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年次大会
:第58回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会A)


テーマ部会A 「リスクと排除の社会学」  6/20 14:30〜17:30 〔3号館 3551〕

司会者:山田 信行(駒澤大学)、伊藤 美登里(大妻女子大学)
討論者:市野川 容孝(東京大学)、宮台 真司(首都大学東京)

部会趣旨 伊藤 美登里
1. 近代社会の構造転換とリスクの変貌--家族リスクの変質 山田 昌弘(中央大学)
2. 社会保障・社会福祉における排除と包摂 堅田 香緒里(埼玉県立大学)
3. リスクと「統治性」--米国非正規滞在者の排除と処罰 田中 研之輔(法政大学)

報告概要 伊藤美登里
部会趣旨

部会担当: 伊藤 美登里

 ここ十数年のあいだで、日本社会の構造変化が顕著なものになってまいりました。家族や企業や地域社会においては、個々人に対する相互扶助機能やアイデンティティ附与機能が弱体化しつつあり、また、そもそも、家族や企業に帰属していない、あるいは帰属できない人々の数も増加しております。戦後の日本社会は企業や家族に所属することにより、またそれでまかなえない部分は国家による社会保障によって、個々人をさまざまなリスクから防御して参りましたが、現在それが機能不全を起こしています。さらには、グローバル化の進展により、リスク制御を国家単位で行うことがより困難になり、また外国人労働者に端的に示されるように、国家による保障の範囲外に置かれる人々も増加しております。

 そこで、本部会では、「リスク」と「排除」を2年間にまたがるキータームとし、2010年度には「リスクと排除の社会学」というタイトルで現代社会の現状の分析を行い、翌年の「反リスク・反排除の社会運動」においては、社会運動を、今とは異なる<もう一つの世界>を構想し構築してゆく活動ととらえ、前年度に分析・討論した現状に対して、いかに対処すべきか、いかなる方策がありうるのかを議論する予定です。

 本年度のテーマ部会「リスクと排除の社会学」においては、山田昌弘さん(中央大学)には「近代社会の構造転換とリスクの変貌−家族リスクの変質」、堅田香緒里さん(埼玉県立大学)におきましては「社会保障・社会福祉における排除と包摂」、田中研之輔さん(法政大学)は「リスクと「統治性」―米国非正規滞在者の排除と処罰」というタイトルでご発表いただきます。討論者の市野川容孝さん(東京大学)と宮台真司さん(首都大学東京)には、理論的な観点からそれぞれの報告に対してコメントをいただく予定です。

 ふるってご参加ください。
第1報告

近代社会の構造転換とリスクの変貌--家族リスクの変質

山田 昌弘(中央大学)

 現代日本社会では、近代社会の構造転換によって、日常生活のリスクに晒されるようになった。近代T(1990年頃まで)の日本では、家族の安定によって日常生活のリスクが押さえ込まれ、経済生活の安定と、存在的安心感をもって生活できる条件が整っていた。しかし、新しい経済の浸透と個人化の進展によって、家族自体の安定性が失われ、人々は、人並みの生活ができなくなるリスク、存在的安心感が得られないリスクに晒されるようになる。

 本報告では、まず、(1)近代社会とリスクとの関係について整理する。リスクが近代の「未来の征服(自分の思い通りの未来を作り出す)」という特徴から不可避的に発生するものであることを示す。次に、(2)近代Tにおいて、リスクを押さえ込むシステムが発達し、フォーディズムや福祉国家とともに、「近代家族」がその一翼を担ったことを示す。生活給を得る男性と主に家事を行うという性役割分業家族が、不確実性を押さえ込んできたことを示す。続いて、(3)近代社会の深化によって、リスク構造が変化し、リスクを押さえ込むシステムが機能不全に陥ったことを示す。その結果、(4)人々が将来の不確実性に直接晒されるようになるリスク社会が到来したこと。(5)社会的排除も、この文脈で理解することが必要であること、つまり、経済的安定や存在的安心感を失うリスクを避けたり、対処することができない層が不可避的に発生することを論じていく。

第2報告

社会保障・社会福祉における排除と包摂

堅田 香緒里(埼玉県立大学)

 社会保障・社会福祉は、その起源から現在に至るまで、「援助に値する貧民(the deserving poor)」/「援助に値しない貧民(the undeserving poor)」の選別と共に展開されてきた。したがってそれは、単に財やサービスを分配するのみならず、社会権のエンタイトルメント(とりわけ社会保障の資格要件)という地位をも配分するものであった。こうした選別のあり様は、社会福祉学においてはもっぱら「対象論」という領域で議論されてきた。ここでは、解決すべき問題やニーズ、対象が所与に存在すると考えるのではなく、政策が何を解決すべき問題とみなすかによって対象を様々に切り取っていく行為そのものに光が当てられる。

 本報告では、この「政策による選別」に着目し、「援助に値しない者」として選別される過程を排除、「援助に値する者」として対象化される過程を包摂とさしあたり捉え、考察を進める。

 報告の前半では、社会保障・社会福祉の諸制度が依拠してきた選別の原理について検討する。それは当該社会や時代の諸条件によって多様に見出しうるが、他方で、およそ普遍的・不偏的に維持されてきた特定の諸原理を指摘することもできる。各々、近代的福祉国家の基盤とされる国民国家、完全雇用、近代家族を前提としている(1)帰属にかかわる原理、(2)労働にかかわる原理、(3)家族・性別役割にかかわる原理である。これらの原理は、単に対象を選別するのみならず、序列化することを通して、統治に貢献するものでもあった。

 報告の後半では、こうした選別に基づく社会保障・社会福祉の限界を乗り越える政策の一候補として、ベーシックインカムを検討する。とりわけ、脱工業化・グローバル化に伴って、上述の選別原理が根差していた近代的福祉国家の基盤が揺らぎ、そこに包摂されえない多様な生が顕在化しつつある今日、この政策が持ちうる可能性と課題について考察する。

第3報告

リスクと「統治性」--米国非正規滞在者の排除と処罰

田中 研之輔(法政大学)

 領土的・制度的・文化的な次元において他国家と隔離・断絶できないかぎり、国家は存立と同時にその<内外>に絶えず<他者>を抱え込む。国家は<内なる他者―たとえば、麻薬中毒者、精神疾患者、売春婦、犯罪者、(近年では、貧しき者)など)>を、隔離地区、収容所、刑務所といった一定の物理的・象徴的な限定空間へと閉じ込めることが、ひとまず、そのリスクを軽減・回避する最善策であることを共通了解にしている。だが、それが<他者>というカテゴリーの再強化をもたらすきわめて暫定的で脆弱な統治の技法にほかならないことをわれわれは限定空間が刻み込んできた歴史から学んでいる。

 また、<外なる他者―たとえば、暴徒、(潜在的な)テロリスト、(非正規資格で流入する)移民など>にたいしては、領土的・制度的な「ボーダー」でその<境界>を超えないように監視・管理を徹底的に強化する。しかし、<外なる他者>こそ国家の上からのコントロールを無効化・無益化する「弱者の抵抗」(Scott, James)の術を身体化し、実践的なネットワークを構築している巧者である。強制送還で母国へと送り返した<他者>がその数ヵ月後にふたたび、国内へと流入してくる多様で巧緻な「移動」を断ち切ることはできない。つまり、国家は<内なる他者>も<外なる他者>も排除しえない。にもかかわらず、<他者>というカテゴリーを過剰に煽りたて、一定の空間的範域内への隔離と「見せしめ」の制裁・処罰によってあたかも、この排除しえない<他者>を統制できているかのようにふるまうこともまた国家には最低限求められる。

 実は今日、「リスクにおける排除」の問題群を考えることは、それほど難しいことではない。むしろ、様々な事例を用いて経験的に提示することができる。それはつまり、「リスク」とみなされる「(潜在的)要因(他者を含む)」が徹底的に排除されていく「監視化・監獄化」の動向であり、フーコーがいうところの「統治性」によって正統化されている昨今の情勢である。だが、われわれは「リスク要因を取り除くための排除」こそが「現代的なリスク」であることについていかに認識し、語りえて、その上で、そこからどのような問題群を引き出すことができるのであろうか。 当日の報告では、報告者が現地でフィールド調査してきた米国での非正規滞在移民の労働現場と米国の刑罰化を素材として提示しながら、「リスクにおける排除」の「(社会現象レベルでの)わかりやすさの罠」を指摘した上で、リスクと「統治性」との関係性を丁寧に読み込むことがその罠に陥らない現代的な検討課題であることについて考察を深めていきたい。

報告概要

伊藤美登里

 テーマ部会Aの今年度のテーマは「リスクと排除の社会学」で、ここ十数年間に生じた社会の構造変化について考察するのがそのねらいであった。関東社会学会は、社会学の特定分野・領域を扱う学会ではなく、さまざまな分野を研究する社会学者から構成される地域学会である。今年度はこの特性を生かし、さまざまな領域で論じられてきた「リスク」や「排除」に関連する現代的問題を、家族、社会保障、労働の専門家にご報告いただき、討論者には現代社会論的な見地から包括的に論じていただくという目論見で構成された。

 「近代社会の構造転換とリスクの変貌--家族リスクの変質--」と題する第一報告は、山田昌弘さん(中央大学)によるものであった。本報告において、山田さんは、まず、行為の選択肢が存在する社会(すなわち近代社会)になってはじめて、「自分の選択によって自分が思ったとおりの未来が実現できない可能性」としてリスクが発生することを指摘した。次いで、第一の近代においては、リスクが存在したものの、リスクを押さえ込むさまざまなメカニズムが社会で作動していたこと、しかし、社会の構造転換によりリスク押さえ込みのメカニズムの効果が弱まったことに言及された。最後に、この構造転換の帰結として、リスクの回避や対処が不可能な層が不可避的に発生すること(社会的排除の問題)、リスクの最終的な引き受け手である国家や家族が機能低下に陥っており、それに対するオルタナティブの模索はなされているがかなり困難がともなうことが予想されることを指摘された。

 第二報告「社会保障・社会福祉における排除と包摂--『援助に値する者』と『援助に値しない者』の選別--」では、堅田香緒里さん(埼玉県立大学)が社会保障や社会福祉の政策が行う「選別」が抱える現代的問題を指摘した。堅田さんによれば、まず、社会保障・社会福祉は、「援助に値する者」と「援助に値しない者」の選別と共に展開され、財やサービス、そして社会権のエンタイトルメントという地位を配分する。堅田さんの報告では、政策が何を解決すべき問題とみなすかによって対象を様々に切り取っていく行為そのものに光が当てられた。選別の原理には、帰属にかかわる原理、労働にかかわる原理、家族・性別役割にかかわる原理があるが、現代では、脱工業化・グローバル化にともない、上述の選別原理が根差していた近代的福祉国家の基盤が揺らぎ、そこに包摂されえない多様な生が顕在化しつつあることが指摘された。最後に、限界を乗り越える政策の一つとして、ベーシックインカムが持ちうる可能性と課題について考察された。

 田中研之輔さん(法政大学)は、第三報告「リスクと『統治性』--米国非正規滞在者の排除と処罰--」において、非正規で滞在する労働者の排除と処罰化について論じた。まず、研究対象は、いわゆる「社会的なリスク」に分類されるものであり、「リスクと他者性」との関係性が問われるべきものであることが確認された。ついで、国家は、存立と同時にその<内外>に絶えず<他者>を抱え込み、それらの他者を隔離ないし排除しようとするが、結局排除しえないこと、それにもかかわらず、<他者>というカテゴリーを過剰に煽りたて、一定の空間的範域内への隔離と「見せしめ」の制裁・処罰によってあたかも、この排除しえない<他者>を統制できているかのようにふるまうことが国家には最低限求められることが指摘された。そして、2006年から2008年までの期間、アメリカ合衆国の非正規滞在労働者の日雇い現場で実施されたフィールドワークの分析がなされ、リスクと「統治性」との関係性が丹念に考察された。

 三者の報告を受けて、まず、討論者の市野川容孝さん(東京大学)から、決定によって生じる可能性としての「リスク」と、当システムの決定に帰責されない「危険」とを区別するルーマンの概念区分をもっと発表に組み込んでもよいのではないか、ベーシックインカムの導入により公共性から退却する可能性はないのか、(田中さんの)事例はルーマンのいうところの危険なのではないかなどの指摘がなされた。次に、宮台真司さん(首都大学東京)からは、ベーシックインカムは日本では再配分の文脈で語られるが、ミルトン・フリードマンの考えでは「動機付けのある人物に配分しよう」というガバナンス的発想に満ちたものではないか、また、ガバナンスというのは国家に独占・限定される問題ではなく、市民社会の側から考える面もあるのではないかなどの指摘がなされた。フロアからもさまざまな意見や質問が出され、部会はおおむね盛況であったといえよう。

 来年は、今年度の議論を踏まえ、どのような解決策があるのかについて議論する予定である。

 最後に、研究例会、テーマ部会にご参加いただいた発表者、討論者、フロアの皆さまに、深く感謝申し上げたい。

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