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年次大会
大会報告:第42回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第2部会)

 第2部会:現代社会関係  6/12 10:00〜12:30 [3号館3216教室]

司会:大村 好久 (武蔵大学)
1. 「自然保護運動」における運動拡大過程とその「保護」対象
−織田が浜海浜埋立反対運動をめぐって−
関 礼子 (東京都立大学)
2. 時間−空間秩序における近代と地域社会
−問題の構図−
岩永 真治 (慶應義塾大学)
3. 家事労働測定のための一試論
−誰が疲れ、誰が不満を持っているのか−
築山 秀夫 (中央大学)
4. 公共性再考
−グローバリゼーションとネットワーキング
干川 剛史 (徳島大学)

報告概要 大村 好久 (武蔵大学)
第1報告

「自然保護運動」における運動拡大過程とその「保護」対象
−織田が浜海浜埋立反対運動をめぐって−

関 礼子 (東京都立大学)

 1983年から始まった織田が浜海浜埋立反対運動(織田が浜運動)は、1970年代以降各地で展開されたさまざまな「自然保護運動」の「天王山」として位置づけられた運動である。だが、運動の理論面でのリーダーだったT氏が、いみじくも「わたしは[自然保護]という言葉が気にくわない」と語るように、織田が浜運動は自然保護そのものをもくろんだものではない。

 では、織田が浜運動とは何であったか。織田が浜は、以前は、地元三地区の名をとって、それぞれ喜田村の浜、拝志の浜、東村の浜と呼ばれており、住民でさえ織田が浜という名を知らなかったと言う。しかも、浜は夏に地元の海水浴場として賑わうとはいえ、地元には専業漁師がいるわけでもなく、まして生計の手段として利用されていたわけでもなかった。このような織田が浜において、急速に埋め立て反対運動が組織され全国的に注目されるまでに強力な運動が組織されたのはなぜか。運動行為者にとって、織田が浜はいかなる意味を持っていたのか。本報告の関心は、以上のことを地域性の文脈を通して考察し、「自然保護運動」とは何だったのかを検討することにある。

 なお、この運動の一環としてなされた裁判は、本年(1994年)6月24日、差し戻し審の結審を迎えることになっている。

第2報告

時間−空間秩序における近代と地域社会
−問題の構図−

岩永 真治 (慶應義塾大学)

 転換期の位相を時間体験や空間体験のレヴェルで捉えようとする議論が頻繁になされるようになったのは、この10年位のことであろう。ところが時間と空間の問題は、地域社会研究においても、社会理論の研究においても、これまで別個に提起されることが多かった。本報告では、A.Giddens,M.Castells,A.Melucci,D.Harveyらの時間−空間関係の変容を同時に扱っている議論をまず個別に取り上げ、つぎにそれを一定の観点から整理する。そのうえで、こんにち時間−空間論において何が問題になっているかについての議論を展開してみたい。時間−空間関係における”近代性(mordernity)とはなにか”ということが、議論のひとつの軸になるであろう。

第3報告

家事労働測定のための一試論
−誰が疲れ、誰が不満を持っているのか−

築山 秀夫 (中央大学)

 日本においては、家事労働をしているのは、主婦つまり女性である。そして、配偶者が家事労働の役割を分担しない現在の状況では、共働き夫婦の割合が増大すればするほど、二重の労働を強いられる女性が増えることになる。そのような状況の中で、女性たちは、家事に対して、家事分担の不平等状況に対して不満を持つようになってきた。なぜ、私たちだけが家事を分担しなければならないのかと。

 女性にとって、家事労働がいかに負担になっているのか、それは家族のライフサイクルや様々な資源の有無によって違ってくる。一言で家事労働といっても千差万別である。また、一方で家事労働に対して全く公平だと感じている人もいれば、家事労働に対して全く不公平だと感じ、不満を持っている人もいる。同じ家事労働といっても現実には様々あり、それに対して、様々な意識を持っているのである。

 家事労働は個々の家庭の状況によって違うし、現実の家事労働体験は、使用される物理的エネルギー代謝のみで理解できるのではなく、家族内の家事分担に対する不満等を取り込んだ社会的・心理的側面を加味して理解されなければならない。そのようなことから、家事労働を測定しようとする試みはなかなか困難である。しかしながら、家事労働が具体的にどのようなものかを明らかにすること、そして、どのような人がそれを負担に思い、家事分担に不平等を感じ、不満を持つのかという詳細な分析をすることが、家事労働論の議論に不可欠なことなのである。

 本報告では、家事労働の実態を測定するためのモデルを構築することを目的とし、それにむけての準備作業を行うものである。

第4報告

公共性再考
−グローバリゼーションとネットワーキング

干川 剛史 (徳島大学)

1.グローバル・ネットワールドの出現
 今日、経済活動の発展によって市場がグローバル化し、それに伴って発達した交通・情報通信機関を通じてモノ・カネ・ヒト・情報が地球規模で行き来することで、社会生活はグローバルな相互依存関係の上に成り立つことになった。それに応じて、経済その他の社会諸活動を方向づける政治過程も、密接な国際的協力関係の上に展開されることになる。そして、ここに様々な社会的行為主体間の地球規模のネットワークによって構成される社会(グローバル・ネットワールド)が出現することになる。

2.公共性のグローバル化
 こうした地球規模の社会では、環境や人権といった諸社会問題もグローバルな相互連関の中から生じてくる。これに対処するためには、人々が既存の経済・政治システムの変革をめざして取り組みを行う自治的領域(公共性)のグローバル化が必要となる。 そこで、このグローバルな公共性構築の可能性について、今日の社会経済的・情報的環境の変容を視野に入れてJ.ハーバーマスの公共性論に批判的検討を加えながら、理論的な観点から考察することにする。

3.市民的グローバル・ネットワーキング
 グローバルな公共性構築は、地球規模での人々の情報交換とそれに基づく連帯形成(市民的グローバルネットワーキング)によって行われる。そこで、こうした目的のために行われるコンピューター・ネットワーキングを媒介とした市民的ネットワーキングの事例を取り上げて、その課題と可能性を明らかにしてみたい。

報告概要

大村 好久 (武蔵大学)

 自由報告部会:II.<現代社会関係>は、次の4つの個人発表によって構成された。 (1) 「自然保護運動」における運動拡大過程とその「保護」対象――織田が浜埋立反対運動をめぐって―― (2) 時間―空間秩序における近代と地域社会―― (3) 家事労働測定のための一試論――誰が疲れ、誰が不満を持っているのか―― (4) 公共性再考――グローバリゼーションとネットワーキング――

 報告発表ののちの討論は、(4)に集中されるかたちで進められた。 (4)はハーバーマスの公共圏論再考の方向にそってこれを補完し、今日公共圏の基盤としてのコミュニケーション・ネットワークの急速な発展により、市民的ネットワーキングの可能性がNGOほかの具体的事例にみられるとして、そこにオルタナティブな公共圏の原則としての「代表性参加民主主義」が双方向的CMCによって可能になることを論じた。これに対して、コミュニケーション技術の進歩それ自体に結び付けられるか否かの試行錯誤がなされざるをえないのであって、実現への可能条件はそれぞれの国家、市民のあり方によって異なるものだとの指摘がなされた。1983年今治市に起こった織田が浜運動がつねに世論喚起的であって、地域とそこを離れた人々を結び付ける象徴としての織田が浜となりえたのは、その発端において運動のリーダーに独創的な民間教育者(塾経営)や行動的な高校教師という特別の担い手を中核にしていたことを明らかにした。

 人びとの情報交換とそれに基づく連帯形成が、発達した通信機器の介在で大衆運動として劇的な進展をみせたといわれたのは、はじめはたしかタイ民主化運動であり近くは東欧革命の展開であった。これらの運動の担い手は、情報機器の操作を日常とし情報に対して敏感でかつ公共的な問題への社会意識が高いgate-keeperというべき人々であったという。このような意味で今日、これから必要とされる研究は、公共圏形成の担い手の社会的性格を具体的な運動の展開に即してとらえていくような研究にあると思われる。この点、時間―空間関係の変容を同時に扱っている論者mGiddens,Castells,Harvey,Melucciの見解を位置づけ近代性を問う試みの (2)が、人間存在の拡張を内包する問題として公共圏にかかわるものながら、地域社会時限などでの実証的研究との接点提示には至らなかったことで上記の議論展開に折込みえなかったのは残念であった。家事労働の負担量は家事労働の絶対量と家事労働分担に関する不満の関数により決定するとして,これら2点それぞれの構成要因を分析し、家事労働実態測定のためのモデル構築を目指す (3)は、実証研究への適切な指針を示して示唆的だったが、他の (3)報告と論点を異にするところもあって主たるぎろんのながれに必ずしもかかわりえなかった。家族が望んでいる生活の質、欲求欲望の水準が家事労働の負担の意識にかかわるのではないかとの指摘などがあった。

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