念館(9号館)7階977教室]

司会:野口 裕二 (東京学芸大学)
1. がん闘病記の変遷と「告知」 門林 道子 (日本女子大学)
2. 「遺児」として語る
--- 自覚と変容---
時岡 新 (金城学院大学)
3. 言語矯正の知と実践
--- 伊沢修二の吃音矯正に着目して---
渡辺 克典 (名古屋大学)
4. 相互行為儀礼と処罰志向のリストカット
--- 手首人格化の機制について---
天野 武 (東京工業大学)

報告概要 野口 裕二 (東京学芸大学)
第1報告

がん闘病記の変遷と「告知」

門林 道子 (日本女子大学)

 1970年代半ばから「闘病記」とよばれる個人の病気体験記の出版が増加した。闘病記は現代社会においてピアカウンセリングや参考書的役割を果たしているが、現在もっとも多いのはがんの闘病記である。がん闘病記に描かれる内容は1960年代から現在に至るまで書かれる時代のがん観や治療の流れと密接に結びついて変遷している。変遷の要因として重要視されるのは「告知」の登場、一般化とそれにともなうがん観の変化である。1980年代後半のがん闘病記の顕著な増加は、闘病記のなかに「告知」が登場したことと結びつくと考えられるが、以後ドラマ性をもつ「告知」は、がん闘病記の主要なテーマになった。本研究は闘病記がいかに「告知」のあり方の変化とともに変遷したか、つまり闘病記が書かれる時代と文化の影響をうけているかを明らかにするものである。

 対象とするのは1964年から2003年までに商業出版自費出版された、中年期でがんに罹患し死亡した人々の闘病記である。がんが遺伝病や業病ととらえられ、「がんイコール死」のイメージゆえ患者に本当のことを言わないのがあたりまえとされた時代の猜疑心に満ちた闘病記から告知の苦悩が語られる闘病記へ、告知やインフォームド・コンセントを啓蒙し総力で闘う闘病記へ、さらには「がんと闘うつもりはない」と「共生・共存」を明記した闘病記の増加、そして近年の多様性の時代へと変化してきたがん闘病記に焦点をあてる。

第2報告

「遺児」として語る --- 自覚と変容---

時岡 新 (金城学院大学)

 父親が自死によって他界したのち、機会を得て遺された子らの“分かちあいの会”に参加する青年から話を訊いた。あまたの中から、父親の他界につらなる経験を話し、書く作業のうちに構成され、改編されたかれの心情について考察し、報告する。

 父親の他界から4年、“分かちあいの会”に参加して2年。この間かれに、父親の死について考え、表現するよう促したものは、一定不変ではなかったという。はじめは『疑問』と『後悔』だった。父はなぜ自死したのか。分かってあげられなかった自分。“悔しさ”ばかりの苦しい気持ちは、かれにつよく『何かしたい』と念じさせる。仲間とともに編んだ手記集には『死なないで』『気づいてあげて』の願いをこめた。手記集の刊行でかれは、『ここまで来られたことのうれしさ』や、誰かを救うことができたという実感を得る。一方で深まっていくのがボランティア・スタッフへの『感謝』だった。遺児への支援を呼びかける街頭募金。道ゆく人たちに体験を語りかけながら、かれはそれまでと『明らかに違う涙』を流した。『一緒にやってくれてるボランティアたちに伝えたくて』。

 とはいえそれは、『父親がいないことを悲しいって思わなくなってしまっているようで』、少しさみしくも感じられた。それでいいのかな。『自分でも分からない』心情に整序の言葉を与えて父親への新たな想いを構成するのは、もうしばらく後のことになる。

第3報告

言語矯正の知と実践
--- 伊沢修二の吃音矯正に着目して---

渡辺 克典 (名古屋大学)

 本報告は、正常な発話(正しくことばが発話できること)の知と実践をめぐる考察を試みる。正常な発話の「病気」として、ことばを繰り返してしまう吃音がある。明治・大正期に、日本における代表的な吃音矯正機関であった楽石社が設立された。楽石社では、植民地における「日本語」教育の推進者として知られている伊沢修二(1851-1917)によって、吃音矯正が実践されていた。これまでの研究では、伊沢の吃音矯正は、植民地における「日本語」教育を内地に適用したものとしてとらえられていた。しかし、楽石社設立の際に公表された「楽石社規程」には、方言や吃音の矯正のみならず、外国語の伝習を目指すという記述がされており、その活動は内地における日本語統合としてのみではとらえきれない。楽石社の活動は、音声言語の矯正機関であった点にこそ特徴がある。

 楽石社における言語矯正は、音声言語矯正のための〈科学的方法〉にもとづいた実践であり、その方法は「視話法」とよばれた。本報告では、〈正常な発話〉は視話法の理念から導き出されていた点を問題にする。「視話法」は、万人に当てはまるとされた発音記号を用いた言語矯正である。そのため、視話法を用いて正常な発話ができない吃音者は、努力(修練)が足りないとみなされ、治癒しなかった吃音者は苦しみを増すことにもなった。このような特徴をもつ視話法による言語矯正を、明治・大正期の社会背景における正常な発話をめぐる知の実践として考察していく。

第4報告

相互行為儀礼と処罰志向のリストカット
--- 手首人格化の機制について---

天野 武 (東京工業大学)

 近年、「リストカット・シンドローム」(手首自傷症候群)が社会問題になっている。リストカットとは、自殺企図とは無関係にカッターなどで手首を切る自傷行為のことであり、臨床的場面において80年代に急増し、90年代後半になってマスメディアでも取り上げられるほどになっている。留意すべき点として、リストカットが自殺の手段ではないということ、それどころか生き辛さを抱えた個人が生きていくための手段――他者との関係を切ってしまう(自殺)のではなく、必死に維持していこうとする試み――であるということがあげられる。ここにリストカットの社会性をみることができるにもかかわらず、これまで社会学的に語られることは多くなかったといえる。また、言及されたとしても、それを「自己確認」や「自己表出」の機制として、アイデンティティの問題として論じられてきた。

 本報告では、リストカットに上記2つとは別の機制があることを指摘する。すなわち、「手首人格化」の機制である。この機制においては、自己または他者を手首に投影し、処罰を目的として、リストカットが行なわれる。本報告では、報告者によるインタビュー調査をもとに、リストカットにおける手首人格化の機制を「自己処罰型」、「他者処罰型」として類型化し、それを相互行為儀礼の観点から考察する。

報告概要

野口 裕二 (東京学芸大学)

 第1報告「がん闘病記の変遷と告知」(門林道子)は、1960年代以降現在までのがん闘病記を素材に、80年代後半の「告知」の登場によって出版が増えたこと、その内容が「衝撃・苦悩」から「総力戦」をへて「共生共存」へと変遷してきたことを指摘した。第2報告「言語矯正の知と実践」(渡辺克典)は、明治期に台湾総督府で吃音矯正教育を推進した伊沢修二の仕事を素材に、近代国家の成立と「日本語」の成立が具体的にどのように関係するのかを論じた。第3報告「遺児として語る」(時岡新)は、病気や災害、自死によって親を失った高校生と大学生の「分かちあいの会」の参加者へのインタビューを素材に、心情の再解釈と自己概念の再構成の過程について論じた。第4報告「相互行為儀礼と処罰志向のリストカット」(天野武)は、5人のインタビューデータから、リストカットが自己または他者を手首に投影して処罰を目的に行われるという新しい解釈を示した。以上4つの報告は一見異なる方向を向いているように見えるが、「語ること」と「生きること」が密接に関係していることに着目する点では共通しており、その関係の仕方にさまざまな場合があることを示している。また、「語り」をどのように収集し分析すべきかという方法論的な問題も同時に浮かび上がった。フロアからも多くの質問や意見があり、このテーマでひとつの部会を組んだことの意義が感じられる部会であった。

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