2012年度 第1回
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テーマ部会Bでは、「関係性再考-自立と孤立、共同と分断」というテーマを軸に今年度の研究例会および学会大会テーマ部会を開催する予定です。東日本大震災以降、「絆」や「つながり」の重要性が叫ばれるようになりましたが、これらの言葉は、よく連呼されるものの中身がよくわからない、マジックワードのように用いられている感があります。本部会では、「関係性」という比較的中立的な用語を用い、その現状に孕まれている自立と孤立、共同と分断といったさまざまな様相を、理論的かつ実証的に考えていくことを目的としています。 6月の学会大会のテーマ部会では、乾彰夫さん(首都大学東京)、塩原良和さん(慶應義塾大学)、石田光規さん(大妻女子大学)に報告者、鈴木智之さん(法政大学)、権永詞さん(千葉商科大学)に討論者としてご登壇いただきます。3月の研究例会では、この大会を視野に入れつつ、若手の研究者お二人にご報告をお願いしました。 まず、牧野智和さん(早稲田大学)に、「自己啓発書が求める『つながり』-セルフ・ブランディング論を中心に」というタイトルでご報告いただきます。 自己啓発書という書籍ジャンルにおいては、私たちの日常生活のなかでは曖昧なままになっていることがら-どう生きるか、どう働くか等-が、端的に結晶化されたかたちで示されているといえるでしょう。では、今日の自己啓発書においては、どのような他者との関係性が推奨されているのでしょうか。牧野さんの報告では、多様なテーマで刊行されている自己啓発書のなかでも、特に関係性の形成ハウツーに特化したジャンルといえる「セルフ・ブランディング」関連書籍を素材に、以下のことについて考察がなされます。第一に、それらが求める関係性の様態はどのようなものなのか。第二に、自己啓発書において推奨される関係性は、社会学における関係性についての議論とどう相同・相違するのか。第三に、「セルフ・ブランディング」への批判的言及が既に書籍となって刊行されてもいるが、自己啓発言説への批判にはどのような意味があると考えることができるか。牧野さんの報告は、以上のような問題認識に基づいて行われる予定です。 次に、「家族主義から問う社会の共同と分断-社会政策をめぐる理念の歴史的検討を軸に」という題目で、阪井裕一郎さん(慶應義塾大学)にご報告いただきます。 戦前の家族国家観に象徴されるように、近代日本は社会の〈共同〉のためにたびたび家族主義を称揚してきた歴史を有しています。特に社会政策の議論では、社会的連帯の理念が、情誼や情愛の名のもと家族主義的擬制のロジックで正当化される傾向にあり、その多くは現在の福祉政策にまで継承されています。近年では、個人化や社会的孤立を批判的に語る文脈でも、家族主義的な回帰言説が繰り返し語られる傾向にあります。 その一方で、家族主義は社会の〈分断〉の主要因としても批判されてきました。戦後の社会科学者は民主主義の障壁として家族主義を批判対象に設定し、自立や連帯の妨げとしてその情緒的専制を問題化する傾向にあります。高度成長期には、マイホーム主義批判が隆盛し、公共性を欠いた自閉的な私生活主義が市民的連帯の妨げとして糾弾されました。現在でも家族主義は、ケアや親密性をめぐる議論でたびたび批判的に言及されています。 このように、近代日本では、社会の〈共同〉と〈分断〉の両者が「家族主義」との関連において議論されてきています。阪井さんの報告では、社会政策をめぐる理念の歴史的検討を通じて、社会の共同/分断を促す家族主義の両義性を明らかにし、現代に求められている関係性のあり方を展望することが目標とされます。 本例会では、このように、自己や家族に関わる身近な関係性のありかたを、新鮮で興味深い観点から、理論的・実証的に、また領域横断的に考えていく予定です。幅広い皆さまのご参加をお待ちしております。 (文責:澤井 敦) 開催日程
研究例会報告2013年3月9日、法政大学市ヶ谷キャンパス55・58年館856教室にて、午後2時から6時まで、テーマ部会B「関係性再考―自立と孤立、共同と分断―」の研究例会が開催されました。第一報告、第二報告それぞれ45分ほどご報告いただいた後に質疑応答をそれぞれ45分ほど行い、最後に45分ほど総括討論をおこないました。参加人数は、報告者や司会も含め25名でした。 第一報告者の牧野智和さん(早稲田大学)には、「自己啓発書が求める『つながり』-セルフブランディング論を素材として-」というタイトルでご報告いただきました。 牧野さんの報告では、自己啓発書のなかでも特に関係性の形成ハウツーに特化したジャンルといえる「セルフブランディング」関連書籍を素材に、近年の傾向が分析されました。2009年から2010年あたりを境として、「自分らしさ」にもとづく自己表現の意義を打ち出すブランド論から、「自分らしさ」を必ずしも重視しないソーシャルメディア上の自己表現戦略を指南するブランド論へのシフトが見られることがまず指摘されました。そして両者ともに「弱い紐帯」を道具的に利用する傾向を有すること、また後者には、ソーシャルメディア上の弱い繋がりから本来は「強い紐帯」の特徴である承認欲求の充足を獲得しようとする傾向、さらに積極的に異質な他者との関係を閉じていこうとする、いわば「島宇宙」的な同質性志向があることが指摘されました。報告では、啓発書の執筆者への牧野さん自身によるインタビューを参照しながらさらに分析が展開され、たとえばソーシャルメディア上の関係性を皮相・虚構的なものとして批判して、いわば一巡りして、対面上のコミュニケーションや地域・家族の絆の重視へと回帰する傾向が現れていること、また、啓発書で説かれるような成功・失敗を決定づける個人の努力や考え方・行動の仕方は、実は経済資本もしくは社会関係資本、いわば現実的な「絆の格差」によってはじめから条件づけられており、そこにはブルデューが言うある種の「誤認」が生じている可能性があることが指摘されました。 第二報告者の阪井裕一郎さん(慶應義塾大学)には、「家族主義から問う社会の共同と分断-社会政策をめぐる理念の歴史的検討を軸に-」というタイトルでご報告いただきました。 阪井さんの報告では、戦前から戦後にかけての「家族主義」をめぐる言説を歴史的に整理したうえで、現代社会における新たな関係性と共同性の展望を示すことが試みられました。戦前期、家族主義は、家族的情緒を政治的ないしは公共的な情念へと拡張し、人々の社会的連帯を動機づけ、国家統合や福祉政策を正当化するために使用されており、それは封建制批判とも両立可能なものでした。戦後になると、家族主義は批判の対象となり、市民社会構築の障壁となる社会的擬制を生みだす傾向、私生活への自閉を促す傾向、福祉における家族責任に重い負担を強いる傾向、「標準家族」(ジェンダー秩序、異性愛主義、婚姻中心主義など)の理念のもとに異質なものを排除する傾向が、批判的に言及されました。そして現在、こうした「家族主義」に託されてきた「役割」を検討することは、「家族主義/近代家族」批判と「家族の個人化」批判を矛盾なく接続し、「家族単位を個人単位に移しかえる」といった主張では見過ごされてしまう新たな共同性を構想する議論を可能にするとの指摘がなされました。報告では、そのためのより具体的な展望として、家族を超えた共感の基盤としての「情念」の再評価、親密圏を「家族」に押し込めるのではなく多様なつながりのなかに再配置していく可能性、「標準家族」中心の一元的な社会から「ライフコース・ニュートラルな社会」への移行の可能性、また、家族主義の回帰をもたらす基盤となる子どもに関わる「再生産」を社会的な依存関係のなかで社会的に支援していく可能性などが提起されました。 質疑応答や討論では、それぞれの報告について、活発な議論が展開されました。牧野さんの第一報告に対しては、かつての「自分探し」や「本当の自分」を求める傾向との連続性・非連続性をどう考えるか、自己を市場で商品化する傾向の持つ閉塞性(外部のなさ)を人々はどう受けとめているのか、自助努力と自己責任を無限に強いる言説に対置すれば、自己をブランドとしてつくってしまえばよいという理解はむしろ健全とも解せないか、などの問題提起がなされました。阪井さんの第二報告に対しては、家族主義を批判すべきとすれば、それはそこに含まれるパターナリズムではないのか、個人化された人々が自然に家族を求める傾向をどう理解するのか、親密な関係性が流動化していくとして、それを親密圏においてどのように枠づけることが必要と考えるのか、またその場合、どこまでの範囲を親密圏と考えるのか、事実婚やシェアハウスなどの動向をふまえた上で、擬似家族的ではない親密圏の形成がどのようにして可能になると考えるか、目の前にいる人のためのきわめて選択的なケアへの志向を社会保障の原理とすることができるのか、などの問題提起がなされました。 質疑応答や討論の時間もたっぷりとあり、フロアからのご意見や問題提起も含め、さまざまな論点に関して議論を深めることができたと思います。お二人のご報告は、「自己」と「家族」という異なるテーマに関するものでしたが、総括討論では、「関係性再考」という軸のもとに両者を架橋する視点もいくつか提示され、学会大会のテーマ部会に向けての論点整理もなされ、たいへん有意義な会となりました。ご報告・ご参加いただきました皆さまにあらためて感謝し、お礼申し上げます。 研究委員:鈴木 宗徳(法政大学)・石田 光規(大妻女子大学) |
2012年度 第2回
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今年度のテーマ部会Aでは昨年度に引き続き、「リスク・個人化・社会不安」をテーマとして現代社会における個別具体的な社会問題およびそれに対する社会運動・社会政策に注目し、2013年3月の研究例会、6月の学会大会を通じ、議論、検討を行っていきます。具体的には、2013年3月の研究例会ではいわゆる社会的弱者が置かれた今日の環境の変化、そこでの「自立」のとらえ方とその構造的背景を確認することによって、また6月の学会大会では東日本大震災[後]の時間軸を念頭に置いた議論を行うことによって、「リスク・個人化・社会不安」に関わる政策的課題および社会運動の取り組みについて検討していきます。 報告者・題目および要旨 寺本晃久(元東京都立大学大学院)「知的障害のある人の自立生活とその支援」 知的障害/自閉の人で、比較的多くの日常的な支援・介助が必要な人が自立生活することはいまだ少数である。おそらく全国的に多く見積もっても百人の単位ではないかと思う。しかし少数派であることは、その暮らしが特殊であり特別であることを意味しない。 具体的に介助の内容を頼まれないことも多い中で、私は何をすればいいんだろう。何ができて、何ができないことか? 自由であることのすばらしさと難しさ。介助者の立ち位置をどこに置けばいいのだろう。地域で生きるときに、周囲の人との間にさまざまな事柄があり関係が紡がれる。ただ単に介助者がいれば生活が成り立つわけではない。障害者と介助者とのさまざまな相互作用の中で生活が送られていく。そこで何をやっているのか、何を考えているのか、検討してみたい。また、その営みを社会学的に語る可能性について述べてみたい。 種村剛(中央大学他非常勤講師) 1)近世の責任概念:責任が職分を果たす義務を意味していたことを示す。2)明治期の責任概念:責任における哲学とキリスト教の影響を確認する。責任が自由意志や内面の罪と責任が結びつくようになる。3)社会有機体説と社会連帯責任:社会有機体説において、自由(権利)と責任(義務)が同じものとされていくことを確認する。4)貧困と自己責任:大正期から、貧困と自己責任を結びつける主張があることを挙げる。 以上より、1)日本において明治期から、自由と責任の連言があらわれること、2)複数の理念が、自由と責任を結びつける根拠になっていることを述べ、現代につながる発展的な考察を展開する。 (文責:山本薫子) 開催日程
研究例会報告テーマ部会Aでは、2013年3月24日(土)の14時から3時間ほどにわたって首都大学東京秋葉原サテライトキャンパスにて研究例会を開催しました。当日は、いわゆる社会的弱者が置かれた今日の環境の変化、そこでの「自立」のとらえ方とその構造的背景を検討するために、「自立」について実践の場での蓄積もお持ちの研究者、理論的な観点からの研究蓄積をお持ちの研究者のお二人をお招きし、討論を行いました。 第一報告者の寺本晃久さん(元東京都立大学大学院)からは「知的障害のある人の自立生活とその支援」と題するご報告をいただきました。寺本さんご自身が福祉の現場に日々関わりながら社会学的思索を深めてこられたその蓄積をもとに、障害者と介助者との間で日々交わされる相互作用の中で営まれている生活の場のなかで見られる「自立」「自由」とはなにか、またそれらを研究者がどのように記述することが可能であるのか、非常に実践的な視点からの提起がなされました。 第二報告者の種村剛さん(中央大学他非常勤講師)からは「〈自立〉と責任-自由と責任のつながりを支える理念」と題するご報告をいただきました。ご報告では、近世・明治期のそれぞれの責任概念の検討、社会有機体説と社会連帯責任との関連、貧困と自己責任との関連について、詳細な史料分析をもとにした検討がなされた上で、日本社会では明治期から自由と責任の連言が見られてきたこと、そして複数の理念が自由と責任を結びつける根拠になっていることが示されました。 当日は非会員も含め、20名程度(報告者含む)が参加し、活発な質疑、討論が行われました。フロアからは、自立について検討する上での「権利」「義務」の関係、立身出世や職分から見た責任のあり方などについて質問がなされました。また、寺本報告に対しては、ミクロな相互作用のなかに回収しきれない「自由」を語ることの可能性、また制度枠組み、空間や時間軸設定の前提に関する指摘がなされ、種村報告に対しては自由意志、自己決定をとらえる際の水準の位置づけや(責任概念に対する)免責に関する考え方について指摘がなされました。 非会員を含む参加者によって質疑応答が活発になされ、それによって論点がより明確化され、例会はいっそう盛大で有意義なものになりました。報告者、参加者の方々に感謝し、お礼申し上げます。 研究委員: 町村 敬志(一橋大学)・仁平 典宏(法政大学) |
2012年度 第3回
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第3回研究例会 第8回修論フォーラムのお知らせ 前号ニュースでお伝えしましたように「第3回研究例会 第8回修論フォーラム」を、今年度は一橋大学国立キャンパスでの学会大会の第1日、6月15日(土)9:30〜12:25に開催します。これは、2012年度に修士論文を提出した大学院生がその内容を報告し、他大学に所属する会員が論文を事前に読んだうえでコメントして、フロアの参加者とともに討論するものです。 第3回 「第8回修論フォーラム」報告中筋直哉(研究委員会委員長) 今年で8回目となる修論フォーラムが第3回研究例会として、大会と連動させて6月15日午前に一橋大学国立キャンパスで開催されました。今回は2012年度に修士論文を提出された14名の報告者を5つのセッションにわけ、修士論文の概要の報告と、コメンテーターからのコメントと応答、参加者を交えた討論が行われました。セッション1では、石島健太郎氏(東京大学)「関係性におけるニーズを支える介護者の限定性―神経難病介護を事例に」(コメンテーター:伊藤智樹氏)、松井由香氏(お茶の水女子大学)「男性が介護する/看取るということ―セルフヘルプ・グループに集う夫・息子介護者の事例から―」(コメンテーター:井口高志氏)、高間沙織氏(一橋大学)「戦後日本における開業医による病床所有」(コメンテーター:市野川容孝氏)、の3報告が、セッション2では、堀真悟氏(早稲田大学)「クレイム申し立てのカルチュラル・スタディーズ―ヒップホップの言説(リリック)と音楽的表現形式(スタイル)」(コメンテーター:渋谷望氏)、大森美佐氏(お茶の水女子大学)「『ケータイ世代』の対人関係と恋愛観・恋愛行動」(コメンテーター:浅野智彦氏)、LEE ROSA Saes Byeol氏(東京大学)”Shinsengumi and the Playing Self:A Sociology of People's Culture”(新選組とプレイング・セルフ:「大衆の文化」の社会学)(コメンテーター:伊奈正人氏)、の3報告が、セッション3では、岡村逸郎氏(筑波大学)「『無垢な犯罪被害者』という制度―通り魔・爆破テロ記事に見る『被害者』カテゴリーの変容とその言説史―」(コメンテーター:元森絵里子氏)、小林宏朗氏(立教大学)「『3.11』の構築―新聞社説の『動揺』から読み解く東日本大震災―」(コメンテーター:浅岡隆裕氏)、加藤加奈子氏(一橋大学)「授業秩序維持のための教師ストラテジー―教師の『応答/非応答』行為に着目して―(コメンテーター:前田泰樹氏)、の3報告が、セッション4では、鈴木 弥香子氏(慶應義塾大学)「経済的グローバリゼーションの進展とコスモポリタニズムの再興隆―新自由主義政策批判における方法論的ナショナリズムの克服―」(コメンテーター:伊藤美登里氏)、鈴木洋仁氏(東京大学)「元号の歴史社会学」(コメンテーター:若林幹夫氏)、藤田研二郎氏(東京大学)「環境保全の正当化をめぐる社会過程―構築主義とフレーム分析の視角から外来魚問題を事例に―」(コメンテーター中筋直哉氏)、の3報告が、セッション5では、佟 彩霞氏(首都大学東京)「中国における戸籍制度と学歴達成」(コメンテーター:福井康貴氏)、飯尾真貴子氏(一橋大学)「非自発的帰還者の生活再構築プロセス―メキシコ市大都市圏大衆居住区ネサワルコヨトルに生きる帰国者たちの事例研究―」(コメンテーター:田中研之輔氏)、の2報告が、それぞれ行われました。 5セッションあわせて、100名ほどの参加者があり、活発な質疑、発言が行われました。引き続き午後の大会に参加してくださった方も少なくなかったと思います。大会の「花」の1つとして定着してきたのではないかと思います。豊かな議論を繰り広げてくださった、報告者、コメンテーター、参加者の皆様に、改めてお礼を申し上げます。 来年度以降は、これまで参加されていない大学の修論提出者の方も参加してくだされば、と願っております。ぜひ積極的にご検討ください。 中筋直哉(研究委員会委員長) |