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年次大会
大会報告:第46回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会4)

 テーマ部会4 「正義・公共性・市民権」---福祉国家のゆくえ  6/14 14:00〜17:15 [4号館422教室]

司会者:中島 康予 (中央大学)  町村 敬志 (一橋大学)
討論者:大澤 真幸 (京都大学)  川本 隆史 (東北大学)

部会趣旨 武川 正吾 (東京大学)
第1報告: 正義と福祉国家 山森 亮 (京都大学大学院)
第2報告: 退屈で冷たい福祉国家について 立岩 真也
(信州大学医療技術短期大学部)
第3報告: 市民権の構造転換 武川 正吾 (東京大学)

報告概要 町村 敬志 (一橋大学)
部会趣旨

武川 正吾 (東京大学)

 ロールズの『正義論』以来,正義に関する議論が注目を集めるようになっている.また,ハーバーマスの公共性をめぐる議論も東欧革命や情報化などのなかで近年再度注目を集めるようになった.これらの議論は,福祉国家の社会政策の理論的な基礎となるべきものである.ところが,これらの規範的な議論と,現実の社会政策をめぐる議論とのあいだにはコミュニケーションが乏しいというのが現状である.また正義や公共性と関連する市民権をめぐる議論は,社会政策研究のなかでは T.H.マーシャル以来半世紀の歴史を持っているが,これとは独立に,近年,地域研究や外国人労働者問題の研究の中で市民権の問題が着目されるようになっている.しかし,これら両者のあいだにはほとんど連絡がない,というのが現状であろう.

 このシンポジウムでは,福祉国家を媒介変数として導入することによって,現在相互に無関係なままに存在するこれら諸議論の間の架橋を試みることを目的としている.このため,正義と福祉国家,公共性と福祉国家,市民権と福祉国家という問題を設定し,それぞれの領域で社会政策を専攻する研究者が問題提起を行なう.これに対して,理論社会学者や倫理学者が,それぞれの立場からコメントを行なう.こうした企てによって,規範的・政治哲学的な問題と,現実の政策的な問題とのあいだの統合まではいかないまでも,対話に至ることができれば,このシンポジウムは大成功であろう.

 なお,このシンポジウムは正義,公共性,市民権,福祉国家だけでなく,自由や共同体など社会構想の問題への理論的関心を抱いている人をはじめとする幅広い人びとの参加を歓迎するものである。

第1報告

正義と福祉国家

山森 亮 (京都大学大学院)

 要請された報告内容は「正義と福祉国家」であるが、報告者の問題関心に引きつけて、(1)正義論を大ざっぱに整理し、それらの議論と論争的な社会政策との関連を検討する。 (2)福祉国家論と正義論の接合を試みる。(3)以上から明らかになる問題点を整理する。ということで報告に代えたい。報告者は社会政策の駆け出しの研究者に過ぎない。他の報告者、討論者、フロアからのご叱責、ご教示を受ける形で、「社会政策を考えるときの市民の内省の手引き(ジョン・ロールズ)」を共に考えていけたら幸いである。

 ’60年代末、世界を席巻した異議申し立ての動きは、福祉国家の正当性を揺るがすものであった。福祉国家に対する異議申し立ての内容は、さまざまなものを含むが、ここでは、普遍性を標榜する福祉国家が、実際には不平等を再生産し、二級市民を生み出しているという批判に注目したい。このような情況に関わる正義論として、ジョン・ロールズ、アマルティア・セン、チャールズ・テイラー、アイリス・マリオン・ヤングの議論を取り上げる。そしてこれらの議論が、アファーマティブ・アクションとどのように関わるかを検討する。

 以上の検討から、さしあたり福祉国家における正義を考える軸として<再分配>と<承認>を抽出し、現実の社会政策の方向性として、<再分配>では「功績」と「必要」の二つの方向性、<承認>では「同質化」と「差異化」の二つの方向性を考えることとする。ついでこのような分析が、従来いわゆる福祉国家論といわれる領域で語られてきたこととどのように繋がるのか、あるいは切れているのかを簡単に検討する。

 その上で、必要による再分配と、差異化の承認との双方を可能にする社会政策の困難と可能性とについて、ナンシー・フレーザーの議論によりながら、検討を行う。

第2報告

退屈で冷たい福祉国家について

立岩 真也 (信州大学医療技術短期大学部)

 福祉国家は怪物にされたり,瀕死状態にあるとされたりする。対応する現実があることを否定しない。そして怪物が死んでくれるなら,それはけっこうなことでもある。ただ,そうした言説は,内実として何を,何との比較において言っているのか。歴史や現状の分析,類型論,比較分析の意義は言うまでもない。だが,加えて,現実と現実への言及を構成する諸要素を分解し,他の可能性と比較し,論理的な検証作業を加えることを,少なくとも一度は行なってみる必要があると思う。例えば介入に対する批判があった。また疎遠であることに対する批判があった。両者は矛盾しない。各々が相応の根拠のある別のことを述べている。しかし福祉国家が他に比して介入的であるとは限らない。また疎遠であることは時に好ましいこともある。これが福祉国家において可能であるのは,それがそれなりに大きな単位であることによってもいる。これらの含意を検討した上で,国家に何をどこまでさせるのか,このことを考えてよい。(拙著『私的所有論』,勁草書房,第8章3節,cf.市野川・立岩「障害者運動から見えてくるもの」,『現代思想』1998年2月号)以上に述べたことに関わり,「動機づけ」の衰退という問題は残っている。だが,これを絶対的な停滞という危機と見るべきではない。むしろ,福祉国家という単位が小さすぎるという問題ではないか。福祉「国家」は国境によって区切られ,区切られていながら財と人の流入・流出が(制限されつつ)行なわれている。例えば国境を開きながら分配率を上げるなら人の流入が起こる。このことによる競争力の低下という「脅威」が制約条件として働いている(cf.上掲拙著第8章pp.347-348)。この問題の解決は理論的には簡単だが,もちろん実際には容易でない。さしあたり国家が存在することを前提せざるをえないとすると,どのような方策がありうるのか。これもまた考えるべきこととしてある。

第3報告

市民権の構造転換

武川 正吾 (東京大学)

 近年,地域社会学やエスニシティ研究などの分野で市民権(Citizenship)の問題が議論されるようになっている.社会政策論の歴史のなかでは,市民権に関する議論は半世紀近い歴史を持っている.しかし両者の間で十分な意思疎通が行なわれていない.そこに架橋することに,この報告の一つの目的がある.市民権はあるコミュニティのメンバーシップにともなう権利と義務のあり方である.市民権を設定するということは,一定の境界を設定し,メンバーと非メンバーを確定することを意味する.そこには(1) 同一化と(2) 差別化という二つの契機が含まれる.また,市民権には(1) 広さ,(2) 深さとでも呼ぶべき二つの次元が存在する.

 市民権の広がりは,いわゆるNation-Buildingの過程と結びついている.この点についてはベンディクスとロッカンが強調した.市民権の深まりは, Welfare State Buildingとでも呼ぶべき過程と結びついている.この点については, T.H.マーシャル以来,多くの社会政策学者が強調してきた.こうした二つの過程を通じて,20世紀後半に,「福祉国民国家」(Welfare Nation State)の体制が成立した.世紀末の現在,こうした福祉国家的市民権の限界が明らかとなりつつある.

 第一に,グローバル化のなかで,市民権の国民的限界が顕在化しつつある.国境を越えた人の移動が増加するなかで,(a)外国人の市民権や(b)地域主義的市民権の成立など,市民権の国民的理解を超える問題が出現するようになっている.

 第二に,フォーディズムの終焉や福祉国家の危機のなかで,市民権の国家的限界が顕在化しつつある.現在,福祉国家のフレクシビリティのなさやパターナリズムが問題視されるようになってきており,市民社会論の復活や福祉社会論の叢生が見られる.

 さらに,市民権の論理に内在する同化主義も現在問題視されつつある点である.市民権によって支配文化の強制が行なわれ,差異への権利が奪われているという現状も見られる.

報告概要

町村 敬志 (一橋大学)

 「正義・公共性・市民権」というアクチュアルな課題への取り組みは、これまで規範的・政治哲学的アプローチと現実の政策的アプローチに大きく分かれていた。両者の間に橋を架けることを目標にしてきた本テーマ部会では、社会学とその隣接分野の研究者を交え、「福祉国家のゆくえ」をテーマに、対話を機会を設けることにした。

 山森亮氏は「正義と福祉国家」において、福祉国家を基礎づける規範理論に関し周到な整理をおこなった。とくに再分配と承認のジレンマを指摘した上で、両者を脱構築していく方向を示した。立岩真也氏の報告「退屈で冷たい福祉国家について」は、現実の福祉国家の「過剰性」を問題にし、対極的な概念としての「再配分しかしない(冷たい)福祉国家」像を提示した。武川正吾氏「市民権の構造転換」は、福祉国民国家の成立と変容の過程を整理した上で、歴史的に形成されてきた国家主義的・国民主義的・同化主義的という3つの市民権概念の限界を指摘した。

 討論者のうち、大澤真幸氏は、再分配のみに関心をもち承認に関しては「無関心」な国家の可能性、(市民権のような)普遍性をつくる試みが必然的に産出してしまう個別性や境界の存在などを、指摘した。また、川本隆史氏からは、welfare stateがwarfare stateとの対比で生まれた点、本質主義−脱構築の対立からの距離の取り方(山森報告について)、アメリカにおける共同体主義との関連などについて、指摘があった。

 各論者の報告と討論は、それぞれのよって立つ出発点の違いを越えて、いくつかの論点の重要性を浮き彫りにした。第一に、福祉国家(市民権)の境界作用、つまり内に向かって作り出す平等化作用、外に向かって生み出す排除作用の共存をどう評価するか、第二に、再分配と承認のジレンマと関連した現代の国家・福祉国家の可能性と限界などである。約90人ほどの参加者を得て、議論は盛り上がったが、論点の大きさと比べてなお十分に議論できない点も残った。この点を今後の課題としたい。

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